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アイヌ語地名の傾向と対策 (654) 「砂寒別川・中記念別沢川・上記念別沢川・ケチカウエンオビラシベ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

砂寒別川(さかんべつ──)

so-us-pet
滝・ある・川
(典拠あり、類型多数)

小平町達布の北側を流れる、小平蘂川の支流の名前です。源流部に遡った先には「佐官別山」があります。山と川で字が異なるのに読みは同じ、というケースはちょくちょく目にしますね。

この「砂寒別川」ですが、大正 11 年に測図されたいわゆる「陸軍図」では「ソウシュベツ沢」と記されています(「ソウシベツ沢」かもしれません)。so-us-pet で「滝・ある・川」と読み解けそうです。

so-us-pet がなぜ「砂寒別川」になったのか……という話ですが、源流部にある「佐官別山」に引っ張られた、ということなんでしょうね。「佐官別山」の北東側(苫前町)には「サカンベツ沢」があるため、ルーツを辿ると苫前の「サカンベツ沢」にたどり着くのではないかな、と想像しています。

中記念別沢川(なかきねんべつさわ──)

panke-kene-pet
川下側の・ハンノキ・川
(典拠あり、類型あり)

小平蘂川の上流には「小平ダム」があり、ダム湖である「おびらしべ湖」が形成されています。中記念別沢川は「おびらしべ湖」に注ぐ南支流です。

明治時代の地形図を見ると、「中記念別沢川」のところに「パンケケ子ペッ」と記されています。panke-kene-pet で「川下側の・ハンノキ・川」と考えられそうです。

ややこしいことに、「下記念別沢川」という川が別に存在します。詳細は 8/18 の記事にも記しましたが、panke-kene-pet と「下記念別沢川」は別の川で、特に関連はありません。


「東西蝦夷山川地理取調図」には「バンゲケ子ヘツ」という北支流並んで記されています。少なくとも川上側が「ペンケ」であることは容易に想像がつきそうなものですが、うっかりミスがあったのでしょうね。南北を間違えるのは良くあるミスで、小平蘂川筋は聞き書きによるものと思われるので、誰かが間違えた、ということなのでしょう。

竹四郎廻浦日記の記述を引用しておきます。

扨又彼右りの方へ上らば、しばしにて ハンケヲマケ子ツフ、又しばし行て ヘンケヲマケネツフ、此処より右の方ウリウ川すじ ニセノシケヲマフ、また右の山え上り越る時はルヽモツヘ川すじに出るよし也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.495 より引用)

これを素直に読むと panke-oma-kene-pet という川名だったようにも読み取れますね。「川下側・そこにある・ハンノキ・川」と解釈できそうです。

上記念別沢川(かみきねんべつさわ──)

penke-kene-pet
川上側の・ハンノキ・川
(典拠あり、類型あり)

「おびらしべ湖」の東で小平蘂川に合流する東支流(南支流)の名前です。「下記念別沢川」というややこしい例があったので念の為に追記しますが、「上記念別沢川」は penke-kene-pet で「川上側の・ハンノキ・川」だったと考えられます。以上です!

「記念別ファミリー」には他に「奥記念別川」もありますが、この川については残念ながら旧名を突き止められませんでした。

ケチカウエンオビラシベ川

wakka-wen-{o-pira-us-pet}
水・悪い・{小平蘂川}
(典拠あり、類型あり)

小平蘂川の上流部で北から合流する支流の名前です。「ケチカ」からはこれまた kene 系の川名じゃないか……と想像したくなるのですが……

なんと、明治時代の地形図を見ると、現在「ケチカウエノビラシベ川」とされている川のところに「ワㇰカウエンオピラウㇱュペッ」と書いてあります。「ワㇰカ」が「ケチカ」に化けるという、なかなか豪快な誤記だったようです。

「ワㇰカウエンオピラウㇱュペッ」は wakka-wen-{o-pira-us-pet} で「水・悪い・{小平蘂川}」と解釈できます。何らかの理由で飲用に適さない、あるいは毒を含有した水が流れていたのでしょうね。

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