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「日本奥地紀行」を読む (115) 金山(金山町) (1878/7/17)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十九信」(初版では「第二十四信」)を見ていきます。

農村統治(続き)

首記の通り、「日本奥地紀行」には「完全版」と「普及版」があるのですが、「普及版」が純粋に「紀行もの」を志向したのに対し、「完全版」はイザベラの「スポンサー」である政府筋向けの「報告書」としての姿勢が色濃く残るものです。第二十四信の最後に綴られている「農村統治」は、まさしく「報告書」に他ならない内容ですので、「普及版」でバッサリとカットされたのも、まぁ当然なのかもしれません。

 現在の米の物納から貨幣による納税の税制改革は、きわめて巧みな調整が必要とされています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺中央公論事業出版 p.84 より引用)

あー。言われてみれば当然の話なんですが、江戸時代は「年貢米」を納めるのが「納税」なんでしたね。現在は普通に「お金」を納めていますが、この変化も当時の農民にとっては「革命的」なものだった、と言うことなのでしょう。

この後に「土地は農民たちが敏感になる唯一の関心事で」と続くのですが、確かに日本人の「土地」に対する執着心は、ある意味「信仰」とも言えるレベルに達しているようにも思えます。イザベラは、物納から貨幣での納税への変更に際して農民が暴徒化するケースが普通に見られたことを記していますが、大抵は「県令かその代理人」の説明で引き下がったとのこと。

想像するに、これまでは「収穫した米の何割かを差し出せば良い」という、ある意味単純な仕組みだったのに対して、後の固定資産税に代表されるような「土地の所有」自体が課税の対象になるというところに軋轢が生じたケースがあったのではないでしょうか。

 私は戸長から農民の実態について聞き出そうとしてうまくいきませんでした。彼は今までの方が良かったと考えているように見えましたが、私は彼の言ったことに納得がいきません。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.84 より引用)

「戸長」は行政の一端を担う役職である筈ですが、それでも明治政府の推し進める「税制改革」に否定的だったんですね。明治政府の「富国強兵」という考え方は「民衆の富をいかに効率よく国が吸い上げるか」とも考えられるだけに、「地方自治」が蔑ろにされて中央集権化が加速することに対して「今までの方が良かった」と考えたのだとしたら、それはもの凄く慧眼ですが、さすがにそれは買いかぶり過ぎですよね。

自由化と二極分化

イザベラは明治政府による税制の改革について、次のように高く評価していました。

彼は自分の意思によって自分の土地を処分し、売り、彼の好むところのどんな作物でも植えつけする権利を有していて、もはや農奴のように土に縛り付けられていることはなく──旧体制下では実際上そうだったのですが──、上流階級の無数の特権と、彼ら自身の自由の諸限界は取り除かれたのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.84-85 より引用)

これも重要な指摘ですね。「士農工商」の身分制度は近代化の過程で名目上は解体されたことになりますが、「農地の所有」という概念が「農民という身分への固定」から解放されるために不可欠であった、というのは見落としがちです。

現在は、それぞれが所有しているものが査定されて権利証書が発行され、実際の耕作者に土地の権利が付与されていますが、しかしすべての鉱物採掘権はミカドに保持されていて、かくて天皇は全日本の荘園の領主であります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.85 より引用)

そう言えば、江戸時代に農地を「所有」していたのは誰だったのかな、という疑問が出てきました。農地は領主(藩主)の所有物で、年貢米を納付することで農民に「耕作権」が付与されていた、ということなんでしょうか?

「農地の所有」は結果的に農民を身分制度から解放する基礎となりましたが、その代わりに所有した農地そのものが課税対象となりました。農地そのものが課税対象になるというのも多少引っかかるものを感じるのですが、農地を所有したならば農産物を生産して税金を払いなさい、ということでしょうか。

しかしながら課税の主たる賦課部分は農地の所有に課せられています──昨年、地税は地価の 2.5 パーセントに減じられ、やはり土地課税である地方自治体の税は、最大、地税の 5 分の 1 には限定されていますが。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.85 より引用)

土地の所有権が売買可能になったことで、生活に困窮した農民が土地を手放すことになり、やがて「地主と小作人」に二分されたということを我々は知っていますが、イザベラもその可能性を予期しつつ、「日本人の土地に対する執着心」がそれを阻むのではないか……という希望的観測を述べています。

土地を抵当に入れるための便宜は多く、このような方法で、小規模所有地は現在の自由所有権者の手から離れ、依存労働者人口を有する大地主の階級が発生するかもしれず、この変化に対する歯止めは、日本人の性格の特徴である土地に対する結びつきの強烈な執着に存しているのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.85 より引用)

結果的には、イザベラの「希望的観測」は実現しなかったわけですが……。

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