東蒲原郡阿賀町
引き続き、1878/7/4 付けの「第十五信」(初版では「第十八信」)を見ていきます。イザベラは津川から新潟まで、阿賀野川を船で下っていました。 河上の生活 阿賀野川は、左右に迫る山の間を縫うように流れていましたが、五泉のあたりからは新潟平野の中を流…
今日からは、1878/7/4 付けの「第十五信」(初版では「第十八信」)を見ていきます。イザベラは、津川から新潟まで阿賀川を下ることにしたようです。 急ぎ 津川の宿からの出立は、想定外に慌ただしいものになったようです。 新潟行きの船は八時に出ることに…
1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。初版の「完全版」では漆に関する話題に脱線していましたが、ようやく純粋な旅行記に戻るようです。 津川の宿屋 イザベラ一行は津川(阿賀町)に投宿しました。宿屋は混雑していたものの…
1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。イザベラ一行は津川(阿賀町)に到着した……と思われます。 漆の木 日本奥地紀行「普及版」ではカットされた話題が続きます。続いては「漆の木」についての話題です。 漆の木 Rhus v. は…
1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。イザベラ一行は車峠の宿を出発し、津川(阿賀町)を目指します。 ひどい道路 眺めの良い部屋でオフを過ごしてリフレッシュした筈のイザベラ姐さんですが、翌朝は……平常運転と言いますか…
五十島駅を出発して、向こう岸のスノーシェッドを眺めているうちに、次の東下条駅が近づいてきました。ちなみに「東下条」と書いて「ひがしげじょう」と読ませます。変わった読み方ですね。その、変わった読み方の東下条駅がこちらなのですが…… 読み方が風変…
題名をようやくソフトランディングさせてみました。さて。会津若松を出発しておよそ 1 時間半ほどが経過して、津川駅に到着しました。津川は阿賀町(あがまち)の中心地ですが、町を流れる川は「阿賀川」ではなく「阿賀野川」になっています(新潟県に入ると…