やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
室蘭(むろらん)
胆振総合振興局の所在地で、胆振地方の中心的都市のひとつです。運輸支局もあり、「室蘭ナンバー」が交付されています。
鉄道では JR 北海道の「室蘭本線」があり、また「室蘭駅」もあります。室蘭本線は長万部から岩見沢までの 211.0 km を結ぶ線が「本線」で、室蘭から東室蘭までの 7.0 km が「支線」となっています。これは歴史的経緯に依るものですが、ちょっと皮肉な状態ですね。
ということで、まずはいつも通り「北海道駅名の起源」を見ておきましょう。
室 蘭(むろらん)
所在地 室蘭市
開 駅 明治 30 年 7 月 1 日(北海道炭砿鉄道)
起 源 アイヌ語の「モ・ルエラニ」(子である下り道)の意である。むかし運上屋が元室蘭の地にあって室蘭場所といったが、のち運上屋を絵鞆(えとも)に移したあとも依然として室蘭場所といいこの地方を「室蘭」というようになった。
知里さん(知里真志保)と言えば、言わずと知れたアイヌ語研究の大家であり、また無類の地名好きとしても知られた存在でした(何をいきなり)。有名な「地形擬人化」を始めとした独創的な説は、やがて事実上の定説として認められたものも少なくありませんが、そんな知里さんの独自の説の一つとして「河川親子説」とでも呼べるものがありました。
河川親子説
これは、最もわかりやすい形にすると、poro-(一般的には「大きい」と解釈される)を「親である」と解釈し、pon-(一般的には「小さい」と解釈される)を「子である」と解釈するものです。河川における親子関係は、即ち「本流」と「支流」の関係になるわけで、よって poro- を冠する河川と pon- を冠する河川は須く本流支流の関係であるべし……という考え方でしたが、実際には、必ずしもこの「法則」に当てはまるケースばかりでは無かったようです。
mo- についても考えるところは同じで、「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。
(ii) 川について云えば,二つの川が並んで存在するばあいに大きい方を親と考え,それに対して小さい方を子と考えて mo- をつけることは上記したとおりであるが,その他に,本流を親と考え,それに対して支流を mo- で表わすことも多い。
ここまでの内容を押さえた上で「──駅名の起源」を見てみると、なるほど、この項目は知里さんが担当したのかな、と思えてきます。知里さんは室蘭の隣の登別の生まれで、室蘭は「準地元」とも言える町であり、実際に地名解の執筆にも優先的に取り組んでいたとのことですから、可能性は割とあるんじゃないかと思えるのですが……。
室蘭も移転地名でした
「──駅名の起源」にある「モ・ルエラニ」は、mo-{ru-e-ran-i} で「小さな・{坂}」と解釈できます。ru-e-ran-i を逐語解すると「路・そこで・降りる・ところ」となるでしょうか。
「室蘭」も、厳密には「浦河」や「紋別」あるいは「増毛」のような「移転地名」でした。「──駅名の起源」にも「むかし運上屋が元室蘭の地にあって」と記されていますが、この「元室蘭」は現在の「崎守町」のあたりを指します。よって mo-{ru-e-ran-i} は崎守町のあたりに存在したことになります。
ググってみた
……何も勿体ぶる必要はありませんね。Google で「室蘭地名発祥の地」というキーワードで検索したら、ちゃんとこのようにヒットします。
山田秀三さんの「登別・室蘭のアイヌ語地名を尋ねて」には、次のように記されていました。
松浦氏の『初航蝦夷日誌』では伊達の方から来て、「ツハイペツ(千舞別川)を越て、三、四丁もこう野を越て坂にかかる。赤土にして雨後はすべり甚難所なり。さて峠より九折、また赤土すべる坂を下りて浜に出。しばし来りてモロラン」とある。この下り坂がモルランだったらしい。
現在の国道 37 号がダイナミックなルートを通っている(ほぼ 180 度近く向きを変えている)こともあって若干ピンと来ないところもあるのですが、松浦武四郎が歩いた道は室蘭本線の「元室蘭トンネル」に近いルートだったようです(幅員は狭そうですが、道路として現存しています)。
チマイベツ川から元室蘭(崎守)までは、岬が海に落ち込んでいる地形のため、下手に危険な海沿いを経由するのではなく、ショートカットして山越えするルートが選ばれた、ということなんでしょうね。鞍部から崎守に向かって下る坂を mo-{ru-e-ran-i} と呼んだ、ということでしょう。つまり、厳密には「室蘭地名発祥の地」は、もうちょっと坂の上(峠の近く)なのかもしれませんね。
小さい……静かな……それとも?
最後に難問がひとつ残りました。ru-e-ran-i は「坂」と解釈するほか無いとして、mo- をどう解釈するか、という話です。知里さんは自説にこだわり「子である」としましたが、近くに「親である坂」の存在は伺えません。
「東蝦夷日誌」には、次のように記されていました。
地名譯てモルランにて、小また静也。ルは路、ランは下る義也。小道を下ると云也。
やはり、確たる正解と言えるものは無さそうな感じですね。mo- を poro- の対義語として「小さな」と解釈するのも悪く無さそうですが、チマイベツ側の坂と比べて傾斜が緩そうだということから「穏やかな」と解釈するのが良いのではないでしょうか。
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