Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

利尻・礼文の旅 2012/夏 (214) 「今週のこぼれ話」

「かみふら」から「なかふら」へ

「斜線道路」で上富良野町を抜け、中富良野町に入ります。

富良野市」のまわりには、「上富良野町」「中富良野町」「南富良野町」といった「富良野ファミリー」が点在しています。「あれ? 下富良野は?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんが、実は現在の「富良野市」と「南富良野町」がもともと「下富良野村」だったのだとか。

今週のこぼれ話

中富良野町」と「上富良野町」は、このご時世にあっても市町村合併することも無く現在に至るのですが、「角川──」(略──)にこんなこぼれ話?が記されていました。

大正12年になって三重団体・島津農場などの参加する草分土功組合が結成され,用水の集団管理が始まった。この年旱魅のために富良野川は渇水に至り,7月半ばの某日,下流の中富良野村西部一帯の農民が上富良野農民の閉じた水門を次々と開け放った。これを知った上富良野側も続々と集まり,下流側が堰を外し,上流側が止める度に石が投げられ,遂に石合戦となった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.727 より引用)

何と大人げない……と思われるかも知れませんが、作物が実るか、それとも枯らしてしまうかは死活問題だったわけで、文字通り「食うか食われるか」の瀬戸際にあった……ということなんでしょうね。で、この石合戦の顛末ですが……

この紛争は降雨によって一応解消されたが,その後両村に微妙な対立感情が残ったといわれる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.727 より引用)

ふむ。お天道様も見るに見かねて慈雨を施してくれたというところでしょうか。で、この「微妙な対立感情」が未だに尾を引いて合併話がまとまらない、とかだったらちょっと面白い(失礼!)んですけどね。

閑話休題

閑話休題中富良野町に戻りましょう。「ベベルイ川」(あるいは「ペペルイ川」)はこのあたりを流れる川の名前ですが、こうして地名としても現役で残っています。漢字を当てようとしなかったのか、あるいは当てた漢字があまりに難解で使われなくなったのか、どっちでしょうね。

看板の裏には、さりげなくラベンダー畑の写真が。

すぐに富良野市

中富良野町に入ってからおよそ 5 分で、今度は富良野市に突入です。いやー、短かったな中富良野町……(汗)。

これは鳥沼のあたりだったでしょうか。陽の差し込む森の中を駆け抜けるのは心地よいものです。

ナンバーリバー

いかにも「作り直しました」感たっぷりの踏切を渡ると……

国道 38 号線(国道 237 号線と重複区間)です。

「十四線川」という、何とも味気ない名前の川を渡ると……

今度は「十五線川」が(汗)。

これは格子状に設けられた道路の名前から来ているようなのですが、道路自体は何と「二十七線」まであるようです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International