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アイヌ語地名の傾向と対策 (366) 「波恵・門別・幾千世」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

波恵(はえ

{hay-e}?
その・イラクサ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

日高本線の「豊郷駅」の近くを「波恵川」という川が流れています。現在の地名は「豊郷」なのですが、かつては地名も「波恵」でした。

ということで、まずは北海道駅名の起源を見てみましょう。

  豊 郷 (とよさと)
所在地 (日高国沙流郡門別町
開 駅 大正13年9月6日(日高拓殖鉄道)(客)
起 源 もと「波恵(はえ)」といい、アイヌ語の「ハイ」(イラクサ)から出たものであるが、部落名を改称したため、昭和19年4月1日、これに合わせて「豊郷」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.90 より引用)

「波恵」の地名が失われたのも太平洋戦争中だったのですね。この時期に失われた地名は本当に多いですね……。「波恵」は {hay-e} で「その・イラクサ」と言った意味でしょうか。

蝦夷日誌にも次のように記されていました。

ハイ〔波惠〕(川、はし、魚や有)本名アイにて蕁麻(いらくさ)多き義。遅流水悪く鱒(ます)・鯇(あめます)・チライ・桃花魚(うぐい)あり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.153-154 より引用)

こちらも「イラクサ」説のようですね。永田地名解も見ておきましょう。

Hai  ハイ  蕁蔴(イラクサ) 元名ハ「アイ」ニシテ刺(トゲ)ノ義ナリ蔓ニ刺(トゲ)アリ故ニ「アイ」ト名ク「ハイ」ハ通音ナリ○波惠村

永田流に少々掘り下げた解が記されていますね。いずれにせよ「波恵」が「イラクサ」から来ていると見て良さそうな感じです。

山田秀三さんの「北海道の地名」にも、ちょっと興味深い一節があったので引用しておきましょう。

波恵の人はシュムンクル(西の人)の一族で,ハユンクル(hai-un-kur 波恵・の・人)と呼ばれた。その波恵の酋長オニビシと,メナシュンクルであるシビチャリのカモクタインやシャクシャインとの争いが,有名なシャクシャインの乱の発端なのであった。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.360 より引用)

おお、シャクシャインに暗殺されたオニビシはハユンクルだったのですね! 「東蝦夷日誌」にも記載がありますが、シャクシャインの戦いが終わった後、ハユンクルの多くはシビチャリ(静内)に移ったのだそうです。

門別(もんべつ)

mo-pet
静かな・川
(典拠あり、類型多数)

かつては沙流郡門別町という町名だったのですが、平成の大合併で「沙流郡日高町」となりました。この「日高町」ですが、なんと町域の 56.8 % ほどが飛び地になっています。元々は門別・平取・日高の三町で合併協議を始めたものの、門別と日高の間にある平取が合併協議から離脱してしまったため、巨大な飛び地ができてしまったというオチのようです。

今回は永田地名解から見ていきましょう。

Mo pet  モ ペッ  小川 又静謐ノ川○門別村谷元旦蝦夷紀行ニ「モンベツ」水急ニシテ淺シ「モン」ハ流ルヲ云フ雪水大ニ流ル川ナレバ「モンペツ」ト名ク「モンペツサル」ト云フ地名アルハ場所ノ名ナリ此ハ「サラ川」ノ「アイヌ」ヲ「モペツ」ニ集メテ場所ヲ開キタルニ據ルナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.226 より引用)

ふわー、えらく長く語ってますね(笑)。ただ、地名の由来という面では mo-pet で「静かな・川」である、という以上のことは書かれていないような気もします。「モンベツ」は道内各所に点在していますが、「静かな川」の意図するところは「流れが穏やかである」というだけではなく、「洪水が少ない」あるいは「疾病が少ない」と解釈する場合もあったようですね。

幾千世(いくちせ)

yuk-chise-nay
鹿・家・沢
(典拠あり、類型あり)

道内には「紋別」や「幌内」など同字同音の地名が点在していますが、この「幾千世」も十勝郡浦幌町沙流郡日高町に存在しています。漢字で三文字の地名がダブるのは、割と珍しいんですよね。

戊午日誌「東部茂無辺都誌」には次のようにありました。

またしばし過
     ホンユクチセナイ
小川なり。此辺谷地木立原。其名義は鹿の巣なる故此名有りと。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.614 より引用)

どうやら幾千世の手前に「ホンユクチセナイ」があったようで、その先に「ユクチセナイ」がありました。

扨是より原を二丁計行て
     ユクチセナイ
是ユクチセの本川、右の川すじと二河合して一河と成て落るよし也。源はモイワ岳より来る。其名義前に云ごとし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.614-615 より引用)

どうやら yuk-chise-nay で「鹿・家・沢」だったようですね。更科源蔵さんは次のように記していました。

鹿の家でもあるようにいつでも鹿が集るところだったからであるという。

道内のあちこちにエゾシカが多いのは周知の事実ですが、そう言えば平取にも「ユクチカウシ」(yuk-kut-ika-us-i)という地名がありました。このあたりは鹿系の地名が散見されるようです。

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