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下頃辺(したころべ)
「下頃辺川」は JR 根室本線・新吉野駅の西を流れる川で、かつては浦幌川の西支流でした(現在は河川改修の結果、浦幌十勝川に合流しています)。「新吉野駅」の旧名は「下頃
新吉野(しんよしの)
所在地 (十勝国)十勝郡浦幌町
開 駅 明治43年 1 月 7 日
起 源 もと「下頃部(したころべ)」といったが、読みにくいので昭和17年 4 月 1 日、近くに吉野桜に似た山桜があったのでこれにちなんで、「新吉野」と改められた。
1942(昭和 17)年頃からの数年間はアイヌ語由来の地名・駅名が多く失われた時期でもあります。ただ「新吉野駅」の場合は、駅周辺の「下頃
駅名が「吉野」ではなく「新吉野」となったのは、既に近鉄の「吉野駅」があったため、重複を回避したものでしょうか。
なお旧地名と川名が「下頃
「犬を生んだところ」説
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Shita koro be シタ コロ ベ 犬ヲ産ミタル處 土言犬ヲ「シタ」ト云フ
seta-kor-pe で「犬・持つ・ところ」と考えたのでしょうか。更科源蔵さんが全力で否定しそうな解ですね……。
「ウダイカンバを持つ川」説
ということで『アイヌ語地名解』(1982) を見てみると……
下頃部はアイヌ語のシタッ・コル・ペで、う だ い 樺 のある川の意と思う。
{si-tat}-kor-pe で「{ウダイカンバの樹皮}・持つ・もの(川)」ではないか……という説ですね。なお続きもあり……
これをシタコロベで犬が子を産んだ処などと訳したことがある。
意外や意外、「そういった説があった」という紹介に留まっていますね(「浦幌町五十年沿革史」でも「犬を生んだ処」とするも「意義は詳らかでない」としています)。更科さんは旧・阿寒町の「舌辛」の項では次のように記していたのですが……
シタまたはセタが犬であるので、犬が子を産んだところなどと訳した人もあるが、それではシタカラという地名はいたるところにあるはずである。
今回もこのレベルのツッコミを期待していたのですが、少々当てが外れたようです。
やはり「ウダイカンバ・持つ・もの」と見るべきなのかな……と思いつつ、何故 kor なのだろうという若干の疑問も残っていました。これは旧・阿寒町の「舌辛」のように {si-tat}-kar で「{ウダイカンバの樹皮}・採る」が転訛したと考えるとクリアできそうでしょうか。この場合、{si-tat}-kar(-us)-pe で「{ウダイカンバの樹皮}・採る(・いつもする)・ところ(川)」ということになりますね。
「ゴボウの多いところ」説
ただ『十勝地名解』(1914) には別の方向から kor 問題を消化した解が記されていました。
シタ・コロベ
牛蒡(ごぼう) の多きところという義なり。元来土語に、款冬(ふき) を「コロコロニ」ととなえ、牛蒡を犬款冬すなわち「シタコロコロニ」と称す。
{sita-korkoni}-us-pe で「{ゴボウ}・ある・ところ」と考えた……ということでしょうか。知里さんの『植物編』(1976) にも次のように記されていました。
§ 12. ゴボォ(牛蒡)Arctium Lappa L.
( 1 ) seta-korkoni(se-tá-kor-ko-ni)「セたコㇽコニ」[seta(犬)korkoni(蕗)] 葉柄 《幌別》
( 2 ) sita-korkoni(si-tá-……)「シたコㇽコニ」[sita(犬)korkoni(蕗)] 葉柄 《樣似,足寄,芽室,屈斜路,美幌》
seta が sita になるのは道東方面で多く記録されているようで、その点でも矛盾はありません。問題は sita-korkoni(-us)-pe だと「シタコㇽコニペ」となる点ですが、『植物編』によると korkoni は合成語の要素としては kor になるとのこと。
kor は「葉」で korkoni は「葉柄」とされているので、korkoni = kor というのは少々乱暴な解釈でもあるのですが、この(ちょい乱暴な)ロジックからは sita-korkoni が sita-kor に略された可能性も浮上するかな……と考えてみました。この場合、{sita-kor}(-us)-pe となりそうですね。
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