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アイヌ語地名の傾向と対策 (771) 「ソーキプオマナイ川・オチヌンベ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ソーキプオマナイ川

so-kip-oma-nay?
滝・額の生え際(上)・そこにある・川
(? = 典拠あり、類型未確認)

滝里ダムの下流側(南側)で空知川に合流する川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川の存在は確認できませんが、明治時代の地形図には「ソーキプオマナイ」と描かれていました。

一方で、丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

三四丁も岩角伝ひ行に
     シヨキコマナイ
右の方に有水清冷の由。川巾弐問計也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.376 より引用)

「シヨキコマナイ」を力業で解釈してみると、soske-oma-nay で「地肌が顕れている崖・そこにある・川」とかでしょうか。

『キプ』は『キム』と同じ

ただ、明治時代以降は「ソーキプオマナイ」で一貫していて、もしかしたらその礎を築いたかもしれない永田地名解にも、次のように記されていました。

Sō kip oma nai  ソー キㇷ゚ オマ ナイ  瀧ノ上ニアル川 「キプ」ハ「キム」ト同シ

うーん。確かに知里さんの「──小辞典」にも kip は「②=kim.」とあります。ただ、この「『キプ』は『キム』と同じ」というのは若干ミスリード気味かもしれません。改めて知里さんの「──小辞典」を引用してみます。

kip, -i キㇷ゚ ①前頭。②=kim.
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.48 より引用)

角川日本地名大辞典・北海道(下巻)」には、山田秀三さんの「アイヌ語地名の話」という読み物があり、その中に次のような文がありました。

 また滝のすぐ上とか下に注いでいる川の場合には,動詞ばかりでなく,次のように位置を示す言葉も加えて呼ぶことが多かった。
  so-shut-oma-nai(shut は根もと),so-kesh-oma-nai(kesh は末端),so-pok-oma-nai(pok は下),so-pa-oma-nai(pa は上),so-kip-oma-nai(kip は
額。つまり上のところ)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(下巻)」角川書店 p.1317-1318 より引用)

はい。どうやら so-kip-oma-nay は「滝・額の生え際(上)・そこにある・川」と考えられそうです。実は永田地名解の解釈そのままではないか……という話なのですが、つまるところは「『キプ』は『キム』と同じ」という補足が完全に蛇足だったような気もします。

閑話休題

最後に残った問題が、「シヨキコマナイ」と「ソーキプオマナイ」のどっちが正しいのか……という話です。「コ」が「ポ」の聞き違いであれば so-kip-oma-nay で間違い無さそうかな、と思えます。というのも、ソーキプオマナイ川が空知川に合流する地点から下流側が、両岸に岩がせり出した渓流のように見えるからです。

オチヌンベ川

o-chin-un-pe
河口に・獣皮の張り枠・ある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

JR 根室本線・野花南駅の東で空知川に合流している東支流の名前です。オチヌンベ川を渡っている道道 70 号「芦別美瑛線」の橋は「新落辺橋」という名前ですが、戦前の地図を見ると「落邊」とあり、「落」の字に「オチヌン」とルビが振られたりしていました。要は「落辺」を「オチヌンベ」と読ませていたみたいなのですが、これまた豪快な力業ですね……。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲチシベ」という川が描かれています。明治時代の地形図には「オチヌンペ」と描かれているので、明治時代に記録された川名が基本的にそのまま生き残ってそうな感じですね。

丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

過て
     ノカナン
右の方中川にして、フトの巾七八間にて、滝に成て落来る也。
     ヲチンベ
両岸聳え川岸皆怪石奇石。左りの方に小川一条流れ落、川巾も弐十間また十五六間の処に成、其間深しと。其岩間水落る処は滝様に成て白浪を打まきたり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.373 より引用)

あ。「東西蝦夷山川地理取調図」の「ヲチシベ」は「ヲチンベ」の誤記だった可能性がありそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Ochinunpe, =O-chin-un-pe.  オ チヌン ペ  熊皮ヲ乾ス處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.64 より引用)

ふーむ。この chin(獣皮を張る枠)という語彙は時折地名に出てきますが、なぜ地名として使われるのか、今ひとつピンと来ていなかったりします。おそらく chin を置く場所には何らかの立地条件があるのだと思うのですが……。

山田秀三さんの「北海道の地名」にも、次のように記されていました。

チンは製革するため,皮を張り枠に張る意であるが,諸地の地名から見ると,その張り枠の意にも使っていたらしい。オ・チン・ウン・ぺ「o-chin-un-pe 川尻に・張り枠・ある・者(川)」であったろう。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.68 より引用)

山田さんも永田地名解の内容を追認していたようですね。o-chin-un-pe で「河口に・獣皮の張り枠・ある・もの(川)」と考えて良さそうな感じです。

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