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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (205) 「旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所」

道道 121 号「稚内幌延線」を北に向かいます。既に稚内市内に入ってしばらく経ちますが、最終目的地は「稚内」のままなんですね(「稚内市街」になっている青看板もありましたが)。

恵北(かつての「幕別」)からの交通を遮断する遮断機が見えます。このすぐ北に農場があるようなので、そこまでの通行は可能にしておきたい、ということなんでしょうね。

踏切跡

ここまでは、ほぼ国鉄天北線(跡)に並行する線形の良い道でしたが、前方に急カーブが見えてきました。

そしてここから 40 km/h 制限です。「通学路」の文字も見えますが……いい傾き加減ですね。この標識だけ傾いているのは、路盤の緩いところに立ててしまったということなんでしょうか。

急な右カーブの先は、すぐに急な左カーブになっています。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、これは旧・国鉄天北線の踏切跡です。

線路を斜めに横切るのは線路でスリップする危険性が高まる(特に自転車など)こともあり、また必要となる遮断機が長くなる、あるいは踏切自体が長くなるということもあり、避けられる傾向にあります。そのため、道路が踏切の前後でカーブを強いられるケースが多くなる……ということですね。

旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所

稚内市恵北にやってきました。沼川の北で分岐した道道 1119 号「稚内豊富線」とここで合流します。道道 1119 号はここが起点ということになるのでしょうか。

何を思ったか、右折して道道 1119 号に入ってみました。S 字カーブと分岐する形で、まるで旧道のような道が見えています。

道道から分岐しているダート路は、残念ながら通行止めのようです。

この先に何があるのかと言えば……そう、こちらです。

稚内赤レンガ通信所」とありますが、正式名称は「旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所」とあります。Google では「旧大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所跡」となっていて、びみょうに異なっていますが……。

かつての海軍の通信所で、真珠湾に向かう連合艦隊に「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文を送出した場所として知られています。一度見学してみたかったのですが、建物の老朽化が進んでいて、見学は事前予約が必要とのこと(2016 年時点)。

増幌小中学校

気がつけば 16:50 になっていて、気温も 6 度まで下がっていました。あとはホテルに向かうのみ……ですね。

道道 1119 号の起点のある交叉点の南東には学校(増幌小中学校)が健在です。横断歩道はあるものの押ボタン信号は見当たらないので、学校前であっても信号は無いのが標準っぽいですね。

道道 1119 号の起点に戻ってきました。右折して稚内市街に向かいます。「← 沼川 稚内 →」の案内がどことなく駅名標っぽいですね。

恵北開基百年記念碑

「宅地分譲中」の文字が見えますが、移住者には土地を無償提供しているとのこと。

この交叉点を左折したところに国鉄天北線の「恵北駅」があったみたいですが……(現地では気づかずにスルーしてしまいました)

駅があったと思しきところには「恵北開基百年記念碑」が建てられていました。

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