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メモリアルシップ八甲田丸 (5) 「青函鉄道連絡船記念館」

「青函ワールド」に続いて「青函鉄道連絡船記念館」にやってきました。3 階「遊歩甲板」の船首側です。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

津軽海峡渡航のあけぼの

津軽海峡渡航のあけぼの」と題されたコーナーには、津軽海峡往来の歴史と、それらに関連する歴史上の出来事がリストアップされています。

ちょっと「あれっ?」と思ったのが、「明治2年(1869) 、箱館に設置された北海道開拓使は、官物輸送のために咸臨丸・昌平丸の 2 隻の洋式帆船で、青森・安渡・箱館間に官物輸送を開始」とある部分なんですが、「安渡」ってどこでしたっけ?

ということでググってみたところ、https://japanknowledge.com/articles/blogjournal/howtoread/entry.html?entryid=21 というページが出てきました。どうやら「むつ市」の大湊駅のあたりを指していたみたいですね。

青森と大湊の間は陸続きですが、陸奥湾(と野辺地湾)が存在するために若干の遠回りを強いられます。大湊線の前身である「大湊軽便線」が全通したのが 1921(大正 10)年なので、それまでは陸奥湾を船で輸送するのがコスト的に最適だった……ということなんでしょうね。

青函連絡船の誕生

続いては「青函連絡船の誕生」と題されたコーナーです。「青函連絡船」ができるまでの歴史が年表にまとめられているのですが、左側のパネルには「青函間の定期航路は、明治5年(1872) 9月、北海道開拓使の手で始められ、明治12年(1879) に三菱会社の経営に移りました」とあります。

ただ、不思議なことに 1878(明治 11)年にイザベラ・バードが青函航路を利用したときには「ミツビシ会社で切符を買った」と記しています。開拓使が三菱に運航を委託していた、ということなんでしょうか……?

青函連絡船80年史

続いて「青函連絡船80年史」です。こちらも年表と写真が展示されているのですが、なんと「空襲を受けた連絡船」の写真が!

「連絡船」はもちろん民間船ですが、軍人や軍需物資を運搬していると見做されて攻撃対象になった……ということなのでしょうね。まぁ市街地が無差別に空襲される時代だったので、民間とか軍需とか関係なく無差別に攻撃を受けていたわけですが……。

ただ、「連絡船受難の時代」は戦中に限った話ではなく、1949(昭和 24)年の「洞爺丸台風」では一挙に 5 隻の連絡船を喪失しています。「青函トンネル」という「世紀の大工事」が実行に移された大きなきっかけとなった事故でした。

青函航路の旅客数と貨物数の推移が折れ線グラフで示されています。旅客・貨物ともに 1971(昭和 46)年にピークを迎え、その後貨物は 1977(昭和 52)年から 1979(昭和 54)年にかけて上向きますが、その後再び減少に転じています。また 1975(昭和 50)年に「下り貨物」と「上り貨物」の輸送量が逆転し、「下り貨物」(青森から函館へ)が多くなっています。

「第一青函丸」と「2 代目津軽丸」

この模型(カットモデル)は「第一青函丸」のものです。「第一青函丸」は青函航路初の「自航式車両渡船」として 1925(大正 14)年に竣工し、1945(昭和 20)年に米軍機に撃沈されるまで 20 年間使用されたとのこと。

こちらは 1964(昭和 39)年に竣工した「津軽丸(2代目)」の模型で、八甲田丸・松前丸・大雪丸摩周丸・羊蹄丸・十和田丸のベースとなったものです。

津軽丸」は 1964(昭和 39)年 3 月竣工で 1982(昭和 57)年 3 月まで運航されましたが、「八甲田丸」は 1964(昭和 39)年 7 月竣工で 1988(昭和 63)年 3 月の青函連絡船廃止まで運航され、この「23 年 7 ヶ月」は青函連絡船歴代最長とのこと。これは諸々の偶然が重なったためですが、「八甲田丸」はなかなかの強運の持ち主だったのでは……?

模型の後ろに人のような姿が見えますが、これは「青函ワールド」にて展示されていたもののようです。「青函ワールド」はお台場の「羊蹄丸」船内から移設したものですが、スペースの都合なのか、「青函鉄道連絡船記念館」の中にもジオラマ?が置かれているんですね。

タグボート

手前には「ふくうら丸」という船の模型も見えます。聞き覚えのない船名ですが、なんとこれは「タグボート」とのこと。タグボートは大型船の入港の際に、必要に応じてやってくる「補助船舶」で、本来は前後にしか動かない大型船を横にスライドさせる場合などに使用されます。そのため見かけは小ぶりですがもの凄いパワーがあるんですよね。

その後ろには「想い出の青函連絡船」と題して、過去に就航された船の写真が並んでいました。もの凄い数ですが、確かにうぃきぺの「青函連絡船」の項目を見ても膨大な数の船が……。

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