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春の東北小旅行 2015 (68)「思惟する大橋」

岩手県下閉伊郡田野畑村は、村の中央を「松前川」という川が流れています。田野畑村の中心地は海抜 200 m くらいの台地の上にあるのですが、松前川は台地のど真ん中を深さ 100 m 以上の谷を刻んで流れています。そんな松前川を渡るために、国道 45 号には「思惟大橋」という橋が架けられています。

道の駅「たのはた」は、そんな「思惟大橋」のすぐ近くにあります。120 m 近く下を流れる松前川を眺めるビューポイントになっているようです。

ところで、こちらの案内標識、アルファベット表記をよく見ると "Park Shiinoohashi" とあります。「思惟大橋」は「しいおおはし」と読むのだと思っていたのですが、「しいのおおはし」なんでしょうか。

更には「思惟の森」もあるそうなのですが、それには英語で "Forest of Meditation" と記されています。Meditation は「瞑想」と訳す場合が多いようですが、「熟慮」の意でも使えそうなので、「思惟」の英訳としても適切なのかもしれません。

思惟する間もなく

そんなことを思惟しながら車を走らせていたところ、いきなり「思惟橋」が見えてきました。あれ、意外と小ぶりな……

と思ったのですが、何のことはなく、「思惟橋」は「思惟大橋」のちょい手前にある別の橋の名前でした。本物の「思惟大橋」が前方に見えてきましたね。

「道の駅」はスルーして(すいません)、「思惟大橋」を渡ります。高さは(既述の通り)約 120 m、長さも 300 m 以上ある長大橋です。

上から見ると、ふつーの「長い橋」にしか見えないのですが、横から見るとこんな形をしてるんですよね。下路のアーチが見事です。

「思惟大橋」は確かに「思惟の大橋」だった

それにしても、この「思惟大橋」というネーミングは一体なんなんだろう……と思ったのですが、日本橋梁建設協会さんの Web ページにその答えが記されていました。

 田野畑に赴任する役人や教師があまりの険しい断崖の道に「行くか、戻ろうか」と思い悩んだ思案坂、職を投げ出してまで帰ってしまった辞職坂でようやく隣村とつながっていたということです。
日本橋梁建設協会 Web サイト「思惟大橋」より引用)

この「思惟大橋」は、「思案坂」ではなく「辞職坂」の代わりに架けられた橋だったようです。「思案坂」だけでも十分面白いのに、「辞職坂」というネーミングのインパクトと言ったらもの凄いですね。

「隣村とつながっていた」というのは、かつての「浜岩泉村」のことを指しているのだと思います。もっとも浜岩泉村(と沼袋村)は 1889 年に当時の田野畑村と合併して現在の田野畑村となっているようなので、1984 年の思惟大橋架橋から数えても 95 年も昔の話になるようですが……。


また、Forest of Meditation こと「思惟の森」の由来についても答えが記されていました。1961 年に発生した森林火災をきっかけに、前年に田野畑に滞在した早稲田大学の学生有志による植林活動が始まったのだそうです。

この活動は「思惟の森の会」という名前で代々の学生が続けたとのことで、「思惟大橋」の名前も「思惟の森の会」に由来するとのこと。なるほど、思惟の結果辞職を思いとどまったというストーリーなのかと思ったのですが、びみょうに違ったようです(汗)。

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