Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

紀勢本線各駅停車 (22) 「椿・紀伊日置」

椿駅

紀伊富田を出発して走ること 5 分ほど、長短合わせて 5 つのトンネルを抜けると「椿駅」に到着です。赤い屋根の建物が駅舎のようです。途中で瓦の種類が違っているのは……何故なんでしょう。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。


駅名は「白浜町椿」という地名に由来するようで、駅の入口にも椿のイラストが。


椿駅は 2 面 3 線の国鉄型配線の駅だったと思われますが、上り本線を 3 番線から 2 番線に移設して、かつての 3 番線は保線用車輌の留置線になっているようです(架線も残っているようですが)。

続きを読む

紀勢本線各駅停車 (21) 「白浜・紀伊富田」

白浜駅

新宮行き 2333M は白浜駅に到着しました。白浜駅もお馴染みの 2 面 3 線の国鉄型配線のように見えますが、実は 1 番線の隣に頭端式ホームの 0 番線が存在していて、特急列車の折り返しに使用されているとのこと。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

0 番線を抜きにして「国鉄型配線」の駅だと考えた場合、新宮方面に向かう列車は 2 番線か 3 番線に入るのがセオリーですが、2333M は何故か 1 番線に入線してしまいました。1 番線は跨線橋を渡らずに改札に向かうことができるので、列車本数の少ない駅では JR 側が「気を利かせて」1 番線に入ってくれるケースもあるのですが……

ちょんまげピースサインのおっちゃん

1 番線に入ってしまったので 2・3 番のりばのホームが良く見えます。ホーム上屋が木製なのは驚きですが、スカイブルーと白のツートーンで塗装された上屋はハイカラな感じでなかなか良いですね。

続きを読む

紀勢本線各駅停車 (20) 「紀伊田辺・紀伊新庄・朝来」

紀伊田辺駅からは新宮行き 2333M に乗車します。昼間の時間帯は 3 時間に 1 本しか無い貴重な各駅停車です。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

13:11 に出発する 2333M(2 両編成)は 3 番線に入線済みです。ちなみに新宮からやってきた 2328M の紀伊田辺着が 11:59 なんですが、もしかしてずーっと 3 番線に停車したままなんでしょうか……?

続きを読む

紀勢本線各駅停車 (19) 「紀伊田辺」

紀伊田辺行きの 2353M は芳養はや駅を出発しました。次は終点の紀伊田辺です。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

御坊から紀伊田辺までは各駅停車で 42 分ほどで、2353M は特急の通過待ちがあったので 47 分かけて走っています。和歌山から御坊まではちょうど 60 分だったのですが、駅の数が少ないこともあってか、御坊から紀伊田辺までは割とすんなりと来てしまった感がありますね。

田辺市の市街地に入りました。家屋が密集しているように見えますが、これでもところどころに農地のあるエリアです。紀勢本線の線路はこの先大きく右にカーブしていて、紀伊田辺駅はこの写真の右側奥のほうにあります。

続きを読む

紀勢本線各駅停車 (18) 「南部・芳養」

岩代を出発すると、右手には再び海が見えてきました。浅い海の底に石が転がっているのが見えます。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

そして今度は綺麗な砂浜が見えてきました。Google Map によると、この海岸は「千里海岸」と言うとのこと。海岸の奥には岬が見えますが、これは「目津崎」というのだそうです。

続きを読む

北海道のアイヌ語地名 (945) 「飽寒別・奥蘂別川・オオナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

飽寒別(あつかんべつ)

apkas-nay??
歩く・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

国道 334 号の「朱円橋」の北、東二線と南一号の交点から 80 m ほど北に位置する四等三角点の名前です。かつての川名に由来する名前と思われますが、設置されたのは 1978 年とのこと。1978 年の時点では「飽寒別」という川名?は現役だったのでしょうか……。

明治時代の地形図には「ウナペッ」の支流として「アッカンペッ」が描かれています。越川神社のあたり(国道 244 号の近く)を流れる無名の川がありますが、これがおそらく「アッカンペッ」だったと思われます。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川が描かれていませんが、「午手控」には「アツカンヘツ ヲクシヘツ枝」と記されていました。

斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 アッカンペッ 語原不明。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.260 より引用)

うっ、これは痛い……。

「アッカンペッ」という音からは at-kar-pet で「オヒョウニレの樹皮・取る・川」あたりの解釈が想像されますが、これだと「アッカㇽペッ」なんですよね。at-kan-nay であれば「オヒョウニレの樹皮・取る・川」と解釈できますし、あるいは at-kan-ray-pet で「オヒョウニレの樹皮・取る・流れの遅い・川」あたりの可能性もあるかもしれません。

「アッカンペッ」=「アフカシナイ」?

