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三江線各駅停車 (33) 「浜原」

沢谷から次の「浜原」までは、三江線は西に向かって進みます。この右往左往ぶりはもはや凄いとしか……。

浜原駅(はまはら──)

沢谷から 3.7 km ほどで、浜原に到着です。浜原駅は 1937 年(昭和 12 年)から 1975 年(昭和 50 年)までの間、ずっと三江線(→三江北線)の終着駅でした。そのため、現在も交換設備のある大きな駅です。

下り線のホームが見えてきました。下部が中空になっているシンプルな構造です。

駅名標と駅舎の写真を無理やり撮影してみました。

上り線ホームと下り線ホームの間は跨線橋があるようですね。駅名標と例のアレの写真を撮影したのですが、残念ながら例によってピントが合わず……(恥)。このあたりのホームは昔ながらの構造なので、もともと短いホームがあって、どこかのタイミングで延伸したというところでしょうか。

例のアレ「大蛇」

ということで、浜原駅の「例のアレ」こと「三江線神楽愛称駅名」は「大蛇」と書いて「おろち」と読む、のだそうです。そういや同じく島根県広島県を結ぶ「木次線」というローカル線がありますが、木次線出雲坂根三井野原の間を並走している国道 314 号には「奥出雲おろちループ」という橋がありましたね。

ぶらり三江線WEB」の「神楽愛称駅名 演目解説」によると、この「大蛇」は「日本神話のクライマックス『八岐大蛇』を神楽化したものです」とのこと。舞台は「出雲国斐伊川上流」だとのことで……あれ、やっぱ木次線沿線じゃないですか(汗)。

なんで木次線沿線の話が浜原の「例のアレ」なんだろう……という謎が出てくるのですが、「演目との関連等」によると「『大蛇』は斐伊川氾濫の治水が基になったとされ、浜原ダムは「中国太郎(江の川)」治水の要であることから連想」とのこと。やや無理くり感のある連想だったということでしょうか(汗)。

待合室の中に?

江の川の治水の要である浜原は、三江線の運行の上でも要となる駅の一つです(浜原から式敷、あるいは三次まで「大雪によるバス代行」なんてこともありました)。下り線ホームにも随分と立派な待合室があります。

待合室の中に絵が描いてある……のかと思いましたが、これは我らが石見川本行き 424D の 1 両目が写り込んでいるだけでした。デザインの全容は石見川本到着後にじっくりと!

昔の名残?

浜原駅の下りホームは、江津側も下が中空の構造でした。三江線は、かつては臨時列車として快速や急行が設定されていた時期もあるので、延伸されたホームはその名残だったりするのでしょうか。

口羽から浜原までは 1975 年(昭和 50 年)の開通ですが、浜原から石見簗瀬までは 1937 年(昭和 12 年)の開通です。そんなこともあってか、駅の北側にはふつーに踏切がありました。

 

口羽から浜原の間には踏切がない……のかと思ったのですが、沢谷駅の東に踏切がありましたので、少なくとも踏切ゼロでは無かったです。

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