Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

日光市

「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。六日間の苦闘の記録は、五十里から再び…

「日本奥地紀行」を読む (60) 川治温泉~五十里 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 ばかばかしい間違い 川治温泉での「ばかばかしい間違い」のあと、イザベラはこの日の最終目的地である五十里に向かいます。 私たちはそこを出発した。五十里(イカリ)…

「日本奥地紀行」を読む (59) 藤原~川治温泉 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 馬の草履 イザベラ一行は、藤原(現在の日光市藤原)を出発して、次の目的地・高原(現在の川治温泉付近)を目指します。新藤原から川治温泉までは、現在は野岩鉄道で …

「日本奥地紀行」を読む (58) 藤原 (1878/6/24~25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 私の召使い 今回は、久々の伊藤少年(伊藤鶴吉)特集です(笑)。伊藤少年はイザベラの通訳兼雑用係として旅に同行していますが、推薦状を持参せずにイザベラの前に現れ…

「日本奥地紀行」を読む (57) 小佐越~藤原 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは現在の日光市小佐越(旧・塩谷郡藤原町)にやってきました。 私の馬子 イザベラは日光から馬を乗り継ぎながら小佐越までやってきましたが、馬をレンタルする…

「日本奥地紀行」を読む (56) 小百~小佐越 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは日光を出発して、小百(旧・今市市)というところにやってきました。 馬に勒(くつわ)をつける イザベラ一行は日光から小百まで馬に乗って(場所によっては…

「日本奥地紀行」を読む (55) 日光~小百 (1878/6/24)

今日からは、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。ついに本格的な「奥地紀行」が始まります。 安楽な生活去る 第十一信は実に印象的な書き出しで始まりました。 伊藤に知らせてくれた人の言う通りだった。安楽な生活は…

「日本奥地紀行」を読む (54) 日光 (1878/6/23)

今日も引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきます。ついに……と言うか、ようやくと言うか、日光から先の旅程が少しずつ見えてきました。 旅行の準備 「明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地…

「日本奥地紀行」を読む (53) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきましょう。 商店と買い物 イザベラの「奥地紀行」は、前段として日光の入町村に移動して、その後は現在の「いろは坂」経由で中禅寺湖から湯元までリハーサルを兼…

「日本奥地紀行」を読む (52) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきましょう。 親の愛 イザベラは、日光・入町村の人々の観察を続けます。イザベラの目には、明治初期の親子の姿は次のように映っていたようです。 私は、これほど…

「日本奥地紀行」を読む (51) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきます。「第十信」は相当長かったからか、「第十信」「第十信(続き)」「第十信(完)」という、どこぞの Web サイトのような三部構成になっていたのでした。…

「日本奥地紀行」を読む (50) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 金谷 イザベラは奥地紀行のベースキャンプとして、日光は入町村にある「金谷家」に逗留していました。「金谷家」は現在の「ホテル金谷」の前身でもありますね。そし…

「日本奥地紀行」を読む (49) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 針仕事 イザベラが図らずも参加することになった「子どものパーティ」の主催者(?)の女の子の名前が「ハル」で、ハルの母親が「ユキ」と言う名前です。「パーティ…

「日本奥地紀行」を読む (48) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 罰 イザベラは奥地紀行に旅立つ前に、日光は入町村の学校見学に出かけます。日本の子どもの従順さの影に日本人の国民性を見出すとともに、本来は自由奔放であるはず…

「日本奥地紀行」を読む (47) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきます。 静かな単調さ イザベラは、これからの奥地紀行の準備を整えるために日光の入町村に十日ほど逗留しましたが、イザベラが入町村を気に入るのには、十日間の逗留は十分過…

「日本奥地紀行」を読む (46) 湯元(日光市)~日光(日光市) (1878/6/22)

引き続き、1878/6/22 付けの「第九信」(本来は「第十ニ信」となる)を見ていきましょう。 宿屋と女中 イザベラは、奥地紀行の「練習」として、日光から戦場ヶ原を通って奥日光の湯元まで小旅行に出かけました。 つらい一日の旅行を終わって、美しい宿屋に着…

「日本奥地紀行」を読む (45) 日光(日光市)~湯元(日光市) (1878/6/22)

