Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

宗谷本線各駅停車 (5) 「勇知」

名寄行き 4326D は抜海を出発して、次の駅である勇知に向かって快調に飛ばしていました。車内の混み具合はご覧の通りで、思ったよりも人が多いと言ったところでしょうか。よく見たら内側の窓(二重窓)が上がっているところもありますね。

車窓には一面の緑が広がっています。人の手が入っている感じがしますが、これは牧場……でしょうか?

4326D はゆっくりと速度を落として停止しました。勇知駅に到着です。

勇知駅(W77)

勇知駅は集落の西側に位置する棒線駅で、ホームや駅舎は東側にあります。座っていたのは進行方向右側(西側)なので、辛うじて撮影できたのがこちらの写真です。

なんとも適当なやっつけ仕事だなぁ……と思われるかもしれませんが、素人ならではのグダグダぶりを楽しんでいただければと……(汗)。ちなみに、この勇知駅は車掌車を改造した「ダルマ駅舎」ですが、「体質改善工事」が行われたのか、随分と良い状態に見えました。

おやっ、列車を撮影中の方が。この構え方からしガラケーのようにも見えるのですが、もしかして知り合いの方が乗車するのを見送っていた、とかでしょうか?(GW 終盤の 5/6 なので、帰省していた人が戻り始めるタイミングでもありました)

簡易軌道の駅跡?

これは駅の西側だったと思います。昔は西側にも線路とホームがあったらしいですが、これだけ木が育っているということは、撤去されたのも随分と前の話なんでしょうか(1977 年の時点では線路が残っていたようです)。

そして、ちょっと離れたところに木製の柵も見えます。たまたま古い航空写真を眺めていて気づいたのですが、どうやら勇知駅の西側には簡易軌道の駅があったらしく、この柵は国鉄駅と簡易軌道の駅を区切っていたものだったかもしれません。

米軍撮影の航空写真を見た限りでは、どうやら簡易軌道は「下勇知」まで延びていたように見えます。Wikipedia にも言及がありますが、この「簡易軌道勇知線」は馬車鉄道だったようで、1958 年に廃止されたとあります。戦後間もない時期でも既に道路が開通していたので、もはや馬車鉄道は必要なくなっていた……とも言えそうですね。

上勇知スキー場

名寄行き 4326D は勇知を出発しました。いかにもスキー場っぽい斜面が見えてきましたが……

Google マップによると、ここが「稚内市 上勇知スキー場」のようです。この写真では隣の林と同化してしまっていますが、ちゃんとリフトも存在するとのこと。しかもリフトだけじゃなく、今どき貴重な「ロープトゥ」もあるとのこと! うわー、これは一度滑りに行きたい……!

利尻富士、再び

車窓からは、再び利尻富士の雄姿が! このアングルだと海は全く見えないので、海の向こうの山とは思えないですね。

利尻富士の手前に層雲がなびいているのも、中々良いものですね。

道道 811 号「勇知上勇知線」の雄大な右カーブの遙か先に利尻富士が見えています。右側に木が並ぶ土手が見えていますが、土手の向こうが勇知川で、土手のあたりを「簡易軌道勇知線」が走っていたみたいです(土手は線路跡の可能性もありそうですね)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International