ただ気になるのが、「東西蝦夷山川地理取調図」に「アフカシナイ」という川が描かれている点です。「アッカンペッ」よりも随分と山手に描かれていますが、「ウナヘツ」(海別川?)と「ヲフシヘツ」(奥蘂別川?)の近くに描かれているので、位置認識を誤った可能性も考えられます。

仮に「アッカンペッ」が「アフカシナイ」だったとすると、apkas-nay で「歩く・川」あたりでしょうか。

奥蘂別川(おくしべつ──)

o-kus-pet?
河口・横切る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

斜里町朱円しゅえんのあたりを流れる川です。現在は直接海に注いでいますが、かつては海別川に合流して東に向きを変えて、斜里町峰浜の西(東六線と東七線の間あたり)で海に注いでいました。

元々は海別川の支流という扱いでしたが、海別川よりも規模が大きく、また河口部の流路改修もあってか、現在は奥蘂別川が本流で海別川が支流という扱いのようです。


明治時代の地形図には「ウナペッ」の支流として「オクシュペッ」が描かれていました。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲフシヘツ」と描かれていますが、実際よりも随分と山奥に描かれています。

斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 オクシュンペッ 奥蘂別川。「オ・クㇱ・ウン・ペッ」(o-kus-un-pet 川向うにある川)。一番浜側にサクㇱペッがあり,その奥にマクㇱペッがあり,更にその川の彼方にこの川が流れていたのでそう名づけた。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.260 より引用)

むむ……。尤もらしい解に思えますが、松浦武四郎の記録では「ヲ(ク)シヘツ」で、明治時代の地形図でも「オクシュペッ」でした。現在の川名も「おくしべつ──」で、いずれも -un が含まれていないのですね。

改めて「斜里郡アイヌ語地名解」を見てみると、「オクシュンペッ」の前にこれらの川が並んでいました。

 サクㇱペッ(右支流)「サ・クㇱ・ペッ」(sa-kus-pet 浜側を・通つている・川)。
 マックㇱペッ(左支流)「マㇰ・クㇱ・ペッ」(mak-kus-pet 奥を・通る・川)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.260 より引用)※ 原文ママ

「奥蘂別川」ですが、o-kus-un-pet ではなく素直に o-kus-pet と考えて、「河口・横切る・川」と解釈できないでしょうか(最近 kus を「横切る」と考えるのが癖になりつつありますが)。現在は浜堤を真っ直ぐ突っ切って海に出ていますが、本来は東に向きを変えてから海に出ていたので、そのことを指して河口が「横切る」(あるいは「横断する?」)川と呼んだのではないかな、と思われるのですが……。

オオナイ川

oo-nay?
(水かさが)深い・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

奥蘂別川の最も上流部で合流する支流です。「東西蝦夷山川地理取調図」や古い地形図にはそれらしい川名が見当たりませんが、「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 オオナイ(マクㇱペッ枝川)「オオ・ナイ」(oo-nay 深い・川)。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.261 より引用)

「マクㇱペッ枝川」とありますが、これは「オクㇱペッ枝川」の間違いでしょうか。ウナベツスキー場の北東に「マクシベツ川」という川があるのですが、この川には支流らしい支流が見当たりません。

oo- というのは少々耳慣れない感がありますが、「地名アイヌ語小辞典」には次のように記されていました。

oo オお 【H 北】《完》深い(深くある);深くなる。(同→oho:対→hak)
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.78 より引用)

ああ、ooho と同じ意味なんですね。地名で頻出する「深い」を意味する語は oohorawne があって、前者は「水かさが深い」、後者は「深く切り立った地形」を意味するとされます。

奥蘂別川の支流の「オオナイ川」は海別岳の南麓を深く刻むように流れています。どう考えても ooho ではなく rawne のほうが適切に思えるのですが、「北海道地名誌」を見てみると……

 オオナイ川 奥蘂別川上流の支流。水の深い川の意。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.456 より引用)

はっきりと、言い逃れできないレベルで「水の深い川」と書いてありますね……。大きな間違いが含まれている予感がしてならないですが、他に解釈の余地も無く……。今日のところは oo-nay で「(水かさが)深い・川」とするしか無さそうです。

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

北海道のアイヌ語地名 (944) 「幾品川・シュクンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幾品川(いくしな──)

e-kusna-pet?
頭(=山)・横切る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

猿間川の東支流で、事実上の本流と目される川です(猿間川よりも遥かに長いため)。川の北側の地名は「以久科」で、中流部には優美なコンクリートアーチ橋として知られる「越川橋梁」(正式名称は「第一幾品川橋梁」)があります。

知里さんの「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 イクㇱナペッ(左枝川)幾品川。「エ・クㇱナ・ペッ」(e-kusna-pet そこを・突き抜けている・川)。山の際まで突き抜けている川の義。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.258 より引用)

