「三航北国日誌」第 54 回です。本日は、Victorian Lady Traveler として名高い「イザベラ・バード女史」の足跡をつけ回します……じゃなくて、辿ります。
ちょっと寄り道(またか)
平取町某所の「Y 電」をお暇して、振内の「じゃんけんぽん」を目指して北に向かう……前に、ちょっと寄り道を。「こんなのができたよ」と教えてもらったもの(所?)がありまして。
というわけで、ひとっ走りしてやってきました。はい、
何の変哲もない橋ですね。「紫雲古津川向大橋」とあります。分かち書きをすれば「紫雲古津・川向・大橋」となります。「紫雲古津」と「川向」を結ぶ「大橋」です(そのまんま)。あ、「紫雲古津」の由来?については 2010/6/23 の記事をドゾヨロシク。
とまぁ、どう見ても「何の変哲もない橋」なのですが、ふつーの橋と何が違うかと言えば、妙にぴかぴかした(←)案内板があるところでしょうか。
どこかで見たことのある車が映り込んでいますね(←
イザベラ・バードが歩いたかもしれない道
拡大してみますと……
「イザベラ・バードが歩いた道」とあります。「イスラマバード」とは何の関係も無いので要注意です(←)。イザベラ・バードさんと言う方は、
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)はイギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記 "Unbeaten Tracks in Japan"(邦題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。
こんな方です。ふむふむ、この方が平取までやってきた、ということなのでしょうか? 金ピカの案内板には地図も添えられています。見てみましょう。
ふむふむ。こいつは凄いですね。函館から海沿いを延々と、往路ではちょっと海路をショートカットしたりもしていますが、これを見る限りでは平取が最終目的地だったようです。
1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳の日本人男性1名のみ)。
なるほど。どうやらこの旅のゴール?が平取だったのでしょうか。
本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。
「日本奥地紀行」は、今でも文庫本が入手可能みたいですが……まだ未入手だったりします。一度は読んでおいたほうがいいかも知れません(「本の虫」か)。
イザベラ・バードが歩いたとはちょっと考えづらい道(←
ちなみに、「イザベラ・バードが歩いた道」こと「紫雲古津川向大橋」は、この橋です。
イザベラ・バード女史は、地図を見る限り、苫小牧から「佐瑠太」(現在の「日高町富川」)を経由して平取に向かったと考えられます。だとすると、本来は沙流川を渡る必要は無いんですよね(船で遡上した可能性はありますが)。ですからここをイザベラ・バードが「歩いた」可能性は限りなく少ないわけでして……。というか、明治11年の時点で果たして沙流川に橋が架かっていたか、という所から考えないといけません。……ああ、何と夢のない話をしているんでしょう(←
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