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旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(再乗船編)

仙台港フェリーターミナルの待合室で再乗船の開始を待ちます。チェアの前にテーブルのついた席もあるんですね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、各種サービスの実施状況や運用形態が現在と異なる可能性があります。

お客様の乗船時間は

ボーディングブリッジと繋がる跨線橋……あ、「マリンブリッジ」と書いてありますね……のドアは開いた状態ですが……

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北海道のアイヌ語地名 (975) 「オンネシレト川・シレトナイ川・サマッカリヌプリ・サマカリ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オンネシレト川

onne-sir-etu
親である・大地・鼻(岬)
(典拠あり、類型あり)

美幌峠(国道 243 号)の南、中島から見て西の湖岸に注ぐ川です。地理院地図にも川として描かれている上に、川名も記載されています。

東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲン子シレト」と描かれていました。河口部に「ヲン子シレト」と描かれているように見えますが、よく見ると河口の北側の「出っ張り」のところに「ヲン子シレト」と描かれていますね。

戊午日誌「東部久須利誌」にも次のように記されていました。

また並びて
    ヲン子シレト
大山湖中え突出す。此辺の上樹木なし。只茅原。湖の(北西)に当るなり。ヲン子は大し、シレトは岩岬の事。此上よりアハシリ越宜し。やはりヒホロえ出る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.451 より引用)

onne-sir-etu で「親である・大地・鼻(岬)」と見て良さそうですね。どうやら本来は川の名前ではなく岬の名前のようですが、明治時代の地形図を見てみると、確かに岬の位置に「オン子シレト」とあり、現在の「オンネシレト川」のところには「オン子シレトナイ」と描かれていました。

なお余談ですが、美幌峠の南東側からまっすぐ屈斜路湖に向かう川は「ルーチシポコオマナイ」と描かれていました。これは {ru-chis}-pok-oma-nay で「峠の下にある川」と読めそうですね。

シレトナイ川

sir-etu-nay??
大地・鼻(岬)・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)

「オンネシレト川」の二つ南隣を流れる川です(=「オンネシレト川」と「シレトナイ川」の間にも川があるのですが、川名は不詳)。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川名・地名は見当たらず、明治時代の地形図にも川名・地名が見当たりません。

まぁ sir-etu-nay で「大地・鼻(岬)・川」なんでしょうけど、いつからこの名前で呼ぶようになったのでしょう……?

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子シレト」の南に「チフ子ウシナイ」という川が描かれていました。この川が現在の「シレトナイ川」のことかもしれませんが、確証はありません。戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

また並びて
    チフ子ウシナイ
此処舟を作るに木多く有りてよしと云儀。本名チツフニウシナイなるよし。チツフは船、ニは木、ウシは多しと云儀。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.451 より引用)

chip-ni-us-nay で「舟・木・多くある・川」だったようです。

「ヲン子シレトナイ」があるんだったら「シレトナイ」もあるだろう……という考え方なのかもしれませんが、元々「ヲン子シレト」は岬の名前なので、果たして本当に「シレトナイ」が実在したかどうかは……なんとも言えないような気もします(実在したかもしれないし、実在しなかったかもしれない)。

いつの間にしれっと「シレトナイ川」と呼ばれるようになってしまったのだろう……と書きかけて、ダジャレ臭が凄まじいことに気づいて頭を抱えています。

サマッカリヌプリ

sama-at-tu-kor-nupuri?
横になる・ずっとそうである・支峰・持つ・山
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

「シレトナイ川」の南に「トイコイ川」が流れているのですが、両者の間(トイコイ川の北隣)に「サマカリ川」という川が存在します(地理院地図では川として描かれていませんが)。

この「サマカリ川」ですが、西南西に聳える「サマッカリヌプリ」に由来する川名だと思われます。ということで「サマッカリヌプリ」ですが、頂上付近に「様狩山」という名前の二等三角点が存在する山です(標高 974.3 m)。昔の人はちゃんと「様狩山」という字を当てたものの、結局普及しなかった系でしょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤマツカリ」という名前の山が描かれています。戊午日誌「東部久須利誌」には次のように記されていました。

並びて
    シヤマツカリ
少しの峨々たる一ツの山有。此山峻しく辷りて上り難きが故に此名有るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.451 より引用)

ちょっと意味が掴みきれないので、別ルートから攻めてみましょうか。「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 サマッカリヌプリ 974.4㍍ 屈斜路湖畔西岸,津別町との境。頂上近くを道道が貫通しているが,美幌峠の南方数㌖の地点にあたる。⇒サマッカリヌプリ(津別町
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.684 より引用)

頂上近くを道道が貫通……? なんか違う世界線に入ってしまった感もありますが、とりあえず「津別町」側の記述を見てみましょうか。

 サマッカリヌプリ岳 974.4㍍ 弟子屈町との境の,屈斜路湖の壁を形つくっている山で,浜手の奥をまわっている山の意。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.451 より引用)

