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北海道のアイヌ語地名 (1133) 「マカヨ・御仁田・トンケシ川・トンヤ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

マカヨ

makayo?
ふきのとう
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

茶路小中学校」のあたりで茶路川に合流する「マカヨ川」という東支流があるのですが、地名としての「マカヨ」はこの川の流域を中心に、茶路川の東岸に広がっています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「?カヨ」という川が描かれています。『北海道実測切図』(1895 頃) にも、ほぼ現在と同じ位置に「マカヨ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Makayo   マカヨ   蕗臺

「蕗臺」は「ふきのとう」のことで、確かに makayo は「ふきのとう」を意味します。白糠町の「広報しらぬか」にて連載された「茶路川筋のアイヌ語地名」によると、「マカヨ」は「マカヨ・タ・ナイ」が略されたもので、makayo-ta-nay で「ふきのとう・刈る・川」では無いかとのこと。

確かに「マカヨ」という地名はそう考えるのが自然ですが、makayo-ta-nay という川名の原典はあるのでしょうか。白糠地名研究会の『アイヌ語地名と原日本人:先住者の心をたずねて』(1983) に makayo-ta-nay とあるのは確認できたのですが、できればもう少し古い記録が欲しいところです。

余談

現在、「マカヨ川」の傍にある「茶路小中学校」のあるあたりは「白糠町松川」という地名なのですが、『アイヌ語地名と原日本人:先住者の心をたずねて』の付録「白糠町内会の由来一覧」には次のように記されていました。

 マカヨ沢のマカヨはアイヌ語で「松のたくさん、おいしげっている川」という意味である。この川に架けてある橋の名は松の生えている川にちなんで、松川橋なので、原語のマカヨそのままでは町名としてはへんだということになり、検討の末、松川部落と名づけられた。
(松本成美、白糠地名研究会『アイヌ語地名と原日本人:先住者の心をたずねて』現代史出版会 p.271 より引用)

「マカヨ」が「松のおいしげっている川」というのは何かの間違いなのですが、果たして本当に「ふきのとう」が自生していたのか、微かに疑いも抱いてしまいます。あえて「ふきのとう」以外の解釈を考えてみるなら、mak-wa-o で「山手・に・ある」と読めたりしないかな……とも。

マカヨ川は途中で二手に分かれていますが、西側(地理院地図に「マカヨ川」と記されているほう)は、茶路川とほぼ並行する向きに流れているので、その事を指して「山手にある」と呼んだのかな……という想像です。

御仁田(おにた)

o-nitat(-un-pet)
河口・湿地(・そこに入る・川)
(記録あり、類型あり)
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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (176) 「黄色地に黒文字と言えば」

「プロパンアンダーパス」で JR 根室本線の下をくぐると、程なく国道 38 号線との交叉点に辿り着きます。道道 151 号「幕別帯広芽室線」の単独区間はこの交叉点までっぽいですが、そのまま直進して北に向かいます。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。


国道 38 号から北は道道 214 号「川西芽室音更線」になるようです。

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (175) 「プロパンアンダーパス」

道道 214 号「川西芽室音更線」は帯広広尾自動車道と交叉した直後で左に向かってしまいましたが、そのまま直進して市街地に入りました。ここは帯広市大空町の西側……の筈です。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

右折して、すぐ左折して、再び北に向かいます。すぐ近くに「公園線」という名前の四等三角点(標高 87.7 m)があるそうです。

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (174) 「消えた白樺並木」

道道 62 号「豊頃糠内芽室線」を西北西に向かいます。

左折すると「岩内仙峡」ですが、この交叉点は、ホテルから岩内仙峡に向かう途中で通ったここですね。

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (173) 「幻の?『戸蔦 1 号農道』」

道道 55 号「清水大樹線」から外れる形で直進して帯広市に戻ってきました。

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帯広市道らしい道を直進すると、左側に神社が見えてきました。この神社は「中戸蔦神社」と言うのだそうです。Google マップを見ると、2 区画ほど北西にも「戸蔦神社」があるっぽいのですが、結構な密度ですよね……。

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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (172) 「紫竹ガーデンまで 11 km」

道道 55 号「清水大樹線」の「上札内小学校入口」まで戻ってきました。

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わざわざこうやって小学校の入口をアピールするのも珍しく感じられるのですが、上空から見ると「あ、こりゃ看板が必要だな」と実感できるかもしれません(「55」の数字の上あたりに看板があります)。

ただ良く見ると、駐車場は北側から出入りするようになっているようなので、この看板は「正門」の位置を知らせるためのもの……でしょうか。徒歩で来場する人のための看板なのかもしれません。

道道 240 号「上札内帯広線」の起点となる交叉点に戻ってきました。左折すると「岩内仙峡」で、右折すると上札内小学校の駐車場です。

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北海道のアイヌ語地名 (1132) 「大苗・フレイベツ川・御札部」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

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大苗(おおなえ)

oo-nay?
深い・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

国鉄白糠線の上白糠駅があったあたりから少し西(茶路川の上流側)のあたりの地名で、同名の川も流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲウナイ」とあり、『北海道実測切図』(1895) にも「オオナイ」と描かれています。

白糠町の「広報しらぬか」にて連載された「茶路川筋のアイヌ語地名」によると、「オオナイ」は「オオ(深い)・ナイ(沢)」だとあります。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) にも次のように記されていました。

 オオ・ナィ(oo-nay 水の深い・川)の意であるが現在は、明渠排水工事によって直線化され、川底もブロックを張りつめて、昔の形を見ることはできない。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.216 より引用)

oo-nay で「深い・川」だと考えられるのですが、鎌田さんはわざわざ「水の深い川」としています。どの辺が「水の深い川」だったのかは明言されていません。

地名において「深い」を意味する語には ooohoooho も同型)と rawne があります。oo は「水嵩のある」と言った意味で、rawne は「深く切り立った」という意味で解釈されます。鎌田さんはこの両者の違いを認識した上で「水の深い」と解釈したようです。

ただ、地形図を見た限りでは、大苗川は河口付近を除けば谷を流れる川で、流域面積も決して広いようには見えません。長雨でも無いと水嵩が上がりそうには思えないのですね。もちろん河口部が深く水を湛えていたと考えることも(理屈の上では)可能ですが、沼があったようにも見えないですし、果たして本当に「水の深い川」だったのか……という疑問が残ります。

oo あるいは oohorawne の代わり?のようになっていると思しきケースは、特に道東エリアにおいて散見されます。この「大苗川」も「深い・川」ですが、水深があるのではなく、深く切り立った谷を流れる川だったのでは……と思えて仕方がありません。

フレイベツ川

hure-pet
赤い・川
(記録あり、類型あり)
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