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旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

紀勢本線各駅停車 (11) 「御坊・その2」

御坊駅跨線橋を改札口に向かって歩きます。とても明るく見えますが、左右の壁の上部がフルオープンなんでしょうか。日当たりや風通しが良さそうですね。

「●定期券は 2 週間前からお買い求めいただけます。 ●きっぷは往復でお買い求めください。」との文字が入ったフレームには「新しいが、はじまる。」というポスターが。何が始まるのかと思ったのですが、阪和線に新型車両が入ることをアピールしたものだったんですね。

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紀勢本線各駅停車 (10) 「御坊・その1」

御坊行き 341M が和歌山駅を出発して一時間ほどが過ぎました。途中で 15 駅に停車して、次が終点の御坊駅です。

紀伊内原を出発した 341M の車内はご覧の通り。平日の 11 時過ぎなので、まぁこんなものですかね……。

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紀勢本線各駅停車 (9) 「紀伊由良・紀伊内原」

ツッコミどころが満載だった「広川ビーチ駅」の先にある「由良トンネル」(1,885 m)を抜けると日高郡由良町に入ります。由良川を渡る鉄橋はそこそこ古そうなものに見えますが、塗装などのメンテナンスはしっかりと行われているようですね。

由良町の脊梁山脈とも言える山の上には「由良風力発電所」の風車が見えます。広川町の発電所はタービンが 1 基だけのように見えましたが、ここは 5 基あるようですね。

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紀勢本線各駅停車 (8) 「広川ビーチ」

御坊行き 341M は「和歌山県立耐久高校」のお膝元である湯浅駅を出発しました。沿線の水田には田植え体験中のお子さんの姿も。

稜線の先に風力発電のタービンが見えてきました。風力発電は比較的安全なイメージがありますが、爆発的に増えているようにも見えないのは、太陽光パネルを並べるより設置と維持管理にコストがかかる……ということなんでしょうか。

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北海道のアイヌ語地名 (941) 「宇津内・宇遠別・猿間川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

宇津内(うつない)

ut-nay
肋・川
(典拠あり、類型あり)

斜里町西部、涛釣沼とうつるとうの 2.5 km ほど東の浜堤上にある三等三角点の名前です(標高 30.6 m)。陸軍図では、現在の国道 244 号と「西四線」の交点あたりに「宇津内」と言う地名が描かれています(現在は「斜里町美咲」)。

明治時代の地形図では、涛釣沼から東に向かって「ウツナイ」という川が描かれていて、南からやってきた「ウエンベツ」と合流して斜里川に合流していました。

現在のウエンベツ川は涛釣沼に向かって流れて、沼の東側で北に向きを変えて直接海に注いでいますが、これは人工的に開削された流路のようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」と「辰手控」には「フツナイ」という地名(川名)が記録されていました。この「フツナイ」は書き間違いかと思ったのですが、知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ウッナイ(ウェンペッの枝川)宇津内。「ウッナイ」(ut-nay 肋・川。本流から肋骨のように横にまつすぐ分れ出ている細い枝川)。フッナイとも云い,またエクシナペッ(e-kusna-pet そこを・横断している〔或は, 突きぬけている〕・川)とも云つた。ウェンペッからトーツル沼に湿原を横ぎつて突きぬけているのでそういう名がついている。

ふむふむ。とりあえず「書き間違い」の線は無さそうでしょうか。このあたりの ut- は、頭に h を付加して発音する傾向があったのかもしれません。「宇津内」は ut-nay で「肋・川」と見て良さそうですね。

宇遠別(うおんべつ)

wen-pet
悪い・川
(典拠あり、類型あり)

南一号(道道 769 号「斜里停車場美咲線」)と西三線の交点の近くにある四等三角点の名前です(標高 1.8 m)。標高 1.8 m ということは、北側の浜堤との標高差は 30 m 近くあるということになりますね。

