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「日本奥地紀行」を読む (136) 久保田(秋田市) (1878/7/23)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十二信」(初版では「第二十七信」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

城跡

久保田(現在の秋田市)で師範学校と工場、病院を見学したイザベラは、「日本の警察」についての洞察を記した後に「城跡」というトピックを続けていました。このトピックは「普及版」で丸々削除されているのですが、内容に乏しいという判断だったのでしょうか。

 久保田(秋田市)には大名ダイミョーの城砦のための壮大な保塁、三つの築堤があり、高台に三重に堀がめぐらしてあり、素晴らしい木材になる樹木の木立が幾つかあります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺中央公論事業出版 p.96 より引用)

未だに混乱してしまうのですが、秋田市内には「秋田城跡」と「久保田城跡」があり、秋田駅のすぐ近くにあるのが「久保田城跡」で、フェリーターミナルのある土崎駅の南(海側)にあるのが「秋田城跡」とのこと。

何故近くに複数の城があるのか……という疑問が出てきますが、実は時代が全く異なるようで、「久保田城」が江戸時代の城なのに対して「秋田城」は奈良時代から平安時代にかけての「城柵」だったとのこと。城は城でも「多賀城」と似たような位置づけのものだったんですね。

さすがのイザベラ姐さんも「秋田城」に関しては完全スルーで「久保田城」についての詳細を記していましたが、「打ち捨てられ顧みられることもない木造建物が陥る崩れ落ちそうな種類の廃墟」としていて、見るべきものは殆ど無い……という判断だったようです。

弁護士の増加

「城跡」の後には「弁護士の増加」というトピックが続いていましたが、こちらも「普及版」ではカットされています。まぁ、これは今までのカット基準を考えても順当でしょうか。

 久保田には、その他の県庁所在地におけると同じく、民事事件と刑事事件に対する完全な司法権を有する地方裁判所がありますが、重大な判決(死刑判決)は上級裁判所による承認を受けなければなりません。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺中央公論事業出版 p.97 より引用)※ 原文ママ

「上級裁判所」→「地方裁判所」→「簡易裁判所」というヒエラルキーの存在が記されています。1875 年に「大審院」が設置されている筈ですが、イザベラの言う「上級裁判所」=「大審院」なんでしょうか……?

イザベラは、日本の司法制度の変化(近代化、ですよね)に伴い「弁護士の集団」が生じたとして、次のように記していました。

私はその[弁護士の]しるし[徴章]を学んだのですが、驚いたのは、その数で、久保田にはあまりにたくさんいますので、この地は最も訴訟が好きな所ではないかと考えられるほどです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.97 より引用)

そして弁護士が激増した理由を次のように推察していました。

法律はサムライに好まれる仕事になってきています。というのは、彼らはふつう筆を使うことに長けており、年に 2 ポンドの費用で弁護士免許を維持しますので、私が思うには、それは儲かる仕事の一つにちがいないのでしょう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.97 より引用)

なるほど、そう言われてみれば確かに……。今の日本は「ほぼ誰もが普通に読み書きできる社会」ですが、当時は必ずしもそうでは無かったということなのでしょう。そして「弁護士」と言えば「士業」なわけで、「サムライの業」なんですよね。

「第二十二信」の終わりに

イザベラは久保田(秋田)について、「他のいかなる日本の町よりも久保田が好きである」と記しています。その理由として「純日本的な町である」ことと「さびれた様子が無い」ことを挙げています。「久保田城」は廃墟同然だったようですが、これはまぁ例外ということで。

イザベラは、第二十二信の最後を次の文で締めていました。

私は、もうヨーロッパ人に会いたくはない。実際に、私は彼らを避けるために遠く離れたところへ行こうとしている。私はすっかり日本人の生活に慣れてきた。このように一人ぼっちの旅を続けた方が、ずっと多く日本人の生活を知ることができるのではないかと思う。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.260 より引用)

厳密には通訳兼アシスタントの伊藤が同行しているとは言え、彼はあくまでイザベラの「従者」としての位置づけなので、まぁ「ぼっち旅」だと言えなくは無いですよね。そしてイザベラのこの考え方については、「ぼっち旅」好きの方にはかなり共感できるものなんじゃ無いでしょうか。

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