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三江線各駅停車 (35) 「明塚」

三江線は粕淵を出発すると、今度は南に向かって走り出します。まるで巨大なΩカーブのようですね……。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

野井仮乗降場(のい──)

粕淵から立派な鉄橋で江の川を渡った先に「野井」という集落があります。かつてこの野井のあたりに「野井仮乗降場」があったのだそうです。

歴史
当仮乗降場は、明塚駅 - 粕淵駅間に所在した。1972 年の昭和 47 年 7 月豪雨による江の川の水害で明塚駅 - 浜原駅間が不通になったさい、粕淵駅手前の損傷した橋梁の手前(明塚駅側)に設置され、当仮乗降場 - 粕淵駅間で渡船連絡を行った。代行バスの運行開始にあわせて廃止された。開業日・廃止日ともはっきりしないが、1972 年 11 月号から 1973 年 11 月号までの時刻表に掲載されていた。
Wikipedia 日本語版「野井仮乗降場」より引用)

あ……、やはり。江の川の鉄橋が割と新しく見えたのは、この水害が契機だったのかもしれませんね。

野井仮乗降場跡から明塚へ

「野井仮乗降場」のあったあたりを通過して、列車は南に向かって進みます。この写真を撮影したのが 11:38 頃なので、思いっきり逆光ですね。

三江線は、並走する道路から見て一段高いところを通っています。並走する道路は大型車が通れないくらいの道なので、代行バスは川の向こう側を通っていたみだいですね。

右手に謎の空き地?が見えてきました(冬でお休み中の畑みたいですね)。間もなく次の「明塚」です。

明塚駅(あかつか──)

明塚駅に到着しました。一面一線のシンプルな構造……というか、線路にホームがついているだけの「仮乗降場」っぽい雰囲気ですね。

明塚駅の開業は 1967 年(昭和 42 年)とのこと。三江線の石見簗瀬と浜原の間が延伸されたのが 1937 年(昭和 12 年)のことですから、開通から 30 年後に設置された駅ということになります。前述の通り、1972 年の水害の際には代行バスが通れる道が無かったため、代行バス化と同時にこの駅は見捨てられたということになりますね。

例のアレ「」

明塚駅の「例のアレ」こと「三江線神楽愛称駅名」は「黒塚」という演目だそうです。舞台は陸奥国(栃木県)那須野ヶ原と言いますから、どう考えても三江線は関係無さそうな……。

ぶらり三江線WEB」の「神楽愛称駅名 演目解説」には、「演目との関連等」として次のように記されていました。

塚とのゴロからの連想。

ついに「語呂合わせ」であることを認めましたね(汗)。

明塚から石見簗瀬へ

このあたりは、江の川の向こう側に県道 40 号「川本波多線」が通っていることもあってか、東側(左岸)の道路はいい感じにくたびれているようです。

江の川はゆったりと右にカーブしています。

三江線も、江の川と山の間の僅かな隙間を縫うように走ります。

県道 40 号の橋が見えてきました。県道がこの橋で対岸に渡っているため、代行バス明塚駅の前に来ることは無かった、ということになりますね。

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