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アイヌ語地名の傾向と対策 (538) 「以平町・戸蔦別川・クルゾペナイ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

以平町(いたいら──)

i-taratarak(-i)?
それ・ごろごろしている(・ところ)
(? = 典拠あり、類型未確認)

帯広空港の東側の地名です。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 以平町(いたいらちょう)
 幕別に接する地帯。アイヌ語イタラタラッキに当字をしたというが、意味不明。

確かに良くわからないなー……と思っていたところ、山田秀三さんの「北海道の地名」にこんな記述を見つけました。

イタラタラキ
 更別村内,猿別川上流の東支流。明治末の安田巌城氏十勝地名解は「原称はイタラタラゲイなり。動揺する地との意にして,此地は湿地にして,其上を歩けば大地動揺するより名づく」と書いた。
 知里博士小辞典には「tattarke-i タッタルケイ。水中に岩磐などあって川波の立ちさわぐ所;たぎつせ。〔←tar-tar-ke(踊り・踊り・する)-i(所)〕と書かれている。その語頭にイ(それが)がつくと安田氏の書いた形である。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.307 より引用)

へぇ~そうなのかぁ~と思ったのですが、よく見たら「更別村内」とあります。確かに地形図を良く見てみると、十勝スピードウェイ更別村)の西側に「イタラタラキ川」が現存しています。ややこしいことに、比較的近くに同名の川があったということみたいですね。

肝心の「以平」の地名解ですが、taratarak で「でこぼこしている」あるいは「ごろごろしている」という語彙があるので、i-taratarak(-i) で「それ・ごろごろしている(・ところ)」あたりなのかなぁ、と思います。「それ」は何かって? さぁ……何なんでしょうね(汗)。

戸蔦別川(とったべつ──)

totta-pet
箱(かます)・川
(典拠あり、類型あり)

帯広市内や中札内村内を流れる「札内川」という川がありますが、戸蔦別川はその札内川の支流です。もしかしたら源流部にある「戸蔦別岳」のほうが有名かもしれませんね。

永田地名解には次のように記されていました。

Totta pet  トッタ ペッ  箱川 戸蔦村

また、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

トッタはしなの木の皮や草の繊維で編み上げた大かますで,稗や粟を穂のまま入れて保存したのだという(萱野茂氏談)。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.311 より引用)

ふむふむ。確かに茅野さんの辞書にも次のようにありました。

トッタ【totta】
 かます,特大袋:チ・ポㇷ゚テ ニペㇱ(煮たシナの木の皮)で編む.


ポㇷ゚テ…… popte は「煮立たせる」という意味だそうです。

安田巌城氏十勝地名解は「トッタは箱。両岸岩石等に囲まれて,あだかも函の状をなせる処あるにより名づけた」と書いた。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.311 より引用)

孫引きが続いてすいません。手元に復刻版の「十勝地名解」があるのですが、確かにこのように記されていました。

「箱」を意味する語彙としては suop というものがあります(「聚富」の語源とも言われていますね)。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」にも、帯広での「箱」を意味する語彙として supóp あるいは hakó が記録されています。

「戸蔦別」が suop-pet ではなく totta-pet なのは、「箱型」の意味するところが少し違いがあったのかもしれませんね。suop が □ だとすると、totta は ◇ だったんじゃないかな、なんて思ったりもします(ひし形ではなく六角形なのかも)。とりあえず totta-pet で「箱(かます)・川」と見て良さそうでしょうか。

クルゾペナイ沢

yuk-ru-pes-pe?
鹿・道・それ(川)に沿って下る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

戸蔦別川の支流に「岩内川」という川があります(「岩内自然の村」のあるところです)。岩内自然の村から更に上流部に遡ると日立オートモティブシステムズのテストコース?がありますが、そこから更に上流部で「クルゾペナイ沢」という南支流が合流しています。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には、驚くべき解が記されていました。

ユㇰルペシペ
クルヅペナイ沢(地理院 営林署図)
 岩内峡谷の終点(上流)付近で南側から、流入している小沢である。
 ユㇰ・ル・ペㇱ・ぺ「yuk-ru-pes-pe 鹿・路・それ(川)に沿うて下る・もの(川)」の意で、背中合わせの札内川筋にも、同じ地名がある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.67 より引用)

曰く、「クルゾペナイ沢」ではなく「クルヅペナイ沢」で、もともとは「ユㇰルペシペ」だったというのですね。随分と原型を留めないレベルで改変されてしまったものだなぁ……という以前に、鎌田さんがどのようにして「ユㇰルペシペ」にたどり着いたのかが謎に思えてきました。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めていて謎が解けました。確かに現在の「クルゾペナイ沢」のあたりに「ユクルベシベ」と記されています。なるほど、これなら理解できます。一見にわかには信じがたいですが、「クルゾペナイ沢」は yuk-ru-pes-pe で「鹿・道・それ(川)に沿って下る・もの(川)」と読み解くしかなさそうです。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

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