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秋の道南・奥尻の旅 (196) 「昭和新山身上書」

昭和新山と三松正夫記念館の話題を、あとちょっとだけ続けます。はい、ちょっとだけですから。あんたも好k(ry

ということで、実物の昭和新山(の写真)の次に、こちらの模型をご覧いただきましょう。

一見、ただの模型にしか見えないのですが……いや、ただの模型なんですが……

なんとこちらの模型、「天覧模型」だったのだとか。明治 21 年生まれの三松さんにとって、雲の上の更に向こう側の存在だった昭和天皇にご進講することになろうとは、さすがに思っても見なかったことだったのでしょうね。

三松さん入魂の一作の中から、溶岩ドームをクローズアップしてみました。

マンガン

展示物の話題を続けます。何やら良くわからない蜂の巣のようなもの(ぉぃ)が置いてあったのですが……

実はこちら、「菱マンガン鉱」の結晶(の塊?)だそうです。形と色味の良いものは宝石として珍重されるとのこと。展示品には詳しい説明が無かったので、昭和新山有珠山と関係のあるものかどうかはわかりませんでした。

天然セメント

火山の噴火は、時には菱マンガン鉱のような「宝石」を生むこともありましたが、基本的には火山灰や軽石、土石流など、どちらかと言えば必要のないものを大量に噴出する……という印象があります。

ただ、戦中の物資不足に苦しんでいた海軍はなんと火山灰に目を向けたようで、「天然セメント」と称して八雲町に建設していた飛行場の滑走路の土台として使用するために火山灰を採取していったのだとか。その実用性については良くわかりませんが、面白いことを考えたものですね。

卵と馬鈴薯

実用性という話では、こんな写真も残されています。

昭和新山観測のために登山した時の昼食は、岩のすき間から噴出する地熱を利用してのクッキング……」とあります。ちなみにこの時の三松さんは卵と馬鈴薯を茹でていたのだとか。

昭和新山身上書

最後に、「昭和新山身上書」なるものをご覧に入れます。

氏名は「昭和新山」、生年月日は「昭和 20 年 9 月 20 日 (満 53 才) 平成 10 年 9 月 20 日現在」とあります。本籍地は「北海道胆振国有珠郡壮瞥町昭和新山 186 番地」で、続柄は「寄生火山 第 9 子」なのだそうです。他にも「保護者」や「後見人」、「主治医」や「賞罰」などが記されています。

たとえば賞罰には「世界的な希少価値と学術的意義により特別天然記念物に指定される 昭和 32 年 6 月 19 日」とあります。一番下には「身体的特徴」があるのですが、どれもウィットに富んだ傑作ぞろいです。詳しくは是非「三松正夫記念館」で!

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