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アイヌ語地名の傾向と対策 (677) 「オソウシュナイ川・シマロップ川・志文内川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オソウシュナイ川

o-so-us-nay?
河口・滝・ついている・川

 

(? = 典拠未確認、類型多数)

中川町佐久のあたりで天塩川に合流する「安平志内川」(あべしない──)という南支流があります。オソウシュナイ川は安平志内川の下流部から中流部に差し掛かるあたり(中川町共和)を流れる西支流です。

「東西蝦夷山川地理取調図」と「北海道地形図」を一通り眺めてみましたが、それらしい川の存在を確認できませんでした。また永田地名解や「天之穂日誌」にも該当しそうな川の記載が見当たりません。

「オソウシュナイ」という音からは、やはり o-so-us-nay で「河口・滝・ついている・川」と考えるしか無いかなぁ、と思わせます。実際に地形図を見てみても、特段この解釈と矛盾する感じはありません。

シマロップ川

suma-rupne-nay??
石・大きくある・沢

 

(?? = 典拠なし、類型あり)

「オソウシュナイ川」の河口から安平志内川を 2 km ほど遡ったところで合流する東支流の名前です。美深町にも全く同じ名前の川が流れていますね。

中川町の「シマロップ川」も、「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」に記載がありません。永田地名解には「シュマ ルプネ ナイ」という川の記録がありますが、これは美深町のシマロップ川のことを指していると思われます。

美深町の「シマロップ川」の近くには「島呂布」という地名があるのですが、遠く離れたむかわ町にも「島呂布沢川」という名前の川があります。面白いことに、永田地名解はどちらも「シュマ ルプネ ナイ」である、としています。suma-rupne-nay は「石・大きくある・沢」と読み解くことができそうです。

となると、安平志内川の支流の「シマロップ川」も suma-rupne-nay で「石・大きくある・沢」と考えるのが妥当でしょうか……。音からは suma-oro-p で「石・のところの・もの(川)」と解釈することもできるかもしれませんが……。

志文内川(しぶんない──)

supun-nay?
うぐい・川

 

(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)

シマロップ川の河口は道道 118 号「美深中川線」の「三の橋」から 150 m ほど下流側にありますが、志文内川は「三の橋」から 150 m ほど上流側で安平志内川に注いでいます(東支流です)。

「志文」という地名も道内各所に見られますが、ここもおそらく由来は同じだと思われます。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロシユフンナイ」という川が描かれていますが、位置が若干異なるように見受けられるので注意が必要です。

「天之穂日誌」には次のように記されています。位置関係を把握するためにちょっと長い目に引用します。

 扨、此川口を入るや右の方シユシユタイウシナイ、此処小川柳のみのよし。又こへて壱里計も上るや、右の方ルークシアヘシナイ、此処より浜え堅雪の節二日半にて越るよし也。此事は路辺之辺志に志るしたれば此処には略しぬ。しばし上りて左りの方サンチツナイ、又上りて右の方小川、ヲン子ルベシベと云り。是より堅雪の節はウエンヘツのルウチシヲマナイの源へ越る也とかや。又しばし上り、左ヲヽイチヤシナイ、並でホロシフンナイ、此辺小石浅瀬にして鱒・鯇の卵を置処のよし。シユフンヘツには桃花魚多しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.497-498 より引用)

安平志内川の最大の支流は、現在「ワッカウエンベツ川」と呼ばれる西支流ですが、天之穂日誌の記述を見る限りは「ワッカウェンベツ」ではなく「ルークシアヘシナイ」と呼ばれていたように見受けられます。ここで問題となるのが、「ヲヽイチヤシナイ」と「ホロシフンナイ」のどちらも「ワッカウェンベツ川」よりも上流側を流れているように記されていることです。

少し話が逸れましたが、もしかしたらこの川は「ホロシフンナイ」(大シフンナイ)ではなく「ホンシフンナイ」(小シフンナイ)だったかもしれませんし、だとすれば全て矛盾も解決するかもしれません。「志文内川」は supun-nay で「うぐい・川」と考えていいかな、と思われます。

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