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隠岐ジオパークの旅 (105) 「行在所ミステリー」

寄り道は計画的に

黒木神社(ちなみに「くろぎ」と読むのだそうです)の南側(海側)には、なにやらウッドデッキのようなものが見えます。

が……。寄り道はほどほどに、黒木御所跡に向かいましょう。この先三十メートルですからね。

なんだか神社までの道(即ち「参道」ですね)とは打って変わって(?)、随分と道が狭く感じますが……。

歩いていくと、立派な屋根のついた案内板があります。

太平記」曰く

この写真を、世界のフォトショでちょいちょいと変形すると、こーなります。

いやー、素晴らしい。「黒木御所」のフォントがいい感じなのですが、これは手書きなんでしょうねぇ。いい味が出てます。

さてさて。「太平記〕曰く」とありますね。ポイントを掻い摘んでピックアップしてみましょう(意味を重ねすぎ)。

府ノ島ト云フ所ニ黒木ノ御所ヲ作リテ皇居トス、
(「黒木御所」案内板より引用)

さて、ここで問題となるのが「府ノ島」と「黒木ノ御所」ですね。特に「府ノ島」の「府」には「こう」とルビが振ってある……ように見えます(ちゃんと見ておけば良かったなー)。「こう」というのは囲碁における……じゃなくて「国府」という字が当てられます(「国府津」という町がありますよね)。

隠岐国」の「国府」は、島後の国分寺のあたりにあった……とされています。「八百杉」で有名な「玉若酢命神社」のあるあたりですね。確かにこの文面からすると、「国府」のあった島に「御所」を構えた、とも読み取れてしまいます。なるほどねー……。

国府の黒木の御所か、府の黒木御所か

もちろん、「黒木の御所」という表現が「知夫郡黒木村」を指していたのであれば、後醍醐天皇の一行はこの一帯に仮住まいを構えていたとも考えられます。「黒木神社」の由縁を見た限りでは、少なくとも江戸時代には「ここに御所があった」という伝承が存在していたようなので、そう易々と「無かったこと」にすることもできないでしょう。

「黒木ノ御所」島前説を補強するならば、この辺の地名を見てみると面白いかも知れません。行在所は「府ノ島」にあったとされますが、ここの地名は「別府」です。:) そして、現在も西郷から来る船が(浦郷ではなく)別府に寄港するのは、「別府」が西郷との海運を考える上で適切な立地であるから、と言えそうです。

何が言いたいのかといえば、西ノ島に「国府」の出張所を置くとしたら、「別府」がちょうどいい場所にあるんじゃないか、ということです。……まぁ、でも、だからと言って「『府ノ島』は西ノ島なんだよ!」と自信を持って断言はできないんですけどね(かなり弱気)。

ちと旅に出ます

どうにもこーいったミステリー(?)には引き込まれてしまいますね……。ちょいと旅に出ちゃいますので、今日はこの辺で。明日もちゃんと更新できるといいのですが……。

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