やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
丸松(まるまつ)
遠別町北部の地名で、国鉄羽幌線に同名の駅もありました。見た感じでは和名に見えるのですが、果たして……? 更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。
駅の近くを流れる、パロマウツナイ(パロ・マ・ウッ・ナイで口のある脇川)を和人がなまってマルマウチとなり、更に丸松と呼ぶようになったという。
うわっと。これは盲点でした。改めて地図を見てみると、確かに「パロマウツナイ川」という川が近くを流れています。パロマウツ → マルマウチ → 丸松ですか……。par-oma-ut-nay で「口・ある・あばら・川」ですね。
ut-nay というのは、背骨に直交するあばら骨のごとく、本流に対して直角に近い角度で合流する川のことを言う……とされています。ですから、本来はどこかの川に注ぎ込むのがセオリーなのですが、この川はそうではありません。更科さんも
特別に「口のある」(パロ・オマ)と名付けているということは、他のウツナイとよぶ川には川口もないからであろう。
と注釈を付け加えていました。もともとどこかの川に直入していたのが、その後の地形の変化で直接海に注ぎ込むようになったという可能性もゼロでは無いのでしょうが、ちょっと不思議な感じがします。
ウツツ川
現在は「啓明」という地名になってしまって、かつてのアイヌ語地名の面影は失われてしまったのですが、川の名前は今でもウツツ川のままで、また、ウツツ川にかかる国道 232 号線の橋の名前も「宇津々橋」です。
今回は、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。
遠別町内。遠別川の北にウッ(ウッナイ)のつく次の三つの川が並んでいた(南からの順)。ウッ(ウッナイともいう。一番長い川),パロマウッナイ(マルマウッ,モウッとも),オポㇰオマウッナイ。
ふむふむ。やはりこの「ウツツ川」も ut-nay だったのですね。もともとは「ウッツ川」と呼ばれていたようなのですが、地形図を見るといつの間にか「ウツツ川」に。こうして少しずつ原義が失われていくわけですね。
ウッナイは元来 ut-nai(肋骨・川)の意で,全道に散在する川名であるが,現実にどんな地名を指したのかどうもはっきりしない。多くは沼に横から繋がっているような川であるが,ここでは沼も見えない。三本並んでいる形からでもいったものか。どうも見当がつかない。
結局、前述の謎がここでも残ったのでした。一方、この謎について、更科さんは次のようにも記しています。
普通本流に肋骨のように直角に流れ込む川をウツナイとよんでいる。だがこの川は、海に出ているので、知里博士が指摘されている「湿地の中にあって流れるともなく横たわっている細長い川」かとも思う。
あ。改めて考えてみると、今でこそ沿岸部には畑が広がっていますが、往古の昔には湿地帯だったことが十分に考えられますよね。実は単純な話で、湿地(沼)に直入する川だったのかも……。
ピシュクシュウツナイ川
「ウツナイ」シリーズの第三弾です。ピシュクシュウツナイ川はウツツ川の支流の中でももっとも大きなものです。あ、図らずも「ウツツ川」がかつて「ウツナイ」だったことを間接的に示してくれていますね。
さて。明治の頃に全道のアイヌ語地名を収集して「北海道蝦夷語地名解」にまとめた永田方正という方がいました。当時は体系立てられたアイヌ語研究もなかったために誤りも少なくなく、後に知里真志保に痛烈に批判されることにもなるのですが、氏の悪癖の中でももっとも痛かったのが、閉音節「ㇱ」をすべて「シュ」とカナ表記してしまったというものです。
たとえば、糠平湖に沈んでいる「タウシュベツ橋」なんかもその悪弊によるものなのですが、この「ピシュクシュウツナイ川」も負けず劣らず……しかもダブルで来たのでインパクトは大きいですね。
余談はこの辺にして、ピシュクシュウツナイ(汗)の話題に戻りましょう。おそらく pis-kus-ut-nay で「浜の方・通る・あばら・川」なのでしょうね。「浜の方を通る」というのがちょっと解せないのですが、地図をよーく見てみると、ウツツ川の本流と比べて流域が海に近いのですね。「アイヌ語地名はウソをつかない」なんて言っていた人もいましたが、確かになんとなくわかるような気もします。
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