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「日本奥地紀行」を読む (38) 栃木(栃木市)~例幣使街道 (1878/6/12)

前回に引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきましょう。

栃木の宿屋(続き)

さて、悪夢のような……あるいはコントのような……一夜が明けて、イザベラはついに栃木の宿屋から解放されることになります。

私は七時に宿を出ることになり嬉しかった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.87 より引用)

これは偽らざる心境でしょうね。そして、イザベラの貪欲な観察眼も輝きを取り戻します。

出かける前に襖がとりはずされ、自分の部屋だったものも、大きな広々とした畳座敷の一部分となる。このやり方によって、徽臭くなるのを効果的に防ぐことになる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.87-88 より引用)

日本家屋は柱と襖でできているようなものですから、襖を外してしまえば確かに残るのは柱だけです。イザベラの洞察通り、風通しを良くすることでカビの発生を防いでいたのでしょうね。あとはホコリを払ったりでしょうか。こうやって指摘されてみると「和風建築」がいかに高温多湿の土地向けに最適化されているのかが改めて実感できます。

イザベラの車夫を見る目は概して好意的なものでした。なんとなく、マッチョでガテン系というイメージが見て取れるのですが、そうでありながら実は紳士的なプロフェッショナルだったようです。

車夫たちが私に対して、またお互いに、親切で礼儀正しいことは、私にとっていつも喜びの源泉となった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88 より引用)

当時の車夫が一般的に礼儀正しかったのか、それともイザベラの人力車を任されたクルーが特に優秀だったのかはちょっと読み取れませんが、もしかしたら後者だったのかもしれませんね。英国淑女に対する畏敬の念と多少の気後れがあったとしても驚くには値しませんし、むしろそういったものは無かったと考えるほうが無理があるような気もします。

笠とマロ(ふんどし)だけしか身につけない男たちがばか丁寧な挨拶をするのを見るのは、実におもしろい。お互いに話しかけるときにはいつも笠をとり、三度深く頭を下げることを、決して欠かさない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88 より引用)

そう考えてみると、このような車夫の礼儀正しい所作が一転してコミカルなものにも見えてしまいます。ただ、イザベラは車夫たちの振る舞いに満足していましたから、これはこれで良かったのかな、とも思えます。

イザベラ一行は栃木の宿屋を出て、北に向かって進みます。

宿屋を出てまもなく、私たちは幅広い街道を通った。両側には私が今まで見たこともないような大きくてりっぱな家が並んでいた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88 より引用)

「幅広い街道」というのが、かつての「例幣使街道」であったことが後ほど明かされますが、旧・例幣使街道は現在でも主要地方道のままで、国道扱いでは無いようです。栃木市の中心部には全く国道が通っていないみたいですね。

掛物《壁にかけた絵画》が横壁にかけてあり、実に美しかった。その畳も、きめが細かく白かった。裏側には大きな庭園があり、泉があり花が咲き、ときには渓流が流れ、石橋がかかっていた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88 より引用)

さて、その例幣使街道沿いにあったと思われるこれらの建物について、イザベラはとても好意的な感想を残しています。何しろ前夜の宿屋で悲惨な目に遭った直後のことですから、イザベラも目を輝かせながら伊藤少年に「これは何なの?」と尋ねたことは容易に想像がつきます。ところが……

看板から察して、それらは宿屋だろうと思った。しかし伊藤にたずねてみると、それらはすべてカシツケヤといっていかがわしい茶屋であると答えた。これはたいへん悲しい事実であった(*)。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88 より引用)

むむっ。どの辺がどのように「いかがわしい」のかは具体的に記していませんが、「カシツケヤ」という語感からすると、借金のカタに取られた女性が働かされている「茶屋」だったのかもしれませんね。

まぁ、この手の(事実上の)人身売買による商売は世の東西を問わないものですが、19 世紀の日本においても普通に存在していた、と言えそうです。

*原注──私の北国旅行中に、私はしばしば粗末で汚い宿に泊まらなければならなかった。それは良い宿屋はこの種類のものだったからである。旅行者が見てぞっとするものは少ししかないとしても、日本の男性を堕落させ、とりこにする悪徳を示すものは、表面上にさえも多くあらわれている。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.88-89 より引用)

ちょっと話がずれますが、現代の日本においても、海外からやってきた観光客が「その手のホテル」に泊まってしまい、アメニティや室内設備の充実ぶりに大喜び!という、何とも笑えない話があるそうですね。こうやって見てみると、130 年前の日本から伝統が綿々と受け継がれているようで、何とも言えない気分になれますね。

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