明治時代の地形図には「ウエンベツ」または「ウェンペツ」という川が描かれていましたが、この「ウエンベツ」は陸軍図では「宇遠別川」と描かれていました。この川は「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンヘツ」と描かれていて、知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 ウェンペッ(右岸支流,宇遠別川)「ウェン・ペッ」(wen-pet 悪い・川)。水の悪い川の義。「フシコペッ」(husko-pet 古い・川) とも云う。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.253 より引用)

ふむふむ。wen-pet の意味は「悪い・川」なのですが、「何で悪かったかは殆どがわからなくなっている」という補足がつくのが半ばお約束になっていました。ただこの「ウェンペッ」は「水が悪かった」ということのようですね。

wen-pet は道内のあちこちにあり、色々な字が当てられているのですが、四等三角点「宇遠別」の読みが「うおんべつ」になってしまったのは何とも残念……というか、不思議な感じすらします。ut-hut- と発音したかもしれないのと同様に、wen-won- と発音する癖があった、とかだったら面白いのですが……。

ただ「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンヘツ」とあるので、その可能性は低そうですね……。

猿間川(さるま──)

{sar-pa}-oma-pet?
{斜里川下流}・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

斜里川の東支流で、斜里川の支流の中では最も規模の大きいものですが、猿間川本流よりも、猿間川の東支流である「幾品川」のほうが圧倒的に長かったりします。出来過ぎた三代目とその親みたいですね。

現在の「猿間川」は中斜里駅の東で「幾品川」と合流してから北西に向かい、国道 244 号の「斜里新大橋」のあたりで斜里川と合流しています。ただこれは人工的に開削された流路のようで、元々は斜里高校の南側のあたりで斜里川と合流していました。

釧網本線の「中斜里駅」は、かつては「猿澗川駅」だったとのこと。「北海道駅名の起源」にも次のように記されていました。

  中斜里(なかしゃり)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 4 年 11 月 14 日
起 源 もと「猿澗川」(さるまがわ)といっていたのを、昭和 25 年 9 月 10 日「中斜里」と改めた。「猿澗川」はアイヌ語の「サル・オマ・ペッ」(ヨシ原にある川)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.164 より引用)

猿間川」は sar-oma-pet で「葭原・そこにある・川」だった……という説ですね。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤリハ」と描かれていて、また明治時代の地形図には「サラパ川」と描かれていました。

sar か sar-pa

この微妙な違いが気になるところですが、知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 サルパ(Sar-pa 斜里の・しも)斜里川下流の地。
 サルパ・オマ・ナイ(Sar-pa-oma-nay 斜里の・しも・にある・川) サルパ・ペッ(Sar-pa-pet 斜里の・川しもの・川)。猿間川
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.253 より引用)

あれ、pa は「しも」ではなく「かみて」だったのでは……と思ったりもしたのですが、「──小辞典」には次のようにありました。

pa ぱ(ぱー) ①頭;崎。(→pa-ke, sa-pa) 。②かみ;かみて;かみのはずれ。kotan-~ 村のかみ。kenasi-~ 川岸の木原のかみ。pira-~ がけのかみ。(対→kes) 。③かわしも(川下)。(対→pe) 。④【H 南】ふち。pet-~、川岸。ru-~ 路ばた。(=cha) 。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.85 より引用)

すいませんでした(汗)。今回は ② ではなくて ③ の解釈だったんですね。sar-pa-oma-pet で「葭原・川下・そこにある・川」とするよりも、{sar-pa}-oma-pet で「{斜里川下流}・そこにある・川」とするのが適切でしょうか。

山田秀三さんの「北海道の地名」を良く見てみると……

パはふつうは「上手」の意に使うが,知里さんがこのパ pa を「川しも」(川上をぺ pe で呼ぶのに対す)と訳したのは,この川が斜里川下流に入る支流であることを示したものとされたのであろう。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.218 より引用)

