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アイヌ語地名の傾向と対策 (668) 「パンケホロベツ川・ペンケホロベツ川・オモシルシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パンケホロベツ川

panke-poro-pet
川下側の・大きな・川
(典拠あり、類型多数)

道道 688 号「名寄遠別線」の「第一共栄橋」の近く(下流側ですが)で遠別川に合流する東支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハンケホロヘツ」という名前の川が描かれています。また「竹四郎廻浦日記」にも「バンケホロベツ」という名前で記録されています。

あまりに一般的な名前だからか、永田地名解には記載がありません。panke-poro-pet で「川下側の・大きな・川」と解釈できるのですが、他の川(たとえば北にある「ルベシュベ川」や、南にある「オモシルシベツ川」と比べてもそれほど大きな川とは言えないような気がします。

ただ、これはおそらく比較対象を間違えているだけで、たとえば「パンケホロベツ川」と「ペンケホロベツ川」の間にもいくつかの小さな谷があります。これらの川と比べると「大きな川」ということで、poro-pet と呼ばれたのでしょうね。

ペンケホロベツ川

penke-poro-pet
川上側の・大きな・川
(典拠あり、類型多数)

道道 688 号「名寄遠別線」の「第二共栄橋」と「奥島橋」の間あたりで遠別川に合流する東支流の名前です。

「竹四郎廻浦日記」には「ベンケホロベツ」という名前の川が記録されていますが、面白いことに「東西蝦夷山川地理取調図」には「ペンケホロベツ川」に相当する川が見当たりません。「ハンケホロヘツ」と「ヲモシルシ」の間には「ホコヘツ」と「ニヽモケナイ」という川が描かれているのですが、実際には川らしき川は「ペンケホロベツ川」しか無いので、さてどう考えたものかと……。

あっ、「ホコヘツ」が「ホロベツ」の誤記だった可能性がありそうですね(今頃気づいた)。


とりあえず「ペンケホロベツ川」の地名解ですが、penke-poro-pet で「川上側の・大きな・川」と言う解釈で問題ないかと思っています。「ルベシュベ川」や「オモシルシベツ川」と規模的に大差のない川が poro-pet と呼ばれたのは、もっと身近な小河川との比較だったのだろう……というのは前述の通りですが、「パンケホロベツ川」と「ペンケホロベツ川」が「大きな川」で括られてしまったのは、他に特徴づけるポイントが無かったのだろうな……と考えると、少し気の毒な感じもしてきました。

オモシルシベツ川

o-mosir-us-pet
河口・島・ある・川
o-mosir-ru-pes-pe?
河口・島・道・それに沿って下る・もの
(典拠あり、類型あり)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

ペンケホロベツ川の 4~5 km ほど南で遠別川に合流する東支流の名前です。遠別川に合流する直前に道道 688 号「名寄遠別線」の橋があるのですが、名前が「面白橋」だったりします。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲモシルシ」という名前の川が描かれています。「竹四郎廻浦日記」には「ヲムシユルベシベ」とありますが、明治時代の「北海道地形図」には「オモシルシペッ」とあります。おおよそ合っているのですが、微妙に違いがあるとも言えそうです。

念のため両案を検討しておくと、「ヲムシユルベシベ」であれば o-mosir-ru-pes-pe で「河口・島・道・それに沿って下る・もの」となります。文法的には若干妙ですが、o-mosir(-un)-ru-pes-pe で「河口・島(・ある)・道・それに沿って下る・もの」だとすれば良さそうです。

「オモシルシペッ」であれば o-mosir-us-pet で「河口・島・ある・川」となります。ということで、あとは ru-pes-pe(=峠道)としての実用性を考えれば良いことになるのですが、地形図を見た感じでは中川町の「オソウシュナイ川」に出るのに良さそうな峠道と言えそうな気もしてきました。

ということなので、「ヲムシユルベシベ」という別解?もノイズではなく、実際にそう解釈する流儀もあったのかもしれないな……と思えてきました。両論併記が良さそうな感じでしょうか。

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