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北海道の旅 2008/夏 (46) 「壮大なる実験の跡」

さてさて。新得町の「そばの館」にて「ざるそば」を食したことは、昨日の記事で触れた通りです。この「そばの館」、駐車場の脇になにやら曰くありげな、遊歩道のようなところがあったので、ちょいと足を運んでみました。

ははは(笑)。なんだかおかしなもの(ぉぃ)があります。

狩勝ポッポの道」ですか……。なるほど、かつての根室本線の「狩勝峠」の跡だったんですね。案内板には「旧狩勝線」とありますが、「狩勝実験線」という名前の方が有名なんじゃないかな、と思います。

脱線、転覆、炎上……

どんな実験をしていたかと言うと……実際に、貨車を脱線させる実験を行っていたのだとか(こんな実験ができるのは、北海道ならではですね)。ほかにも、1972 年に北陸トンネル火災事故が発生したことを受け、実際に車両火災を起こして燃やしてしまうなどの、大門くんもびっくりのカースタント……ではなくて、えーと……何だ? まぁ、派手に実験をやっていた所だったのでした(←

「そばの里」から新内方向を望んでみました。

路盤(跡)脇には、さりげなくこんなものも。

これは……本物かな? 現在の滝川─新得間が 136.3 km と言いますから、距離感は合ってますね。

人使いの荒いおっさんの話

ちなみに、この狩勝峠、かの田辺朔郎琵琶湖疏水を設計した)が実地を踏査して、ルートを決定したのだとか。

歴史
1896 年の北海道鉄道敷設法により北海道内 1000 マイル(約 1600 km)の鉄道整備が決まり、北海道庁長官の北垣国道はルート選定のための踏査を帝国大学工科大学教授の田辺朔郎に依頼。田辺は帝国大学を後にし、北海道庁鉄道敷設部長として踏査にあたった。

十勝ルートの踏査にあたっては、樹木が繁茂し見通しのきかない夏期を避け、初春の堅雪の季節に 2 名の鉄道技師と数名の荷物運搬人らとともに旭川を出発。ヒグマやオオカミが跛肩する原生林や、蚊やアブや蜂が飛び交う湿地など未開の地を歩き、地形、地質、経済効果、資材の入手方法など細部にわたって釧路までの間を 20 日間かけ踏査した。当初はサホロ岳の北方が最適かと見当をつけていたが、踏査の結果、現在の国道 38 号線にほぼ沿う旧狩勝トンネルルートを最適とし、田辺はここに「狩勝峠」と名付けた。
Wikipedia 日本語版「根室本線」より引用)

ちなみに、北垣国道は、他ならぬ、田辺に琵琶湖疏水の開削を命じた張本人(当時は京都府知事)でした。田辺が内心「なんちゅう人使いの荒いおっさんや」と思った……かどうかは、定かではありません。

後に田辺が完成した鉄路で釧路を訪れた際、「12 時間もの間さぞご退屈だったでしょう」との労いの声に「私が以前ここへ来たときは 20 日かかりました。昔日のことを思えばわずか 12 時間でこの地を通過するのはなんだかもったいないように思います」と応えたという。
Wikipedia 日本語版「根室本線」より引用)

札幌から釧路までは、(ルートは違いますが)スーパーおおぞらだと、速い列車では 4 時間を切ります。ということは、我々はとっても勿体ないことをしているわけですね(違)。

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