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アイヌ語地名の傾向と対策 (776) 「樺戸川・総富地川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

樺戸川(かばと──)

(? = 典拠あり、類型未確認)

新十津川町の南部を流れる川の名前です。「樺戸」は郡名でもありますが、川の規模は割と小さなものです。

この「樺戸」について、まずは永田地名解を見てみましょう。

樺戸郡 「カパト」(Kapato) ハ水艸ノ名、和名、「ハカホネ」、今人「コウホネ」ト云フ郡中「オサッナイ」ト「ウライウㇱュペッ」ノ間ニ河沼アリ河骨多シ故ニ名ク今人月形村ヲ「カバト」ト思フハ非ナリ文政四年上下樺戸場所ヲ置ク

ふむふむ。「カパト」は「コウホネ」だと言うのですが、確かに知里さんの「植物編」には次のように記されていました。

§266. コォホネ Nuphar japonicum DC.
kapato (ka-pá-to)「カぱト」根莖 《幌別

ということで、「樺戸」は kapato で「コウホネ」と考えて良さそうでしょうか。

ちょいと余談ですが

現在の「樺戸川」は新十津川町の「南十六号線」に沿う形で直接石狩川に注いでいますが、もともとは石狩川に並行する形で南に流れていました。新十津川町浦臼町の境界は少し不自然な形で南に伸びていますが、この町境がかつての「樺戸川」の流路だったみたいです。

なお、新十津川町浦臼町の境には「樺戸境川」という川が流れていますが、古い地図では「ニナルシュカパト」と描かれていました。ninar-us-kapato で「台地・ついている・樺戸川」あたりかと思われます。

また、永田方正が「月形村を『カバト』と思うは非なり」との註をつけていますが、「樺戸」と言えば月形であるという解釈が広まっていたのは「樺戸集治監」が月形にあったことからも裏付けられるかもしれません。

総富地川(そっち──)

so-puchi??
滝・入口
(?? = 典拠なし、類型あり)

徳富川(とっぷ──)の南支流の名前です。徳富川を河口から遡った場合、最初の支流ということになります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ソフチ」という名前の川が描かれていました。また「再篙石狩日誌」にも「ソフチ」という名前で記録されています。

永田地名解には次のように記されていました。

Sopchi  ソプチ  ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.57 より引用)

伝家の宝刀「?」が久々に炸裂した感じでしょうか。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

総富地川 そふちがわ
山田秀三北海道の地名」草風館 p.50 より引用)

まず読み方からして多少の違いがありそうですね。大正時代の陸軍図には「惣富地川」という記入もありました。

ソ・ウㇱ(滝が・ある)とも聞こえるが,滝はない由である。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.50 より引用)

「滝は無さそう」とした上で、次のような試案を出されていました。

あるいはソッキ(sotki 寝床。獣や魚が集まる処)の転訛かもしれないが,音だけの話で資料が全く見当たらない。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.50 より引用)

なるほど……。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」などに「ソフチ」とあるほか、明治時代の地形図にも「ソㇷ゚チ川」「ペンケソㇷ゚チ川」「パンケソプチ」とあります。どうやら現在総富地川の本流とされている川は「ペンケソプチ川」で、「砂金沢川」と呼ばれている川が「パンケソプチ」だったようです。

sotki が「そっち」や「ソㇷ゚チ」に化けたという説は一考の余地がありますが、古い記録が軒並み「ソフチ」あるいは「ソㇷ゚チ」で統一されているので、そうだとすれば、かなり昔に地名の取り違えがあったと考える必要がありそうです。

改めて so の意味を知里さんの「──小辞典」で確認してみると……

so そ(そー) ①水中のかくれ岩。②滝。③ゆか(床)。④めん(面); 表面一帯。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.125 より引用)

so と言えば「滝」という印象というか、固定観念のようなものがありますが、これを見る限りは so と呼べる範囲?は結構広いようにも思えます。中流部から上流部にかけて「水中のかくれ岩」のある、少し勾配の目立つ川だったのかもしれません。so-puchi で「滝・入口」だったのでは無いでしょうか。

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