Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

北海道のアイヌ語地名 (1308) 「目梨別橋・ペンケオニケムシ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

目梨別橋(めなしべつ──?)

menas-pet
東・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

静内川(新ひだか町)にある「高見ダム」の下流側には水力発電所があり、道道 111 号「静内中札内線」から水力発電所に向かう道路は「目梨別橋」で静内川を渡っています。

「目梨別橋」は「静内川」を渡る橋ですが、『北海道実測切図』(1895 頃) では「静内川」が「メナシュペッ」となっています。これは支流の「シュンベツ川」と対になる概念で、当時は「シュンベツ川」との合流点より上流側は「メナシベツ川」だったようです。

戊午日誌 (1859-1863) 「志毘茶利志」にも次のように記されていました。

     メナシベツ
此川東川と云儀也、西川より少し川巾ひろけれども、其地形は同じ事にして、両岸同じく高山にして其山根は大岩峨々として聳え、異草も多く有哉に見え、また両岸少しヅヽの小石原有るなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.608 より引用)

menas-pet で「東・川」ということですね。いつしか「メナシベツ川」の名前が失われて「静内川」に変わったようですが、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」によると、1977(昭和 52)年の 1/50000 地形図「農屋」では「メナシベツ川」で、1993(平成 5)年の「農屋」で「静内川」に変わっていました。思ったよりも最近の出来事だったんですね。

「目梨別橋」は、失われた「メナシベツ川」の名前を発掘したネーミング……かと思ったのですが、「高見ダム」の建設が開始された時点の川名は「メナシベツ川」だったので、単に川名を借用しただけだったのかもしれません。ところが何故か「メナシベツ川」の名前が失われ、「目梨別橋」(目梨大橋とも)だけが残ってしまった……ということのようです。

ペンケオニケムシ川

penke-o-niti-us-pe?
川上側の・河口・串・ついている・もの(川)
(? = 旧地図に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

高見ダムの堰堤のすぐ北で高見湖(ダム湖)に注ぐ川です。この川名は以前にも検討したことがあったのですが……(参考)。

記録によって異同が激しいので、まずは表にまとめてみました。

午手控 (1858) ハンケヲニチフシケ ヘンケ──────
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) ハンケヲニチミフ ヲニチミフ
戊午日誌 (1859-1863) パンケヲニチフシケ ペンケヲニチフシケ
蝦夷日誌 (1863-1867) ヲニチブシケ ベンケチブシケ
永田地名解 (1891) オニチム シュベ
北海道実測切図 (1895 頃) パンケオニチムㇱュペ ペンケオニチムㇱュペ

「櫛のような岩」説

地名解ですが、戊午日誌「志毘茶利志」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ハンケヲニチフシケ
     ヘンケヲニチフシケ
等二川とも左りの方也。魚類は鱒と鯇と有るとかや。其名義は櫛の如き岩有るによつて号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.614 より引用)※ 原文ママ

また『東蝦夷日誌』には次のように記されていました。

ヲニチブシケ(左)、ベンケチブシケ(同)ここには櫛齒くしのはの如き數本立並びたる石有と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.173 より引用)

伝家の宝刀「?」

永田地名解は例によって変化球を投げてきましたが……

Onichimshbe   オニチム シュベ   ?

残念なことに伝家の宝刀「?」が出てしまいました。

「櫛」ではなく「串」

松浦武四郎は「櫛のような岩」あるいは「──石」と記していますが、面白いことに『午手控』では……

ハンケヲニチフシベ くしの如き木有るによって号
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.267 より引用)

「くしの如き」と記しています。

「櫛」はアイヌ語では kiray ですが、「ヲニチフシケ」のどこに kiray が入るのか良くわかりません。……実はこれ、おそらく「櫛」ではなく「串」が正解なのでしょう。『午手控』には「くしの如き」とあるので、それを『戊午日誌』で清書する際に「櫛」としてしまったものかと。

「串」は nit で、所属形「あの串」が niti となります。o-niti- まではほぼ確定として、あとは「──フシケ」や「──ミフ」あるいは「ム シュベ」をどう解釈するか……ですね。

「──フシケ」は -uske かと思ったのですが、これは動詞や連体詞の後ろに置かれるものらしいので、名詞である niti の後ろに来ることは無さそうです。となると -us-pe で「ついている・もの」でしょうか。penke-o-niti-us-pe であれば「川上側の・河口・串・ついている・もの(川)」となりそうです。

あとは永田地名解の「オニチム シュベ」をどう考えるかです。一般的には mu は「塞がる」という意味ですが、釧路方言の使い手として知られる八重九郎さんによると mu で「~を這い上がる」を意味するとのこと。静内で釧路方言が通じるとは思えませんが、mu の語源だったのか、あるいはそういった拡大解釈ができたのかもしれません(塞がれたものを乗り越えるには這い上がるしかないので)。

「串」の正体

北海道実測切図』には「ペンケオニチムㇱュペ」と「パンケオニチムㇱュペ」が描かれていました。

ところが、よく見ると現在の「ペンケオニケムシ川」とは位置が異なっています(現在の「ペンケオニケムシ川」の位置には「ポロピナイ」という川が描かれていて、本来の「ペンケオニチムㇱュペ」の位置には、現在「鬼渓橋おにけばし」があります)。

陸軍図を見てみると、「ペンケオニチムㇱュペ」と「パンケオニチムㇱュペ」は、それぞれ長く伸びた尾根の西側を流れています。どちらも尾根の先端が小さな山のようになっていて、これを「串」と見たのかもしれません。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International