敦賀と言えば「小牧のかまぼこ」ですが(否定はしない)、小牧のかまぼこと並び称される(当社調べ)「人道の港 敦賀ムゼウム」にやってきました。
建物の横には「ご案内」と題された案内板が立てられていました。曰く「展示館名」が「人道の港 敦賀ムゼウム」で、「会場」は「金ヶ崎緑地休憩所(大和田別荘)内」とあります。厳密には「敦賀ムゼウム」という建物があるわけでは無いんですね。
そう思いながら建物を正面から眺めてみると、あっ本当だ、「金ヶ崎緑地休憩所」とありますね。パネル左側の男性は、あの「杉原千畝」さんです。
杉原千畝さんと言えば、第二次大戦中にリトアニアのカウナス領事館で、ナチスからの迫害を逃れるために出国を希望していたユダヤ人難民に対して日本の「通過ビザ」を大量発給した人として有名です。
ビザを手にしたユダヤ人は、シベリア鉄道に揺られてロシア極東のウラジオストクまで移動して、そこから日本に船で渡ってきました。このようにして、敦賀港は命からがらヨーロッパから逃げてきたユダヤ人難民の上陸港となったわけです。
昇龍道?
では、早速中に入ってみましょう。
ところで、入り口のドアにこんなステッカーが貼ってあったのですが、これは一体何なんでしょう……?
ググってみたのですが、どうやら「昇龍道」プロジェクトなるものがあるみたいですね。海外からのインバウンド観光を促進するための企画のようです。
「敦賀ムゼウム」の中へ!
この施設(正確には「この展示」)は、杉原千畝さんの人道に基づく勇気ある行動を顕彰するもの……とどうしても勘違いしてしまいがちですが、実はそうではありませんでした。敦賀港は、第二次大戦中のユダヤ難民を受け入れる以前にも、いわゆる「ポーランド孤児」の受け入れ港となっていたんですね。
どうしても「単に難民が上陸しただけなんだよね?」と思ってしまいますが、シベリア鉄道と船での移動は孤児や難民をひどく疲弊させるもので、市民の中には彼らの窮状を見るに見かねて食事や風呂などを提供したケースもあったのだそうです。「人道の港 敦賀ムゼウム」は、そういった故事を後世に伝えるための資料が展示されています。
……長々と(?)語ってしまいました。写真のひとつでもあれば良かったのですが、残念ながら館内は撮影禁止とのこと。ヨーロッパにおける「激動の 20 世紀」の一欠片を日本に居ながらにして追体験できるのは、実はなかなか貴重なことなのかもしれません。近くを行かれることがあれば、ぜひ一度足をお運びになってみてはいかがでしょうか。
記念植樹
「敦賀ムゼウム」の展示が行われている場所は「金ヶ崎緑地」ですが、その名の通り、程よく緑のあるところです。中にはこのような「記念植樹」もあります。
こちらはまさに、杉原千畝さんの発給したビザを持って実際に敦賀港に上陸した方による記念植樹とのこと。日本語と英語で来歴が記されていますが、「杉原千畝氏」の部分が Chiune Sugihara になっていますね。
Chiune は欧米人には難読なので、海外向けには Senpo Sugihara と有職読みされることも多いようですが、ここでは正式な読みの Chiune になっています。
「オリーブの木」と「レバノンスギ」
ここにも記念植樹がありました。こちらは植樹されてから少し日が経っているようで、すくすくと育っているようですね。
こちらはイスラエル大使が 2009 年に植樹した「オリーブの木」のようです。「オリーブの木」はイスラエルの「国の木」とのこと。
「国の木」と言われて思い出すのが、レバノンの国旗に描かれている「レバノンスギ」ですが、なんと絶滅が危惧されているのだとか……。オリーブの木とレバノンスギが仲良く共存する日が来ることを信じたいですね。
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