今日からは、1878/6/22 付けの「第九信」(本来は「第十ニ信」となる)を見ていきましょう。 日本の駄馬と荷鞍 日光の「金谷家」に長く逗留していたイザベラですが、これから先の奥地紀行の準備を着々と整えていました。この日は日光から奥日光の湯元まで、…

「日本奥地紀行」を読む (44) 日光東照宮(日光市) (1878/6/21)

引き続き、1878/6/21 付けの「第八信」(本来は「第十一信」となる)を見ていきましょう。 家光の社 日光東照宮を訪れていたイザベラは、家康の社殿に続いて家光の社殿にやってきました。随分と「お腹いっぱい」だったかと思いきや、なかなかどうして鋭い視…

「日本奥地紀行」を読む (43) 日光東照宮(日光市) (1878/6/21)

約四ヶ月ほどのご無沙汰でした。では早速ですが、1878/6/21 付けの「第八信」(本来は「第十一信」となる)を見ていきましょう。 日光の美しさ 第八信は、なんとも懐かしい格言から始まります。 私はすでに日光に九日も滞在したのだから、「結構! 」という…

「日本奥地紀行」を読む (42) 日光(日光市) (1878/6/21)

では、1878/6/15 付けの「第七信」(本来は「第十信」となる)を見ていきましょう。イザベラ一行は 6/13 に日光の「金谷家」に到着して、これから本格的な奥地紀行の体勢を整えようとしているところです。前回の記事にも記したように、この「金谷家」のご主…

「日本奥地紀行」を読む (41) 日光(日光市) (1878/6/13)

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきます。ちなみに 1878/6/10 という日付は、粕壁(春日部)にて「第六信」を書き始めた時の日付で、実際には「粕壁から栃木」が 6/11、「栃木から今市」が 6/12、そ…

「日本奥地紀行」を読む (40) 今市(日光市) (1878/6/12)

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきます。 人形の町 イザベラ一行は、現在の東武日光線沿いのルートである「例幣使街道」を北上し、ようやく今市に到着しました。例幣使街道はここ今市で日光街道と…

「日本奥地紀行」を読む (39) 例幣使街道(栃木市~日光市) (1878/6/12)

前回に引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきましょう。 農村 イザベラ一行は、栃木から例幣使街道を北に進みます。あ、「例幣使」というのは日光東照宮に幣帛(へいはく)を奉献するための勅使のこと…

会津鉄道の旅(その5)

野岩鉄道の沿線にはダムが多いのですが、それ以上に多いのが実は温泉で……。ここでちょっと駅名を見ていきましょう。起点が東武鬼怒川線の「新藤原」です。次が「龍王峡」なのですが、ここから「川治温泉」「川治湯元」「湯西川温泉」「中三依温泉」「上三依…

会津鉄道の旅(その4)

新藤原からは、野岩鉄道会津鬼怒川線に入ります。川治温泉駅を過ぎたところで鬼怒川を渡りました。 このあたりから、ダムが多くなります。川治温泉駅の目の前にも小さなダムがあるので、さっき渡った川も実はダム湖なんですが、上流を遡ると鬼怒川本流には川…

会津鉄道の旅(その3)

東武鬼怒川線は、下今市を出発するとすぐに右に曲がって川を渡ります。この川は「大谷川」だそうです。 川を渡ると、すぐに次の駅に到着します。大谷向駅なんですが…… 「大谷向」で「だいやむこう」と読ませるのだとか。ちなみにさっきの「大谷川」も「だい…

会津鉄道の旅(その2)

東武日光から会津若松までは、会津鉄道の「会津マウントエクスプレス」に乗車します。この車両の中は…… なんと、全席リクライニングシートです。 しかもこの車両、特急料金などは必要ありません。これは嬉しいですね……! シートの裏側にはちゃんとテーブルが…

会津鉄道の旅(その1)

「只見日帰りの旅」に味をしめて、またしても日帰り旅に出てしまいました(昨年 3 月末の話です)。だいだい 10 回くらいで終わると思います。 浅草から 旅の始まりは朝の東武浅草駅から。お目当ての列車の発車 10 分ほど前にホームに向かったのですが…… あ…