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アイヌ語地名の傾向と対策 (743) 「留寿都」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

留寿都(るすつ)

ru-sut
道・麓

 

(典拠あり、類型あり)

羊蹄山の南東、尻別岳の南に位置する村および集落の名前です。スキー場を核とするリゾート地として有名かと思います。

留寿都はどうやら川の名前では無かったようで、「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たりません。ただ、丁巳日誌「報志利辺津日誌」や戊午日誌「作発呂留宇知之日誌」には「ルソチ」と記されていて、また明治時代の「北海道地形図」には「ルソツ」と描かれていました。

更科さんの説

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

この語源についてはルシュプキでけわしい葦原道ということだといわれているが、明治二十年代の地図にはルソツという地名になっている。

「ルシュプキ」は ru-supki あたりでしょうか。永田地名解などをちらっと見てみましたが、それらしき記述を見つけることができません。更科さんはどこから「ルシュプキ」説を引っ張り出したのでしょう……?

道が臂(シットク)のように曲がっているところを意味する。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.52 より引用)

これは橇負山の西で道道 257 号「留寿都喜茂別線」がカーブしていることを形容している……のかと思ったのですが、これは完全な勘違いでした。現在はたまたま西に大きくカーブするルートとなっていますが、昔はまっすぐショートカットするルートだったようです(その分、急勾配だったのでしょうが)。

ル・シットクであるかもしれないと思われるが、
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.52 より引用)

持論(推論?)を滔々と著述した更科さんは、文の最後を次のように締めています。

たしかなことはいえない。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.52 より引用)

(汗)。

山田さんの説

一方で、山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

留寿都 るすつ
 洞爺湖喜茂別町の間の高原の村名。尻別岳の南麓で,真狩川と貫気別川(豊浦の)がこの辺から流れ出ている。この地名の由来は松浦日誌にも永田地名解にも見えないので,少し詳しく私見を書きたい。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.468 より引用)

おっ、これは助かりますね。

 明治24年20万分図,明治29年5万分図では,ここをルソツと書いている。留寿都の形と合わせ考えると,アイヌ語時代の原名はルスッ(ru-sut 道の・根もと)と見るのがまずは自然である。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.468 より引用)

ふむふむ。確かに ru-sut で「道・根もと」あるいは「道・麓」と解釈できますね。

 現在我われは洞爺湖から北上して留寿都に行き,尻別岳の東麓を通って喜茂別に出るのが普通であるが,この快適な観光道路は明治の地図にはない。そのころは尻別岳の西側の裾の高台を越えて尻別川筋に出るのが道筋なのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.468 より引用)

現在の国道 230 号に相当する道路が「明治の地図にはない」というのは少し言い過ぎかも知れませんが(少なくとも「北海道地形図」にはそれらしき道路が描かれています)、洞爺湖の北岸から尻別川筋に出る場合は、現在の道道 257 号「留寿都喜茂別線」を通るのがセオリーだったと考えられます。アイヌの交通路の特徴として「急勾配を厭わず、最短距離を重視する」という原則がありますが、その原則に即したルートでもありますね。

 松浦図には幕末当時のアイヌの交通路が朱線で描いてある。留寿都の地名は書いてないが,その隣のソリヲイ(sori-o-i 橇・に・乗る・処)は書いてあり,地形の上でも留寿都の位置が分かる。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.468 より引用)

あっ、これは見落としていましたが、確かに現在「武四郎坂」と呼ばれるあたりから「ソリヲイ」を経由して「ヒン子シリ」(尻別岳)の西側を経由する赤い線が描かれています。

当時のル(道)は留寿都からピンネシリ(尻別山)の西側の方を越え,ルウサンの処で尻別川に出ていたのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.468-469 より引用)

お見事です。そうなんですよね。「留産」が ru-o-san-i であることを事前に把握していたので、この推察は個人的にもとても納得できるものです。

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