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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (245) 「謎の『千曲橋』」

道道 647 号「兵安上頓別停車場線」の終点にやってきました。左折して国道 275 号に入ります。

国道に入ったばかりですが、いきなり「急カーブ スピード落とせ」の看板が見えてきました。実際にはここまで深いカーブでは無いのですが……。

小頓別のすぐ手前に位置する「中頓別町岩手」にやってきました。とてもわかりやすい移住系地名ですね……。

今度は「急カーブ スリップ注意」の看板が見えていますが、ここまで深いカーブでは無いのは先ほどと同様です。ただ注意喚起が必要なカーブという認識のようで、あえてインパクトのある見た目にしているのでしょうね。

謎の「千曲橋」

これは「八号ノ沢川」を渡る橋ですが……

橋の名前が何故か「千曲ちくま橋」でした。

このあたりで現存する移住系地名としては、「岩手」のほかには小頓別の南に「秋田」があるのですが、陸軍図を見てみると「秋田團体」のほかに、敏音知(道の駅のあるあたり)の南に「熊本團体」「宮城團体」が確認できます(「宮城団体」は 1980 年代の土地利用図にも記載あり)。

そして陸軍図には「岩手」の文字は見当たりません(現在「岩手」となっているあたりは「八號澤」や「長屋澤」と描かれています)。「角川日本地名大辞典」の「北海道団体移住一覧」によると、小頓別に秋田県から団体移住した記録があり(=秋田団体)、「熊本団体」と「宮城団体」も団体移住の記録がありました。

興味深いことに「岩手団体」の移住先は小頓別周辺ではなく「ペーチャン原野」とされています。ただ陸軍図を眺めた限りでは、兵知安川流域(敏音知岳・松音知岳の東側)にも「岩手団体」と思しき地名は見当たりません。また、中頓別エリアへの長野県からの団体移住の記録はリストにはありません。

長々と記しましたが、結局のところ何故「千曲橋」なのかは皆目不明……という結論です(汗)。また「ペーチャン原野」に団体移住したはずの「栃木」が、ピンネシリと小頓別の間の地名として残っているのかも謎ですね……。

「8 号の沢」バス停

橋を渡ってすぐのところにバス停がありました。おそらく「8 号の沢」という名前のバス停だと思われますが、宗谷バスの路線図では存在を確認できません(天北線転換バスの路線は辛うじて健在ですが)。

2014 年 7 月時点では、バス停が転倒した状態でストリートビューに撮影されていました。

「牛の横断注意」の警告標識も出ていました。割と一般的なデザインでしょうか。

間もなく「小頓別」

右カーブの途中で「小頓別」の案内板を見かけました。このあたりは 4 つの右カーブが直線区間を介して続いていて、それぞれのカーブはそれほど急ではないものの 180 度近く進行方向を変えるものです。

3 つ目のカーブを抜けた先の 400 m ほどの直線区間には「鹿の飛び出しにご注意ください」と……

「宗谷南部 雷 注意報発表中」をリピート中の表示版がありました。この「雷注意報」って相当な確率で出ているような気がするんですが……。

道道 12 号で毛登別へ

1 km ほど先に公衆トイレのある駐車場があるようですが……

駐車場よりちょいと手前で、歌登からやってきた道道 12 号「枝幸音威子府線」が合流するとのこと。

合流点のすぐ手前には交通遮断機が。この位置にあるということは道道は開通していて国道が通行止め、というシナリオもありそうですね。

ちょいと「歌登町営軌道」のお話

左折して国道を離れて、道道 12 号「枝幸音威子府線」で東に向かうことにしました。

小頓別から歌登に向かうルートは「歌登町営軌道」とほぼ同じ……と思っていたのですが、「歌登町営軌道」が道道 12 号に近いルートを通ることになったのは 1947 年にトンネル(毛登別トンネル)が開通した後とのこと。

1929 年から 1947 年までは北側を大きく迂回するルートを通っていたそうで、「道道資料北海道」さんの「歌登町営軌道の旧線・その全貌」に詳細が記されています。

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