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アイヌ語地名の傾向と対策 (808) 「倉沼川・岐登牛山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

倉沼川(くらぬま──)

ku-rarma-i??
仕掛け弓・多く仕掛けてある・もの(川)
{ku-rar}-oma-i???
{潜る仕掛け弓}・そこにある・もの(川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)(??? = 典拠なし、類型未確認)

東川町は町域のほぼ東半分が忠別川流域で、残りの大半が倉沼川の流域です。倉沼川は下岐登牛のあたりで「サルン倉沼川」が合流しているほか、2 km ほど上流側で「ポン倉沼川」が合流しています。

東川町の「基線」である道道 1160 号「旭川岳温泉線」から見て 5 本目の幹線道路となる「北五線」(途中からは道道 611 号「瑞穂東川線」)を南東に向かうと、やがて倉沼川沿いの山に囲まれた地形となり、北五線が大きく左にカーブするあたりが「幌倉沼」と呼ばれる地域です。

倉沼川は幌倉沼の少し上流側で南支流である「幌倉沼川」と合流します。それぞれの支流には更にその支流も存在しますが、大きく分けると「倉沼川」「サルン倉沼川」「ポン倉沼川」「幌倉沼川」の 4 つと言えそうですね。

「クラヽヲマ」あるいは「クラロマイ」

倉沼川自体はペーパン川の支流で、ペーパン川は牛朱別川の支流です。明治時代の地形図には「クラロマイ」と描かれていました。

遡って「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「クラヽヲマ」という名前の川が描かれていました。また永田地名解には次のように記されていました。

Kuraromai  クラロマイ  機弓場 アマポヲ置キ熊ヲ捕る處

「クオナイ」説という勘違い

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

倉沼川 くらぬまがわ
 米飯川の西支流。永田地名解は「クラロマイ。機弓場。アマポ(仕掛け弓)を置き熊を捕る処」と書いた。倉沼はそれを下略して訛った形。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.106 より引用)

そうですね。ここまでは特に異論はありません。ただ……

旭川市史の解が「クオナイ ku-o-nai(仕掛弓・多くある・沢)」と書いたのはこれらしい。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.106 より引用)

えっ……と思って、改めて知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」を確かめてみたところ、次のように記されていました。

 チカプンナイ(Chikap-un-nai 「鳥・入る・沢」)
 クオナイ(Ku-o-nai 「仕掛弓・多くある・沢」)
 イチャヌンナイ(Ichan-un-nai 「鮭鱒の産卵場・ある・沢」)
知里真志保知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.330 より引用)

この記述を元に、改めて古い地図で確かめてみたところ、「チカプンナイ」は現在の「近文内川」のことで、「クオナイ」は「近文内川」と「ポン牛朱別川」の間(「黒岩山」の北西側)に描かれていました。

「上川郡アイヌ語地名解」には「ペーパン川筋の地名」が別の項目として立てられていて、そこには

 クラルマイ(Kú-rarma-i「仕掛弓を・多く仕掛てある・場所」) 右,枝川。
 サルン・クラルマイ(Sar-un-Kurarmai「葦原・へ行く・クラルマイ川」) クラルマイ川の左の枝川。
 オンネ・クラルマイ(Onne-Kurarmai「老いたる・クラルマイ川」) クラルマイ川の上流。
 シュマルプネペツ(Shuma-rupne-pet「石・大きい・川」) オンネクラルマイ川の左の枝川。
知里真志保知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.330 より引用)

と記されていました。

要は山田さんが「クオマイ」を出してきたのがちょっとした勘違いで、倉沼はやはり「クラルマイ」と考えるのが良さそうです。ただ、果たして rarma に「多く仕掛けてある」という意味があるのか、という大きな問題が残ります。

ku-rarma か {ku-rar}-oma か

rarma ではなく rar-oma だったらどうだろう……と考えてみたのですが、raroma という動詞が並ぶのは流石におかしいような気がします。

ただ、rar は「潜る」という意味なので、ku(仕掛け弓)の中でも一部を水面下に設置するような流儀があって、それを ku-rar で「仕掛け弓・潜る」と呼んだのであれば、{ku-rar}-oma-i は「{潜る仕掛け弓}・そこにある・もの(川)」と読み解けそうな気がします。

あるいは単純に rarma に「多く仕掛けてある」という意味があるのであれば、まさに知里さんが書いた通り ku-rarma-i は「仕掛け弓・多く仕掛けてある・もの(川)」ということになりますね。ただ、辞書類には rarma-ni で「イチイ」(オンコ)という語彙は記されてあっても、rarma という動詞は見当たりません。

支流群の名前

「サルン倉沼川」は sar-un-{kurarmai} で「葦原・そこに行く・{クラルマイ}」となり、また「幌倉沼川」は onne-{kurarmai} で「老いたる・{クラルマイ}」だったのが、onne- が同じニュアンスの poro- に変化したと考えられます。

「ポン倉沼川」は pon-{kurarmai} で「子である・{クラルマイ}」と言えそうです。この pon-{kurarmai} が存在したことから、onne-{kurarmai}poro-{kurarmai} となり、最終的に「幌倉沼」になったとも言えそうですね。

最後にやや余談ですが、知里さんが「シュマルプネペツ」と記録した川は、現在の「倉沼川」の上流部(幌倉沼川と合流する手前の部分)に相当するようです。ここは「クラルマイ」ではない独自の名前だったのですが、残念ながら今では失われてしまったようです。

岐登牛山(きとうし──)

kito-us-nupuri
ギョウジャニンニク・多くある・山
(典拠あり、類型あり)

「岐登牛山」は旭川市と東川町の境界に聳える標高 456.5 m の山で、東川町側の西斜面にはスキー場もあるようです。

また、麓には「下岐登牛」集落があるほか、サルン倉沼川沿いに東に向かったところには「上岐登牛」集落もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「キトウシノホリ」という山が描かれていますが、作図の都合上か、全く異なる位置に描かれています。とりあえず見なかったことにしましょう(ぉぃ)。

永田地名解にも次のように記されていました。

Kito ush nupri  キト゚ ウㇱュ ヌㇷ゚リ  葱山 「クラロマイ」ト「ペパン」ノ間ニアル山
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.50 より引用)

こちらは位置関係の把握も間違い無さそうですね。kito は「ギョウジャニンニク」のことなので、kito-us-nupuri は「ギョウジャニンニク・多くある・山」と考えて良いかと思います。永田氏が「葱」としたのは、「ギョウジャニンニク」を「アイヌネギ」と表現する流儀に沿ったということでしょう。

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