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アイヌ語地名の傾向と対策 (802) 「忠別川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

忠別川(ちゅうべつ──)

chiw-pet?
水流・川
chuk-pet?
秋・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

大雪山系の北海岳と白雲岳の間を水源とし、東川町と美瑛町の町境を流れる川の名前です。中流部では東川町と東神楽町の境界となり、下流部では東神楽町旭川市の境界となっています(忠別川が市町界となっていないのは旭川市内のみです)。忠別川旭川駅の西で美瑛川と合流し、その後ほどなく石狩川と合流しています。

松浦さんはこう考えた

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チクヘツ」という名前の川が描かれています。一方で丁巳日誌「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

先其より大番屋をさし行に
     チユクベツ
フトを入て水勢ますます峻。チユクは汐早き川と云事のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.255 より引用)

改めて考えてみると、「チユクは汐早き川と云事のよし」というのはちょっと変な感じもします。chuk は「秋」だったり、あるいは「アキアジ」すなわち「鮭」と考えるのが一般的です。

「汐早き」という意味であれば chiw で「水流」という語彙があるので、「チユク」は chiw の間違いだったと考えられているように見受けられます。

永田さんはこう考えた

永田地名解には、次の有名な解が記されていました。

Chup pet  チュㇷ゚ ペッ  東川 「チュプカペツ」ニ同シ此川ノ水源ハ東ニアリテ日月ノ出ル處故ニ名ク明治二十三年旭川村ヲ置ク

ここまでを見ると chiw-pet で「水流・川」説と chup-pet で「日・川」説に大別されますが、これらの説を元に「北海道駅名の起源」では次のようにまとめていました。

  旭 川(あさひがわ)
所在地 旭川市
開 駅 明治31年7月16日(北海道庁鉄道部)
起 源 この地を流れる忠別川アイヌ語「チュウ・ペッ」(瀬の早い川)が、後に「チュプペッ」(日の川)と解され、「旭川」と訳したものである。なお明治44年6月10日、「あさひかわ」を「あさひがわ」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.49 より引用)

これはなかなか含むところのある文章に思えます。「北海道駅名の起源」は高倉新一郎更科源蔵知里真志保河野広道の四氏の「監修」で世に出されたとされていますが、誰の文章だったのでしょう。

この文章をよーく読むと、「忠別は chiw-pet で『流れの早い川』なんだけど、これを chup-pet と読んで『日の川』と解釈した人がいたんだよね」と言っているように見えます。少し踏み込んだ言い方をすると chup-pet は誤読だよね、と言っているようにも思えます。

知里さんはこう考えた

知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 忠別川(ちゅうべつがわ)「チウペツ」(Chiu-pet 波・川)は「波だつ川」の義。それが後に民間語原解によつて「チュッペツ」(Chup-pet 日・川)となり,意訳して旭川という地名が生れ,また「チュプ」(chup 日)と「チュプ力」(chupka 東)とを混同して東川などという地名も生れた。
知里真志保知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.318 より引用)※ 原文ママ

更科さんはこう考えた

永田地名解の「東川」説はいつの間にか「誤訳」という評価が確定していたようで、例えば更科さんの「アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。

 旭川市内を流れる忠別川はチュプカペッでこの川の水源が東にあって、日月の出る方から流れてくる東(チュプカ)川(ぺッ)と解して、明治二十三年に新しい旭川の出発のとき現在の地名となったのであるが、

そうですね。ところで更科さん、適度に句点(。)を入れて文章を分けていただけると引用する側としてもありがたいのですが……。続きを見てみると……

忠別川は東でなくて東南から流れてくる川でありむしろ牛朱別川の方が東からくる川であり、
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.129 より引用)

えーっと、その……。できれば読点も……。

忠別川はチュ・ぺッで、川瀬の早い波川と名付けたものの誤訳である。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.129 より引用)

ふう。ようやく文章が終わりました。このように更科さんも「誤訳」と断定していますね。

山田さんはこう考えた

一方で、山田秀三さんは次のように記していました。

 爾来チウベツ(波川)説が一般に書かれるようになったが,旧記旧図にはチウベツという名が出て来ない。忠別川のことはチクベツあるいはチユクベツで書かれていたのであった。忠別川の原型はどうもチュㇰ・ペッ(chuk-pet 秋・川?)だったらしい。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.99 より引用)

さすが山田さん、「東西蝦夷山川地理取調図」に「チクヘツ」とあり、「再篙石狩日誌」に「チユクベツ」とあったのを見逃しませんでしたね。ただ一方で、chuk を「アキアジ」あるいは「秋」と考えると、再篙石狩日誌の「チユクは汐早き川と云事のよし」との整合性が取れなくなります。

 忠別太は鮭場所であった。チュㇰ・チェプ(chuk-chep 秋の・魚→鮭)が秋になると盛んに上る川だったのでチュㇰ・ペッだったのかもしれない。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.99 より引用)

うーん。この問題はちょっと根が深そうな気もしてきました。東神楽町に志比内という地名があってですね……。

 旭川は発生的には永田方正の誤訳であったようではあるが,とにかく1890年からのその独特な美しい名で歴史を重ねて来て,今では北国を飾る立派な地名である。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.99 より引用)

うわっ。山田さんは滅多なことでは「誤訳」と断定することが無いような気がするのですが、その山田さんが「誤訳」と明記したということは、やはり「日・川」説は誤訳と見るべきということでしょうか。

ということで

ということなので、現時点では次のようになるでしょうか。chuw-pet で「水流・川」と考える(松浦武四郎が記録した「意味」からの推定)か、chuk-pet で「秋・川」と考える(松浦武四郎が記録した「音」からの推定)か、どちらが妥当か……というところですね。

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