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アイヌ語地名の傾向と対策 (230) 「女満別・パナクシュベツ川・トマップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

女満別(めまんべつ)

nimam(-kus)-pet??
舟(・通行する)・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

網走市美幌町の間にある地名で、同名の川も流れています。女満別空港があるところとしても知られています。

ただ少し不思議なのが、女満別町女満別川の河口部にあるのではなく、むしろ網走川網走湖に注ぐあたりにあることです。女満別川は大空町(旧・女満別町)と網走市の境界あたりを流れていて、網走市呼人(よひと)の近くで網走湖に注いでいます。

では、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

永田地名解は「メマン・ペッ。冷(すずしき)川」と書いたが,網走市史地名解は「メマンペッ mem-an-pet(泉池・ある・川)。この川の奥の湿原に泉池があり,鮭が夥しく産卵するために入ったものだという」と書いた。知里さんが土地のアイヌ古老の話を聞いて書いたもののようである。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.209 より引用)

というわけで、mem-an-pet で「泉池・ある・川」と解釈できるようです。

「ニマンベツ」の謎

……と、ここまでの解釈には一点の曇りも無いのですが、個人的には一つ大きな疑問が残っています。と言うのも、松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」には、「ニマンヘツフト」「ホロニマンヘツ」「ホンニマンヘツ」のように、「メマン──」ではなく「ニマン──」となっているのです(按東扈従にも「ニマンベツ」の記載あり)。

松浦武四郎の複数の著作に出て来る「ニマンベツ」が、明治期の地形図では「メマンペッ」となり、その解釈が現在でも継承されているのですが、「ニ」が「メ」に復元?された経緯については良く分かりません(どなたかご存じの方がいらっしゃいましたらぜひご教示を)。

松浦武四郎が残した「ニマンベツ」という記録が顧みられなかったのは、そのままでは解釈が容易ではなかったことも一因として考えられそうなのですが、実は古いアイヌ語nimam という言葉があったそうです。

nimam。舟を意味する古い語。〔北海道先史学十二講『言語と文化史─知里真志保』北方書院,昭和24年11月〕P.90。
(佐々木弘太郎「樺太アイヌ語地名小辞典」みやま書房 p.135 より引用)

ちなみに、樺太には nimam-kus-pet と解される地名があったとのこと。「ニマンベツ」の場合は nimam(-kus)-pet で「舟(・通行する)・川」だった可能性も考えられそうです。

この仮説だと、何故「ニマン」が「メマン」に化けたのかも説明できる……かも知れません。nimam は(知里さんの説によると)「古い語」だったので、既に明治期のインフォーマントには単語そのものが忘れ去られていた、という可能性も出てきます。そして偶々「ニマンベツ川」の流域に mem があったため、「これは『ニマンペッ』ではなくて『メマンペッ』だろう」という話になってしまった……というストーリーはどうでしょうか?

パナクシュベツ川

pa-na-kus-pet?
海寄り・の方にある・通行する・川
(? = 典拠未確認、類型多数)

女満別川の東支流で、旧・東藻琴村(現・大空町)の近くから女満別川に注いでいます。

「パナクシュベツ川」という音からは、pa-na-kus-pet で「海寄り・の方にある・通行する・川」と解釈することができます。そう、こんなところで kus-pet が出てきたのでした(!)。

pa-na-kus-pet があるということは、pe-na-kus-petkus-pet があっても不思議は無いのですが、東西蝦夷山川地理取調図にはそれらしい川の名前は見当たりません。もしかして、nimam-petnimam(-kus)-pet で、pa-na-kus-petpa-na-(nimam-)kus-pet だったのではないか……などと想像したくなります。

もっとも、それだとパナクシュベツ川だけ pa-na-nimam-pet とならなかった理由が良くわからなくなるのですが。

トマップ川

to-oma-p
沼・そこに入る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

トマップ川は、女満別空港の東側を流れる小河川で、女満別の市街地の東側を抜けてそのまま網走湖に注いでいます。

では、早速ですが山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

トマップ川は低地の小流で,網走市史地名解は「ト・オマ・ㇷ゚。沼・に入って行く・もの(川)」と書いた。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.210 より引用)

確かにトマップ川は網走湖に注いでいるので、この解は至極もっともなものに思えますが、実はこの解は知里さん流のものなので、川を遡った先にトー(沼)が無いとおかしい、ということになってしまいます。山田さんも、

このトは網走湖とは考えにくい。ふつうこの形だと川上に沼があったと読まれる。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.210 より引用)

と注釈を入れていました。ただ、女満別空港があるあたりがかつて沼地だったとも考えづらい(台地状の地形なので)ため、沼地があったとするならば、それは女満別の市街地のあたりだったのではないかと思えます。

とりあえず、知里さんの解釈を基本的に継承して、to-oma-p で「沼・そこにある・もの(川)」としておきましょう。

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