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アイヌ語地名の傾向と対策 (638) 「熊碓川・朝里」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

熊碓川(くまうす──)

kuma-us-i
物乾かし棚・多くある・川
(典拠あり、類型あり)

函館本線の小樽築港駅の東に「平磯岬」という岬があり、平磯岬の上のほうには「平磯公園」という公園があります。熊碓川は平磯公園の東を流れています。もとはこのあたり一帯の地名も「熊碓」だったようですが、「船浜町」や「桜」などの地名に変わってしまったようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「クマウシ」という地名が記されています。また「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。

小石浜通りしばし行て、
     ホントマリ
     クマジシリバ
     クマウス
訛て熊石と云。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.441 より引用)

永田地名解には次のように記されていました。

Kuma ushi  クマ ウシ  魚乾棚多キ處 ○熊碓村ト稱ス

ふむ、十勝の「熊牛」と同系の地名っぽいですね。kuma-us-i で「物乾かし棚・多くある・川」と解釈できそうです。

朝里(あさり)

as-sar??
向こう側の・葭原
at-sar?
おひょう(楡)の樹皮・葭原
(?? = 典拠なし、類型あり)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

小樽築港から札幌方面に向かうと、次の駅が「朝里」です。また札樽道・小樽 IC の次の IC も「朝里 IC」です(西行きは本線料金所がありますね)。朝里川を遡ると「朝里川温泉」もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」では

「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると「マサリ」という川と「アサリ」という川が描かれています。実際に「柾里川」(まさり──)が朝里駅の近くを流れているようなのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「マサリ」と「アサリ」の位置が逆になっているようです。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

シレエト(岬)、廻りて(五町十間)アサラ(小川、番や、蔵々、いなり社)、本名アツウシナイのよし、今訛てアサリ〔朝里〕と云り。名義、楡皮多き澤の義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.178 より引用)

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「シレヱト」の隣に「アツウシナイ」があり、その隣が「マサリ」となっています。「アツウシナイ」が「アサリ」と同一だったのであれば単純な作図ミスのようにも思えますが、どうやら「アツウシナイ」と「アサリ」は別の場所として捉えていたようです。

「再航蝦夷日誌」では

具体的には、「再航蝦夷日誌」の以下の記述です。

廻りて
     アツウシナイ
小川有。徒(かち)渡り。二八小屋有り。幷て
     アサリ
小川有。漁小屋。二八小屋有り。此辺り等絶壁にして風景実ニよろし。又しばし行て転太石有。此上皆二八小屋引つゞき也。幷て
     マサリ
夷人小屋。二八小屋。此処迄クマウシより凡一りと思ふが、皆二八小屋立ツヾき也。小川処々ニ有り。皆清水流れ也。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻吉川弘文館 p.20 より引用)

「アサリ」が現在の「朝里川」のことだとすると、「アツウシナイ」は一体どの川のことを指すのか……という疑問が出てきます。現在の「熊碓川」が「アツウシナイ」だった、ということになるのでしょうか。

「竹四郎廻浦日記」では

「竹四郎廻浦日記」には概ね「西蝦夷日誌」と同じような内容が記されていました。前後関係を正確に把握するために、ちょっと長めに引用します。

     アサラ 訛りてアサリと云、本名アツウシナイなるべし。
川有、架橋有。小石浜にて大岩処々に有。二八出稼十六軒、番屋一棟(梁四間、桁七間)、雑蔵、雇夷人小屋、廊下等有。稲荷の社有(梁二間、桁二間半)。また並びて、
 川有。巾五六間、急流。南岸高し。少し入て椴松斗也。少し行て右の方 タツウシナイ、又少し上り左り ウヲヲリコマナイ、又少し上りて右の方 サマツケアサラ、 又しばしにて ヲカコマアンナイ、滝有。此処迄凡三里、雑樹多し。此辺至て難所也。
     モアサラ
マサリと訛る也。小石浜。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.441 より引用)

「東西蝦夷山川地理取調図」では、「マサリ」の支流として「タツウシナイ」や「サマツケマサリ」などが記されていました。なるほど、「東西蝦夷──」の「マサリ」は、純粋に「アサリ」の書き間違いだった(ご丁寧に「サマシケマサリ」までありましたが)ようですね。

「アツウシナイ」は at-us-nay で、「西蝦夷日誌」の記述から考えると「おひょう(楡)の皮・多くある・川」となりそうですね。ただ、「アツウシナイ」が「アサラ」になる流れが不明で、山田秀三さんも疑問に思っていたようです。

文から見ると,at-sar「おひょう楡(のある)・湿原」ぐらいに呼んだものか?
山田秀三北海道の地名」草風館 p.497 より引用)

うーん、どうなんでしょうね。

「永田地名解」では

一方で、永田地名解にはこれまでのものとは全く異なる斬新な解が記されていました。

Ichani  イチャニ  鮭ノ産卵場 和人「イザリ」ト訛ルヲ常トス因テ漁(イサリ)ノ字を充用セシヲ漁ノ字ハ「アサル」ノ訓アルヲ以テ「アサリ」ト呼ビ遂ニ朝里村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.87 より引用)

ichan-i は「サケ・マスの産卵場」だったのではないか、という説です。恵庭に「漁川」という川がありますが、それと同じで、ついでに「漁」の読み方が「いざり」から「あさり」変わってしまったのではないか……と考えたようです。

面白い説ですが、「漁」が一旦「アサリ」に変わってから改めて「朝里」という字が当てられた、というのが若干引っかかります。また、これまでの松浦武四郎の解を完全否定するには、もう少し傍証が欲しくなります。

「北海道駅名の起源」では

「北海道駅名の起源」には、またこれまでとは異なる説が記されていました。

  朝 里(あさり)
所在地 小樽市
開 駅 明治 13 年 11 月 28 日(幌内鉄道)(客)
起 源 アイヌ語の「マサリ」(浜ぞいの草原)から出たものである。別に「イチャニ」が「イザリ」(漁)となり、「漁」は「あさる」であるから、「あさり」と変ったという説もある。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.38 より引用)

masar で「浜の草原」ではないか、という説です。「柾里」の解釈としては良さそうな感じがしますが、「朝里」(あさり)と「柾里」(まさり)が並んでいたと考えると、この解釈も少々苦しいような気がします。masarasar と変化するケースがあったのかも……とも思ったのですが、ちらっと調べた限りでは確認できませんでした。

「北海道の地名」では

山田秀三さんの「北海道の地名」では、この謎の多い地名について、次のようにまとめられていました。

 どうも分からない地名。①によってアッ・ニ(おひょう楡)とサル(草原)とを続けても何か変である。研究問題として残したい。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.498 より引用)

研究課題として残されてしまいました(汗)。

試案

「アツウシナイ」が「アサリ」に変化したという説には疑問が残りますが、永田地名解の ichan-i 説や「北海道駅名の起源」の masar 説も同様に、あるいは松浦説以上に疑問が残ります。これらの説を見比べながら、もしかして……という仮説が一つ思い浮かんできました。

(現在の)小樽から見た場合、朝里の一帯は「向こう側」と認識できそうな気がします。ということで、ar-sar で「向こう側の・葭原」と考えられないかなぁ、と。知里さんの「アイヌ語入門」には「r は,s の前でも,それに引かれて s になる。」とありますので、実際には as-sar と発音されたと考えられます。

現在の朝里のあたりが「葭原」だったかと言われると少々弱気になったりもしますが、ichan-imasar よりは可能性があったりしないかな……などと。

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