「険しくて上がり難い」と「浜手の奥をまわっている」には随分と違いがありますが、さてどう考えたものか……。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

 松浦久須利誌は「シヤマツカリ 此山峻しく辿りて上り難きが故に此名有るとかや」と記し、弟子屈町史は「サマ・チ・カリ 傍・我々・廻る、(急坂で通れず廻り道したところ)と書いた。サマタ・カリ・ヌプリ(samata-kari-nupuri 傍を・廻る・山)の意で、それは、松浦氏や弟子屈町史のいう通りの理由があったのであろう。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.348-349 より引用)※ 原文ママ

「サマタ」という語は sama-ta に分解できるようで、sama-ta で「傍・に」と読めます。sama-ta-kari-nupuri で「傍・に・回る・山」ということになるでしょうか。

戊午日誌「東部久須利誌」が「シヤマカリ」としたものを、弟子屈町史は「サマカリ」ではないかとして、また鎌田正信さんは「サマカリ」ではないかとしたようですが、個人的にはちょっともやもやした感じが残ります。

「サマッケ」では?

道内各地に「サマッケヌプリ」という山があり、他ならぬ「サマッカリヌプリ」の南 6.5 km ほどのところにも「サマッケヌプリ」が存在しています。「サマッケヌプリ」は samatke-nupuri で「横になっている・山」で、一般的には頂部が尾根状に伸びた山を指します(「連山」と言えるかな?)。

この考え方で行くと、屈斜路町・津別町境にある「サマッケヌプリ」は寧ろ例外的な山容で、本来は 1.3 km ほど南の釧路市との境界を形成する山の名前だったのでは……と思えてきます。あるいは「オサッペヌプリ」と「サマッケヌプリ」の位置を取り違えたか……?


今回の「サマッカリヌプリ」も「サマッケヌプリ」の親戚筋のように思えて仕方がないのですね。サマッカリヌプリは南側の津別峠のあたりから 4 km 近く北までずっと山が連なっていて、samatki と呼ぶに相応しい形をしています。

「サマッカリヌプリ」が他の「サマッケヌプリ」と一線を画するのは、頂上(の 0.3 km ほど東南東)から東に尾根が伸びている点でしょうか(屈斜路プリンスホテルのすぐ近くまで伸びています)。

知里さんの「地名アイヌ語小辞典」によると、samatkisama-at-ki ではないかとのこと。「サマッカリヌプリ」も sama-at-tu-kor-nupuri で「横になる・ずっとそうである・支峰・持つ・山」と考えたいところです。

サマカリ川

sama-at-tu-kor??
横になる・ずっとそうである・支峰・持つ
(?? = 典拠未確認、類型あり)

「トイコイ川」の北を流れる川です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川名は見当たりません。明治時代の地形図にはトイコイ川の南、ウランコシ川のすぐ北に「サマッカリ」という地名(と思われる)が描かれていました。

「サマカリ川」の川名は「サマッカリヌプリ」に由来し、sama-at-tu-kor で「横になる・ずっとそうである・支峰・持つ」だと思われます。ただこの川も「シレトナイ川」と同じく、明治時代の地形図や戦前の陸軍図では川名を確認できません。いつ頃から「サマカリ川」と呼ばれるようになったのかは不明です(故に「典拠未確認」としています)。

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北海道のアイヌ語地名 (974) 「トコタンカレイナ川・オンネナイ川・シケレベンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トコタンカレイナ川

tuk-kotan-kas-nay??
小山・村・渡る・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

屈斜路湖の北東隅に北から注ぐ川です……が、残念ながら地理院地図には川として描かれていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「トコタンカレ」という名前の川が描かれていました。

「やはり『ナイ』だったか。まぁそうだよな……」と思いながら陸軍図を見てみると、そこには堂々と「トコタンカレイナ川」と描かれていました。「ナイ」が「イナ」に化けてしまったのは陸軍図以来の伝統だった可能性がありそうです。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 トコタンカレナイ川 屈斜路湖小清水町から入る小川。沼コタンを回る川か
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.685 より引用)

なんか誤解があるというか、誤解を招く書き方だと思うのですが、弟子屈町小清水町の境界は分水嶺上にあるので、小清水町から屈斜路湖流入する川は無い筈なんですよね。「小清水町との境界から」であればわかるんですが……。

to-kotan-kar-nay で「沼・集落・回る・川」と考えたっぽいですが、なんか「ぎ感」が凄いんですよね……。kotan-kar であれば「村・作る」と捉えることも可能かもしれませんし、kotan-kor であれば「村・持つ」と考えることもできそうです。kotan-kor-kamuy でれば「シマフクロウ」を意味することになります。

どうにもしっくり来ないので明治時代の地形図を眺めていたのですが、よく見ると「カレ」ではなく「カシ」と描かれているようにも見えます。だとすると kas は「渡る」かもしれませんし、あるいは「小屋」を意味するかもしれません。

to-kotan-kas-nay であれば「沼・村・渡る・川」である可能性も出てきます。また to-kotan- ではなく tu-kotan- で「廃・村──」なのかも……?

