Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

南会津郡南会津町

「日本奥地紀行」を読む (65) 田島(南会津町) (1878/6/27)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。川島を出発して、田島(会津田島)に到着したところから話が始まります。 日本の渡し場 イザベラ一行は、川島から約 6 km ほど先にある田島(会津田島)…

「日本奥地紀行」を読む (64) 川島(南会津町) (1878/6/27)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。川島宿を出発したイザベラが、庶民の暮らしがいかに不衛生なものであるかを再認識するところから話は始まります。 不衛生的な家々 まずは服装の話題から始まります。 こ…

「日本奥地紀行」を読む (63) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラが「ずっとひどい」「まったくひどい」と評した宿で、宿の主人の息子が咳で苦しんでいるのを見かけたところから話は始まります。 病気の群衆 イザベラは見るに見…

「日本奥地紀行」を読む (62) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラ一行は半ば力尽きる形で「川島」(現在の南会津町)の宿屋にたどり着きましたが…… さらにひどく イザベラは、「カヤジマ」こと川島での宿を「藤原のときよりもず…

「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。六日間の苦闘の記録は、五十里から再び…

会津鉄道の旅(その6)

快速「AIZU マウントエクスプレス」は、会津高原尾瀬口から西若松までは「快速」の名に相応しく、19 ある駅のうち 5 つしか停車しません。各駅停車だと 85 分かかるところを 69 分で走破しています。これは通過駅の「会津荒海駅」の写真なんですが、「──あら…

会津鉄道の旅(その5)

野岩鉄道の沿線にはダムが多いのですが、それ以上に多いのが実は温泉で……。ここでちょっと駅名を見ていきましょう。起点が東武鬼怒川線の「新藤原」です。次が「龍王峡」なのですが、ここから「川治温泉」「川治湯元」「湯西川温泉」「中三依温泉」「上三依…