チェックインを終えて部屋に向かったのですが、カードキーをかざしてドアを開けると……
!!!
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
いやー、驚愕ですね……(汗)。デザインの奇抜さも然ることながら、決して広いとは言えない(12 ㎡ とのこと)部屋にベッドが二つ並んでいます。
チェックインを終えて部屋に向かったのですが、カードキーをかざしてドアを開けると……
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いやー、驚愕ですね……(汗)。デザインの奇抜さも然ることながら、決して広いとは言えない(12 ㎡ とのこと)部屋にベッドが二つ並んでいます。
以前から漠然と「一度行ってみたいなぁ」と思っていた小笠原諸島に行くことにしました。ということで、まずは旅のプランニングからなのですが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、小笠原諸島には民間の空港が無いため、島に向かうには小笠原海運が運航する「おがさわら丸」を利用するしかありません。「おが丸」の愛称で知られる「おがさわら丸」は一週間に一往復のみの運航で、出航してから戻るまで、最低でも 6 日が必要となります。
小笠原旅行には丸 6 日が必要になるということは……次のようなスケジュールを考えてしまうのですが……(突然のパワポ)
「あかしあ」は、20 時を過ぎた時点で伊根町の沖合を航行していました。
「あかしあ」と同型船の「はまなす」は、部屋の鍵が昔ながらのシリンダー錠なので、下船前に船員さんが各部屋を回ってルームキーの回収を行います。ルームキーの回収は概ね着岸の 1 時間ほど前なので、その後は部屋の施錠ができなくなります。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
前日の 23:30 に小樽を出発した「あかしあ」は、21 時間かけてここまで移動してきたことになります。飛行機や新幹線と比べると遥かに遅いものの、船上でのんびり寛ぎながら、車と一緒に移動できるのはありがたいの一言ですよね。
やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
音別川の西隣を流れる川の名前で、尺別川はかつて音別川と合流してから海に注いでいました。JR 根室本線にも同名の駅がありましたが、2016 年時点で「極端にご利用の少ない駅」として名前が上がった後に 2019 年に廃止され、現在は「尺別信号場」となっています。
「北海道駅名の起源」には次のように記されていました。
尺 別(しゃくべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 大正 9 年 4 月 1 日 (客)
起 源 アイヌ語の「サッ・ペッ」(かれた川)から出たもので、最初車扱貨物駅として開業したが、大正14年 2 月 1 日に一般貨物の取り扱いを開始し、昭和 5 年 4 月 1 日一般駅となった。
sat-pet で「乾いた・川」ではないか、という説ですね。1954 年版も確認しましたが同様の記述でした。
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Sat pet サッ ペッ 涸川 ○尺別村○水少クシテ鮭鱒上ラズ
完全に一致していますね。「駅名の起源」は永田地名解の記述を元にしたものだったのでしょうか……?
『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。
シヤクベツ〔尺別〕(晝所また止宿所にもなる、板くら、人足小や、土人二軒)名義は夏川也。或曰、夏に成哉、水乾く故號と。無別 とも云、乾別 とも、夏別 なり共云。
これも同じような内容に思えますが、よく見ると「夏川也」とあるので、これは sak-pet で「夏・川」ということになりますね。ただ「乾別」、つまり sat-pet で「乾いた・川」も異説として記されていて、また「無別」というのは sak-pet を「欠く・川」と解釈したのかもしれません。
なお余談ですが
此川風波の時は番屋前にて海に入り、晴天の時はヲンベツ〔音別〕と合て海に入る。
どうやら松浦武四郎が旅した頃は、平常時は音別川と合流していて、海が荒れたときは(尺別川が)直接海に注いでいたみたいですね。
『三航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。
シヤクベツ。訳而夏川と云り。シヤクは夏也。ベツは川なり。
やはり sak-pet で「夏・川」ではないかとのこと。
ただ加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。
シヤクヘツ シャク・ヘツ 干・川
此所に相応之川有。度々水干候故斯名附由。
こちらは sak-pet を「乾いた・川」としていますが、sak は「夏」か、あるいは「……を欠いた」を意味します。「干上がった川」、つまり「乾いた・川」であれば sat-pet とすべきですが、「シャク」とある以上は sat だった可能性は低そうにも思えます。
河口が干上がった川を o-put-sak-nay(河口・口・欠いた・川)と呼ぶ場合がありますが、それと似た感じで何か(水か魚か河口か)を「欠いた・川」として sak-pet と呼んでいたものを、よりストレートな表現である「乾いた・川」を意味する sat-pet に由来すると考えた……あたりかもしれません。
『北海道実測切図』(1895 頃) では「サッペッ」と描かれていました。この時点では既に加賀伝蔵が記録した「シャク」の音が「サッ」に変化していた、とも言えそうですね。
まぁ、夏枯れで水も魚もいなくなる川だとすれば、sak-pet であれ sat-pet であれ大差ないという話もありますが……。
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音別町チャンベツの北で音別川に合流する「萬の沢川」(かつて「タン子ナイ」と呼ばれた川)を遡った先に、「止若」という名前の三等三角点があります(標高 358.6 m)。面白いことに、この三角点は「とめわか」と読ませるそうなのですが……。
『北海道実測切図』(1895 頃) を見てみると、「タン子ナイ」の北に「ヤㇺワㇰカ」という川が描かれていました(現在「クマの沢川」と呼ばれる川だと思われます)。yam-wakka で「冷たい・水」と解釈できます。
「
この考え方の難点は、「クマの沢川」を遡っても「止若」三角点にたどり着けない(2 km ほど離れている)というところですが、南隣の「タンの沢川」を「ヤㇺワㇰカ」と誤認したとすれば説明がつく、かもしれません。
あるいは「タン子ナイ」(現在の「萬の沢川」)も「ヤムワッカ」だった可能性もあるかもしれませんが、その可能性を窺わせそうな傍証は見当たらないのが実情です。