ちょっと気になったのが、この川の西側に標高 312.4 m の山(碁石山)があるというところです。いかにもランドマークになりそうな山なので、tuk-kotan-kas-nay で「小山・村・渡る・川」と呼んだ可能性もあるんじゃないかなぁ……と。

現在は人家らしきものは見当たりませんが、川湯温泉の北側に湿地が広がっていたことを考えると、山の麓にコタンがあったとしてもそれほど不思議でも無さそうです。

オンネナイ川

onne-nay
親・川
(典拠あり、類型あり)

屈斜路湖の北、弟子屈町小清水町の境界に「藻琴山」が聳えているのですが、この「藻琴山」の標高は 999.9 m とのこと。10 cm ほど低かったばかりに随分と損をしているような気がします。

「オンネナイ川」は藻琴山の 0.7 km ほど東南東にある支峰から東に向かい、途中から南に向きを変えて屈斜路湖に注いでいます。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい名前の川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「オン子ナイ」という名前の川が描かれていました。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 オンネナイ川 藻琴山の東側の谷を流れて屈斜路湖に入る小川。アイヌ語年老いた川の意だが,なぜか不明。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.685 より引用)

(汗)。でも、まさにその通りとしか言いようのないような気も……。onne-nay は「年老いた・川」で、「親・川」と解釈することもできます。

屈斜路湖の「最奥部」はどこか……という話ですが、藻琴山のことを to-etok-us-pe で「沼・奥・ついている・もの」を呼んでいたとのこと。藻琴山(とその尾根)の南側にはいくつもの川がありますが、「オンネナイ川」は途中で二手に分かれていることもあり、そのことから「親川」「子川」と呼んでいたのかもしれません。

シケレベンベツ川

sikerpe-un-pet
キハダの実・ある・川
(典拠あり、類型あり)

国道 243 号の「美幌峠」と「藻琴山」の間のあたりを流れる川で、川沿いを途中まで「志計礼辺別林道」が通っています。

この川は「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シケレヘンヘツ」として描かれていました。戊午日誌「東部久須利誌」にも次のように記されています。

また並びて小川
    シケレベンベツ
此川むかし土人五味子を取に来りしによつて、いつも多く有るを以て号。シケレベは松前方言志古路の事也。土人是を喰料にしまた疾の薬に用ゆるとかや。本名シケレベウンヘツなるべし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.450-451 より引用)

五味子ごみし」の註として「きはだ 黄蘗 シケレペ シコロ」と記されていますが、「ゴミシ(チョウセンゴミシ)」と「キハダ」はどうやら別物とのこと。知里さんの「植物編」によると「チョォセンゴミシ」は、屈斜路では tesma-kar-punkar と呼ばれていたそうです。どちらも実のなり方が似ているようなので、混同したのでしょうか。

とりあえず「シケレベンベツ」は sikerpe-un-pet で「キハダの実・ある・川」と考えて良さそうですね。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(「いしかり」の模型編)

仙台港フェリーターミナルの中に戻ってきました。乗船手続きを待つ人の列は少し短くなったでしょうか(この写真では良くわからないですが)。

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「いしかり」の模型

フェリーターミナルあるあるですが、 1F には「いしかり」の模型が飾られています。かなり大きな模型ですが、縮尺は 1/100 のようです。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(仙台港 FT 一周編)

フェリーに戻るまで少し時間があるので、フェリーターミナルの周りをグルっと一周してみることにしました。

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バス停の先は納品車輌用の駐車スペースとなっていて、一般車は駐停車禁止となっています。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(謎の「泉中央駅」行き編)

仙台港フェリーターミナルに戻ってきました。ケーズデンキ往復でお世話になったタクシーは、新たな客を探しに出かけたようです。

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どこへ行くのも 1.6 km

フェリーターミナルの十字路の手前には「みやぎ観光マップ」が置かれていました。

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太平洋フェリー「いしかり」スイート乗船記(一時上陸編)

仙台港フェリーターミナルの階段を下りて 1 階に向かいます。踊り場には連絡バスの時刻表が掲出されていますが、結構な頻度で運転されているようですね(しかも仙台駅前まで直通!)。

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心ゆったり船の旅

フェリーターミナルの 1 階では乗船手続きが行われていました。連休の初日だけあって、それなりに列ができていますね。

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