あっ。見事に先を越されていました(汗)。

 北海道駅名の起源は昭和 29 年版から,中斜里駅(前の猿間川駅)の処で「猿間川はサロマペッ即ちサル・オマ・ペッ(葦原・にある・川)から出たものである」としたのは,現在猿間川と呼ばれている音(昔からその音もあったかもしれない) によって解説したものであろうか。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.218 より引用)

「昭和 29 年版から」とあったので「あれっ?」と思ったのですが、「アイヌ語地名資料集成」では昭和 25 年版からの異同は確認できませんでした。山田さんは「サルパ・オマ──」が「サル・オマ──」に化けた、あるいは昔から両方の流儀があったのでは……と見たようですが、全く同感です。

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北海道のアイヌ語地名 (940) 「パナクシュベツ川・ペナクシュ別川・シノマンヤンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パナクシュベツ川

pana-kus-pet
川下のほう・通る・川
(典拠あり、類型あり)

小清水町内を流れる止別やんべつ川の西支流です。支流とは言いながらかなり長い川で、小清水町の南半分をほぼ縦断しています。ややこしいことに、大空町(旧・女満別町)にも全く同名の「パナクシュベツ川」が存在しています。

永田地名解には「ヤㇺ ペッ 川 筋」の川として、次のように記されていました。

Pana kush nai   パナ クㇱュ ナイ   下ノ川
Pena kush nai   ペナ クㇱュ ナイ   上ノ川

いかにも永田方正らしいざっくりとした解で、知里さん激おこ案件ですね。ということで知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」を見てみると……

 パナクㇱナイ(右岸支流) パ(下),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
 ペナクㇱナイ(右岸支流) ペ(上),ナ(方),クㇱ(通る),ナイ(川)。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)

流石ですね。pana- を「川下のほう」とまとめてしまうことも多いのですが、ここではしっかりと pa-na- に分解されています。どうやら昔は「──ベツ」ではなく「──ナイ」だったようで、pana-kus-nay で「川下のほう・通行する・川」だったようですね。

「ヌッカクシヤンヘツ」と「パナクㇱナイ」

「竹四郎廻浦日記」には「ヤワンベツ」(=止別川)について、次のように記されていました。

 川有巾七八間、橋有。遅流にして深く、上の方に谷地多く、其川筋字はホンヤンベツナイ、メム、ヌツカ、クシヤンベツ、ユイネイ等云有りと。魚類鯇・鮃・チライ・鰔・雑喉多し(小使コタンスヘ申口)。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.390 より引用)

「ホンヤンベツナイ」は現在の「ポン止別川」のことと思われますが、「──ベツナイ」というのがちょっと謎な感じです。-pet-nay も「川」を意味するので、-pet-nay というのは本来ありえない組み合わせです。

ただ、この記録のネタ元と思われる「辰手控」には、「ホンヤンヘツ」と「ナイ」が別の川であるように記されていました。

○ヤンヘツ(止別川すじ)
  ホンヤンヘツ
  ナイ
  メム
  ヌッカクシヤンヘツ
  ヌミ子ヲマナイ
  エヘシュイ子イ
   〆    小使コタンスツ申口也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 三」北海道出版企画センター p.335 より引用)

これを見ると「ホンヤンヘツ」と「ナイ」が分離している一方で、「ヌツカ」と「クシヤンヘツ」が合体してしまっています。「ヌッカクシヤンヘツ」であれば nupka-kus-{ya-wa-an-pet} で「野原・通る・{止別川}」となるでしょうか。上富良野町の「ヌッカクシ富良野川」と同じような川名です。

ということで、小清水町の「パナクシュベツ川」は pana-(nupka-)kus-({ya-wa-an-})pet で「川下のほう・{野原・}通る・{止別}川」かと思ったのですが、知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」をよく見ると「パナクㇱナイ」「ペナクㇱナイ」とは別に「ヌㇷ゚カクサンペッ」という川が記録されていました。

