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冬の愛媛・大分フェリー旅 2020 (20) 「八幡浜市立日土小学校」

八幡浜市日土町川辻というところにやってきました。八幡浜市日土町森山から 3.0 km の間は異常気象時に通行規制されますが、その終点が日土町川辻だったんですが……まぁ、普通そんなこと覚えてないですよね。

ちなみに、まるで旗のような形で立っている看板には「八幡浜方面 国道 197 号 4 km」とあります。ここから路盤を広げようとしているということは、ここまでは別ルートで整備する腹積もりなんでしょうか……?

安定の 30 km/h 制限

既に整備が終わってセンターラインの引かれた道路であるにもかかわらず 30 km/h 制限とは……?

……と思ったのですが、この道幅では仕方がないですね。

ところどころ広くなっている場所があって、幸いにもその近くで対向車とすれ違います。

国の重要文化財

ここは八幡浜日土郵便局の前ですが、ここで対向車と遭遇したなら冷や汗ものでしょうね……。

郵便局の前を抜けると、左側に小学校のグラウンドが見えてきます。幸いなことにここは「八幡浜市立日土小学校」という現役の小学校で……

しかもこの小学校、中校舎と東校舎が国の重要文化財に指定されているとのこと(!)。開校は 1876 年と言いますから、イザベラ・バードが「日本奥地紀行」を敢行する 2 年前ということになります(!!)。

Wikipedia によると、次のような理由で文化財として指定されているとのこと。

1956年竣工の中校舎と1958年竣工の東校舎はいずれも同県大洲市出身の建築家松村正恒(1913年~1993年)が八幡浜市建築課に勤務していた時の設計による2階建て木造建築で、鉄筋コンクリート造や鉄骨造がほとんどのモダニズム建築を木構造により実現した極めて稀なもの。学校建築としても日本でクラスター型教室配置計画を採用した唯一木造による最初期のもの。

建築意匠としては、水平に連続する窓、喜木川に張り出したテラスや緩やかな外階段などの特徴がある。
Wikipedia 日本語版「八幡浜市立日土小学校」より引用)

さすがに明治初期の建物ではなかったですが、当時市役所の建築課に勤務していた公務員の設計、というのは面白いですよね。

ここでも地すべり活動中

県道 28 号に話を戻しますが、小学校の通学路を兼ねているからか、道路脇の白線の外側(歩行者側)に緑色の線が追加されています。

ところが、ここでは……(汗)。道路脇の法面が地すべりを起こしてしまったのか、本来の車線の真ん中あたりに土嚢が積まれてしまっています。いやー、本当に「地すべり活動中」なんですね……。

ペースカーの先導で

八幡浜市日土町新堂というところにやってきました。どうやらかつての村役場はこのあたりにあったのだとか。そして前方に軽トラが見えてきました。ここからは大人しくペースカーの後ろを走ることになります。

数分後。喜木川にかかる橋が見えてきました。県道 28 号はこの橋を渡るようです。

ペースカーが脇道に逸れたようです。再スタートも近そうですね。

……と思ったのですが、なんと「脇道」に見えたのが県道 28 号だったとのこと(汗)。

暗黙のルール?

慌てて軽トラの後ろをついてゆくと……うわぁー、またしても狭い道……。対向車が来たら大変だろうな……と思ったのですが……

何事も無かったかのように、喜木川沿いに戻ってきました。

この川沿いの交叉点ですが、逆アングルで見るとこのようになっています。県道へは右折する必要があるのですが、特に案内はありません。


南行きの車は県道を通り、北行きの車は川沿いの裏道を通るように誘導しているようにも見えます。どちらも一方通行では無さそうなのが謎ですが、一方通行にしてしまうと北行きの道も県道に指定する必要が出てくるから、とかでしょうか……。

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