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アイヌ語地名の傾向と対策 (448) 「関内・熊石・平田内川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

関内(せきない)

supki-nay
茅・沢
(典拠あり、類型あり)

熊石町(今は合併して八雲町熊石ですが)最西端の集落の名前で、同名の川も流れています。「かんない」じゃなくて「せきない」なので気をつけましょう。

この「関内」、東西蝦夷山川地理取調図には「セキナイ」と記されていますが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

平磯転太石浜壱丁斗にして、
     関 内 村
人家十二軒、熊石村分也。此処北はタン子シタ、南卜ヽメキ岬の間にて一小湾をなし。其間小川有て、其手前に村居す。皆漁者のみ也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.264 より引用)

うーん、残念ながらヒントは無さそうですね。一方で「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

セツキナイ(人家十餘軒、小海、船懸りよし)、關内に改む。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.10 より引用)

ふむ。どうやら元々は「セツキナイ」あるいは「セッキナイ」という地名だったのでしょうか。……と思ったのですが、永田地名解には意外な解が記されていました。

Shupki nai  シュㇷ゚キ ナイ  茅澤 關内村

ほう。……なるほどねー。「スㇷ゚キ」が「セツキ」に化けたという説ですが、確かにありそうな感じもします。今日のところはこの説に乗っかっておこうとおもいます。supki-nay で「茅・沢」としておきましょう。

熊石(くまいし)

kuma-us-i
魚乾棚・多くある・もの(ところ)
(典拠あり、類型あり)

かつて、久遠郡大成町(現・せたな町)と爾志郡乙部町の間に「爾志郡熊石町」という自治体がありました。「熊石雲石(──うんせき)町」のあたりに「熊石漁港」があるので、元々はこのあたりを指す地名だったと思われます。

八雲町に合併後は、旧・熊石町の地名に軒並み「熊石──」がつけられたので、「八雲町熊石○○町」がわんさかある状態です。


アイヌ語通訳のパイオニアとして知られる上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には、次のように記されていました。

熊 石        泊所 蚊柱村 江 三里程
  夷語クマウシなり。則、網屋(ナヤ)の生すと譯す。扨、クマとは魚類、又は網等干に杭の上に棹を渡したるをいふ。「是を」松前の方言 ニ ナヤといふ。ウシは生すと中事にて、昔時、此辺漁事多くありて、鯡、鱈、鮊其外、網屋の夥敷ある故、此名ある由。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.88 より引用)※「」内は引用元書籍による。


「鮊」は「さわら」と読むそうです。また「鮊子」だと「いかなご」なのだとか。

扨(さて)、上原熊次郎説について検討する前に、ささっと「西蝦夷日誌」も見ておきましょうか。

其熊石も本名はクマウシにして、魚棚多との訛りし也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.10 より引用)

ありゃ。随分とあっさりと片付きましたが、書いてあることは「蝦夷地名考并里程記」も「西蝦夷日誌」も同じことで、kuma-us-i で「魚乾棚・多くある・もの(ところ)」と考えて良さそうです。

ちなみに、西蝦夷日誌には続きもありまして……

村人は夷言たる事を忘て、雲石とて雲の如き石有故號(なづ)くといへり。信ずるに足らず。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.10 より引用)

この一文から推測するに、現在「雲石町」は「うんせき──」と読んでいますが、もともとは「くもいし──」だった可能性がありそうな気がします。

永田地名解にも似たような話が書いてありました。

Kuma ushi  クマ ウシ  魚乾竿アル處 熊石(クマウシ)村ノ原名ナリ松前人「ウシ」ヲ「イシ」ニ訛ルコト甚ダ多シ或人云村内ニ雲石ト稱スル大岩アリ熊石ハ雲石ノ訛ナリト按スルニ雲石ノ側ニ雲石山門昌庵ト稱スル曹洞宗アリ此庵ハ雲石ノ側ニ在ルヲ以テ雲石山ト稱シタルノミ「クマウシ」ノ地名處々ニアリ怪シムニ足ラズ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.146 より引用)

えーと、「熊石」が「雲石」から来てるという説があるけれど、「雲石」よりも「熊石」のほうがあちこちにあるので、やっぱ「熊石」がオリジナルなんだよ、と言ったところでしょうか。さて、「雲石」は「うんせき」なのか「くもいし」なのか、気になって昼寝もできませんね。

ヤンカ山

2010 年のアルペンスキー総合チャンピオンにカルロ・ヤンカという人がいますが、多分関係ないですよね(絶対関係ない)。

この「ヤンカ山」ですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました

此辺は両岸峨々として山聳え、左りの方を ヤンケ岳と云、右の方 ヒヤミツ岳と云。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.261 より引用)

これは「ヒラタナイ」こと「平田内川」を遡った際の記録なのですが、平田内温泉の手前あたりの描写と考えられそうです(左に「ヤンカ山」、右に「冷水岳」が見える)。

「ヤンカ山」あるいは「ヤンケ岳」という音から想像できるのは、やはり yanke(「陸に上げる」)でしょうか。少し気になるのは、東西蝦夷山川地理取調図では「ヒラタナイ」の西側に「ヤスケサキ」という地名が記されていることです。yas-ke であれば「掬われる」と言った意味に取れそうな気も……。あるいは「花畔」のように yas-otke で「網・群在させる?」とも……?

なお、東西蝦夷山川地理取調図には現在の「突符山」にあたる山に「ヤンカ岳」と記されています。

平田内川(ひらたない──)

pira-ta-san-nay
崖・そこにある・山から浜に出る・沢
(典拠あり、類型あり)

熊石平町と熊石鮎川町の間を流れる川の名前です。全く同名の川久遠郡せたな町大成区平浜にも流れていますが、大成の平田内川が 1 km 程度の短い川だったのに対し、熊石の平田内川はざっくり計測しても 10 km はあります。長さだけで言えば熊石の圧勝です(何の話なんだか)。

大成の「平田内川」は pira-ta-nay で「崖・そこにある・沢」じゃないかという話でしたが、熊石の「平田内川」の地名解は果たしてどうでしょうか。散々盛り上げておいて全く同じだったというオチが一番ありそうなのですが……(汗)。

ということで、永田っちにお伺いを立ててみました。

Pira ta san nai  ピラ タ サン ナイ  崖ノ方ヘ流ル川 此川口ニ白岩アリ屏立ス故ニ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.146 より引用)

おお。意外や意外、若干ニュアンスを変えてきました。pira-ta-san-nay で「崖・に・山から浜に出る・沢」となるのですが……どうにも据わりの悪い解ですね。「崖・そこにある・山から浜に出る・沢」だったら多少マシでしょうか。

san がどこに消えたのか……というか、永田っちがどこから san を引っ張ってきたのかが謎ですが、他に有力な情報もなさそうなので、今日のところは一旦この解で行こうと思います。

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