 ヌㇷ゚カクサンペッ(左岸支流) 「ヌㇷ゚カ・クㇱ・ヤンペッ」(nupka-kus-Yampet 原野を・通つている・止別川)。

この「ヌㇷ゚カクサンペッ」ですが、明治時代の地形図を見てみると、現在の「止別川」の上流部(ほぼ国道 391 号沿い)が「ヌㇷ゚カコサンナイ」であると描かれていました。「コ」が「ク」の誤記だとすると「ヌㇷ゚カクサンナイ」だったことになり、知里さんが記録した「ヌㇷ゚カクサンペッ」のことだ、と言えそうです。

「通る川」は「横切る川」?

ということで、「ヌッカクシヤンヘツ」あるいは「ヌㇷ゚カクサンペッ」と「パナクシュベツ川」は *別の川* だということが確認できた……ような気がします。

何となく振り出しに戻った感もありますが、小清水町の「パナクシュベツ川」は「ハナクシナイパナクㇱナイ」のことだという点は間違い無さそうに思えます。kus- は「通行する」だと理解していましたが、正確には「通る」と見るべきだったかもしれません(「人が通る」ではなく「川が通る」)。

知里さんは美幌町の「登栄川」について、tu-etok-kus-nay を「山の走り根を横切る川」と解釈していました。小清水町の「パナクシュベツ川」(と「ペナクシュベツ川」)もよく似た地形なので、pana-kus-pet は「川下のほう・通る・川」ですが、「川下のほうの横切る川」とも解釈できるかもしれません。

ペナクシュ別川

pena-kus-pet
川上のほう・通る・川
(典拠あり、類型あり)

止別川の西支流で、小清水町の「パナクシュベツ川」の南東を流れています。「パナクシュベツ川」よりも上流側で止別川に合流しているということになりますね。

地理院地図には「ペナクシュベツ川」と表示されていますが、国土数値情報では「ペナクシュ別川」のようです。支流の「ポンペナクシュベツ沢川」は「ベツ」なのに……。

「竹四郎廻浦日記」や「辰手控」にはそれらしい川の記録が見当たりませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘナクシナイ」という名前の川が描かれていました。永田地名解に「ペナ クㇱュ ナイ」とあり、知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」に「ペナクㇱナイ」とあるのは「パナクシュベツ川」の項で記したとおりです。

「ペナクシュ別川」(ペナクシュベツ川)は pena-kus-pet で「川上のほう・通る・川」と見て間違いないかと思います。kus- を「横切る」と解釈したほうが良さそうなのも同様です。

シノマンヤンベツ川

sinoman-{ya-wa-an-pet}
本当の・{止別川}
(典拠あり、類型あり)

「シノマンヤンベツ川」は「ペナクシュ別川」と「止別川」の間を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「シノマンヤンヘツ」という川が描かれていて、明治時代の地形図にも「シノマンヤㇺペッ」と描かれていました。

知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シノマンヤンペッ(本流の上流) シノ(本当に),オマン(奥へ行つた),ヤンペッ(止別川)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)※ 原文ママ

sino-oman-{ya-wa-an-pet} で「本当に・山の方へ行く・{止別川}」ではないかと言うことですね。ただ「地名アイヌ語小辞典」では sinoman- 自体が sino- と同じ意味とあるので、あるいは sinoman-{ya-wa-an-pet} で「本当の・{止別川}」としても良いかもしれません(意味はほぼ変わらないので)。

現在の「止別川」は野上峠に向かう国道 391 号沿いを流れていますが、明治時代の地形図では「ヌㇷ゚カサンナイ」と描かれていて、「止別川の東支流」という扱いでした。本流として「本当の止別川」という名前の川があったのに、いつの間にか「シノマンヤンベツ川」という「支流」に化けてしまったというのも……困った話ですね。

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