また、永田地名解には次のように記されていました。

Ikush pet  イクㇱュ ペッ  彼方ノ處 ヤチ川ナリ

改めて見てみると……両者は全然違うことを書いているように見えますね。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」には「イ?シヘツ」という川が描かれていますが、単なる猿間川の一支流という扱いで、実際よりも遥かに小規模な川として描かれています。

ここまで見た限りでは、「イクシヘツ」がいつの間にか「イクㇱナペッ」に化けたように思えますが、「辰手控」には「イクシナベツ」とあり、「竹四郎廻浦日記」にも「イシナヘツ」とあります。明治時代の地形図はいずれも「イクシナペッ」となっているため、「イクシヘツ」と呼ぶ流儀は廃れつつあったと言えるかもしれません。

"kusna" は「横切る」?

kusna という語は「地名アイヌ語小辞典」には出てこないので「???」となったのですが、何のことは無く e-kusna-pet という項がありました。

e-kusna-pet, -i エくㇱナペッ 【ビホロ】山に沿うて流れて来てその山の出止りでそこを横ぎっている川。 [そこを・横ぎっている・川]
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.25 より引用)

知里さんは e-kusna-pet を「そこを・横切っている・川」としましたが、「頭・横切っている・川」と解釈したほうが良さそうにも思えてきました。

美幌町に「登栄といえ」という川があるのですが、知里さんはこの川が tu-etok-kus-nay で「山の走り根・その先・通る・川」だとして、「奥から出てくる山の走り根を横切る川」と読み下していました。これは「エ・クㇱナ・ペッ」の意味するところを理解するヒントになりそうです。

幾品川を地形図で見てみると、越川集落(国鉄根北線の「越川駅」のあったあたり)では左右に山が聳えているものの、その上流側にある「越川橋梁」の南西側は平原状の地形になっていて、分水嶺らしき山が見当たりません。

別の言い方をすれば斜里町羅臼町の境界に聳える「きり山」から北西に伸びる山が越川橋梁の南で *切られている* ようにも見えます。このことを指して e-kusna-pet で「頭(=山)・横切る・川」と呼んだのではないか……と思えてきました。

更に言えば、e-(頭)ではなく etu-(鼻)のほうが、より地名(川名)として適切なような気もします。etu- が略されて e- と言い換えられるようになった……などと考えたくもなりますね。陸軍図には「越川橋梁」の西に川が描かれていて、古い地図では「エツ?エトイナイ」と描かれているように見えます。これは etu-e-tuye-nay で「鼻・そこで・切る・川」と読めそうな気がします。

越川(こしかわ)

国鉄根北線の「下越川駅」のあたり、あるいはその先の「越川駅」のあたりの地名です。「角川──」には次のように記されていました。

地名は,根室方面に向かうとき以久科川を越すということで越川と命名した(斜里町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.549 より引用)※ 原文ママ

また「北海道駅名の起源」にも次のように記されていました。

  越 川(こしかわ)
所在地 (北見国)斜里郡斜里町
開 駅 昭和 32 年 11 月 10 日
廃 止 昭和 45 年 12 月 1 日
起 源 もと「越川駅逓」のあったところで、以久科川を越えて根室に行くところの道すじから「越川」と名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.224 より引用)※ 原文ママ

確かにその通りだと思われるのですが、e-kusna-pet が「頭(山)を横切る川」ではないかとなると、「山を越す川」という含意もあったのではないか……などと考えたくなってしまいます。kusnakus と「越」も似てますし……。

シュクンベツ川

sum-kus-pet
西・横切る・川
(典拠あり、類型あり)

「越川橋梁」の南で幾品川に合流する西支流です(地理院地図では「シュンクンベツ川」)。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川が見当たりませんが(「イクシヘツ」が不当に短く描かれているため)、明治時代の地形図には「シュンクㇱュペツ」と描かれていました。

sunku-us-pet で「エゾマツ・多くある・川」とかかな……? と思ったのですが、「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 シュムクㇱペッ(幾品川右支流)「シュム・クㇱ・ペッ」(sum-kus-pet 西・を通る・川)。
知里真志保知里真志保著作集 3斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.259 より引用)

ふむふむ。言われてみればこの川も幾品川との間の山の鼻先を *横切っている* とも言えるので、「西のクㇱペッ」というのもなんとなく理解できる気がします。sum-kus-pet で「西・横切る・川」と見て良さそうでしょうか。

「シュクンベツ川」(シュンクンベツ川)も幾品川と同様に、尾根を横切っている川と言えなくもないので、あるいは「ポンイクシナベツ」というネーミングでも良かったのかもしれませんが、「ポンイクシナベツ」は「越川橋梁」のすぐ上流側で東から合流する支流の名前として既に使用済みだったので、若干アレンジしてみた……とかだったりして。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International