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北海道のアイヌ語地名 (1182) 「コロモト川・ポンモト川・ケプラチベシ川・モウド川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

コロモト川

poro-{mo-to}?
大きな・{静かな沼}
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

長節湖の 1 km ほど南西で直接海に注ぐ川です。地理院地図には神社のマークと一軒の家屋が描かれていますが、Google マップの航空写真ではそれらしい建物が見当たらないような……。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では更に不思議なことになっていて、「チヨフシ」(=長節湖)と「ユウトウ」(=湧洞沼)の間に、同等のサイズの沼が存在するように描かれています。

「東西蝦夷──」によると、この沼は「モトウ」という名前のようで、「ウトンナイ」で海とつながっているように見えます。ただ『初航蝦夷日誌』(1850) を見ると、この考え方はどうやら間違いのようです。

表にまとめてみましょうか。

初航蝦夷日誌
(1850)
竹四郎廻浦日記
(1856)
東西蝦夷
山川地理取調図
(1859)
蝦夷日誌
(1863-1867)
北海道実測切図
(1895 頃)
国土数値情報
ヱウト(ユートウ) ユート(沼) ユウトウ ユート(沼) ユウントー 湧洞沼
ヘトチシ子イフブシ
(小流・橋)
- - ベシテシネイ - -
- フブシ フプウシ
(小川・橋)
フㇷ゚ウㇱュナイ チラユウトン川
チフラフシトウ
(小川・橋)
チフラーシト
(小川・橋)
チフラウント - - -
チカフサン
(チカホシヤニ)
(小川・橋)
チカホヤニ
(小川・橋)
チカホヤニ チカフサニ
(小川)
- -
- - - チフラウレシトウ チㇷ゚ラㇷ゚ウㇱュトー ケプラチベシ川
- - - - - モウド川
ウトンナイ
(前に同じ)
- ウトンナイ ウトンナイ
(小川)
モトー
(名称不明)
モト
(小川、上流に沼)
モト(小川) モトウ モウトウ
(小川)
ポンモトー ポンモト川
- - クシヤシヤウシナイ クシシヤウシナイ
(小澤)
ポロモトー コロモト川
チヨウブシ チヨウフシ(沼) チヨフシ チヨブシ(沼) チオプシ沼 長節湖

えーと……(汗)。どうやら「コロモト川」は『北海道実測切図』における「ポロモトー」のことであるようです(現在の地形とも一致するので、これはほぼ間違いないかと)。松浦武四郎はこの川のことを「クシヤシヤウシナイ」あるいは「クシシヤウシナイ」と記録していますが、kus-sa-us-nay で「横切る・浜・についている・川」あたりでしょうか。

「ポロモトー」の「モトー」は mo-to で「静かな・沼」と考えられそうなので、poro-{mo-to} で「大きな・{静かな沼}」となるでしょうか。mo- は素直に「小さな」と捉えても良いかもしれませんが、ただ「大きな小さな沼」だと「???」となりそうなので、今回は「静かな」としました。

「コロモト川」という川名ですが、どこかのタイミングで「ロモトー」が「ロモト」に化けてしまったみたいです。

ポンモト川

pon-{mo-to}
小さな・{静かな沼}
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

「コロモト川」の 0.75 km ほど南西を流れる川です。近くに「瀬尾」という名前の四等三角点(標高 6.2 m)が存在します。

北海道実測切図』(1895 頃) では「ポンモトー」と描かれていました。『初航蝦夷日誌』(1850) や『竹四郎廻浦日記』(1856) では「モト」と記録された場所だと思われますが、何故か『北海道実測切図』では「モトー」は南西隣の川の名前になっています。

意味するところは pon-mo-to で「小さな・静かな・沼」と思われますが、厳密には mo-to を固有名詞的に解釈して pon-{mo-to} で「小さな・{静かな沼}」とすべきでしょうね。まぁ殆ど違いはありませんが……(汗)。

ケプラチベシ川・ケプラツベシ川

chip-rap-us-to?
舟・降りる・いつもする・沼
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

「ポンモト川」の 2 km ほど南西に小さな沼があり、沼を含めて「ケプラチベシ川」という川になっています。沼には北東からも「モウド川」が合流しているほか、沼の上流で「ケプラベシ川」が「ケプラベシ川」に合流しています。

この「ケプラチベシ川」ですが、『北海道実測切図』(1895 頃) では「チㇷ゚ラㇷ゚ウㇱュトー」と描かれています。だとすると「ㇷ゚ラㇷ゚」が「プラ」に化けたということになるでしょうか。

「チㇷ゚ラㇷ゚ウㇱュトー」は chip-rap-us-to で「舟・降りる・いつもする・沼」と読めそうに思えます。海に向かうために丸木舟を漕ぎ出す場所だった可能性がありそうですね。

なお「ケプラチベシ川」の支流である「モウド川」を遡った先に「秩夫羅」で「ちぷらー」と読ませる三等三角点(標高 62.6 m)が存在します。「ケプラ──」が本来は「チプラ──」だったことを今に伝えていると言えそうでしょうか。

モウド川

mo-to?
静かな・沼
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

かつての「チㇷ゚ラㇷ゚ウㇱュトー」だった「ケプラチベシ川」の河口部にある沼に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には、この「モウド川」に相当する川自体が非常に短く描かれていて、残念ながら川名の記入がありません。

紆余曲折があったのか、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「モトウ」と描かれていた巨大な沼(実際にはここまで大きな沼は存在しない)の名前が転用されて、しかも「モ」が「モ」に化けたということだと思われます。

「東西蝦夷──」は現在の「ケプラチベシ川」を「ウトンナイ」と描いているように見えます。これが 100 % 正しいと仮定すれば、「ウトンナイ」の支流として mo-utun-nay で「小さな谷の川」(?)と呼ばれる支流があった……と考えることも、一応は可能と言えるかもしれません(もっともその場合、「東西蝦夷──」の「モトウ」は「モウト」の間違いかもしれないのですが)。

ただこのように考えた場合、『竹四郎廻浦日記』(1856) の記述と整合性が取れなくなるので、やはり素直に「モウド」は「モトウ」の転記ミスと見るべきかな、と思われます。mo-to で「静かな・沼」ということになりそうですね。

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