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紀勢本線各駅停車 (27) 「紀伊有田」

田並を出発してトンネルを 2 本抜けると、間もなく紀伊有田駅です。このあたりはかつての西牟婁郡有田村ありたむらですが、1955 年に周辺の町村と合併して東牟婁郡串本町となりました。西牟婁郡から東牟婁郡、すなわち西側から東側に移ったことになりますが、これはやはりソビエト(すさみ町)の影響でしょうか(絶対違うと思う)。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

紀伊有田駅

紀伊有田駅にやってきました。駅の南側に見えるのは「串本町立串本西小学校」とのこと。

和歌山県には「有田みかん」で有名な「有田ありだ市」がありますが、市の代表駅は「箕島駅」でした。そして随分と離れたところに「紀伊有田駅」がありますが、こちらは「きいあり」です。

紀伊有田駅は 1 面 2 線の島式ホームの駅です。とても意外なことに、ここで紀伊田辺行き 2334M とすれ違います。2334M は隣の串本駅始発なので、もう少し発車時刻を遅くすれば列車交換の必要が無さそうな気もしますが……。

色々と理由を推測してみたんですが、後続の臨時特急「くろしお 94 号」のことを考慮しても合理的な理由が見えてこないんですよね。何故なんでしょう。

紀伊田辺行き 2334M も現在乗車中の新宮行き 2333M と同じ形式の車輌(105 系)ですが、ドアには「ワンマン運転時 締 切」のステッカーが貼られていました。乗車時に整理券を取って一番前のドアから降車する運用なので、中扉は基本的に使用しないということですね。

量産型駅舎?

紀伊有田駅は 1940 年の開業ですが、駅舎は開業当時のものでしょうか。見慣れたタイプの駅舎ですが、解体されるケースも増えてきているのが残念なところです。

よく見てみると、ところどころ瓦が補修されていますね。どの駅にもひさしの部分がありますが、庇の屋根の素材は戦後生まれっぽく見えます。この庇は追加されたものだと思うのですが、いつ頃追加されたのでしょう。

もはや跨線橋や地下道が無いのが当たり前と言った雰囲気になってきましたが、構内踏切にはちゃんと遮断機が設置されていました。

もうすぐ本州最南端

紀伊有田駅を出発すると再びトンネルに入ります。トンネルを抜けた先には水田が広がっていました。

紀勢本線は南に向きを変えたあと、海の近くで東に向きを変えます。ここは「袋港」と言うそうですが、これは確かに袋のような地形で、天然の良港っぽいですね。

ちなみに正面奥のほうに見えているのが「潮岬」のある半島で、本州最南端の「クレ崎」はこの辺でしょうか……?(袋港から岬は見えませんが)

「袋港」の港湾施設が見えてきました。場所柄からか、どうやら漁港と言うよりはヨットハーバーのような感じですね。

紀勢本線は再び右にカーブします。このカーブを抜けた先が「本州最南端の線路」ということになりそうですね。

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