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道東の旅 2011/春 (12) 「高架橋のようなもの」

謎の高架?橋

浦臼の駅前を通り過ぎ、一路「新十津川」に向かっていたところ……、左手になにやら気になるものが見えてきました。

見たところ、鉄道の線路のようにも見えます。しかしながら、札沼線は少し国道に近いところに現存しています。となると、何らかの理由で札沼線の付け替え工事が途中まで進んで、そのまま放棄された……なんてことがあったのでしょうか? でもそういった話は寡聞にして知りません。

高架橋のようなもの

ちょいと気になったので、国道から離れて現物を見に行くことにしました。

奥の方に見える壁のようなものが、先ほど見えた高架橋(のようなもの)に続いているようです。

不思議なことに、目の前の道路は謎の高架?を分断してしまっています。

まるで、行き止まりのようですね。反対側も見てみましょう。

これも、行き止まりの線路跡のように見えます。一体これは……、と思っていたところ、答えらしきものが見つかりました。

なるほど。これは用水路だったんですね。

用水路を作った理由を考えてみる

このあたりは石狩川の西岸にあたる部分で、石狩川まで行けば水は豊富なのですが、石狩川に注ぎ込む支流の流域面積は見たところそれほど広くありません。即ち、米作などを試みるには少々水の供給が不安定なところがあった……と見受けられます。

また、石狩川は言わずと知れた「暴れ川」で、古くは浦臼町の町域にも本流が蛇行して入り込んでいたようですが、近代の河川改修により、一部の「三日月湖」を残してその姿を消しています。さらに、「於札内川」という地名からは、地盤の透水性が高く、小河川が伏流しがちだったことも想像できます。

農業用水を安定して供給するために、たとえば古くは「樺戸集治監」の囚人が用水路を掘削したり……なんてこともあったようですが、現代では浦臼町の東北端で石狩川から揚水して、この「浦臼幹線用水路」に水を回している……ということのようです。

次回予告

ちょっとびみょーに尺が余ったので、珍しく「次回予告」などを。

この道路は、一見何の変哲も無い道なのですが、実はすんごい過去があったりします。さーて、それは何でしょー?

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