Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

福島県

春の東北小旅行 2015 (110)「もうすぐ栃木県」

郡山 JCT. で東北道に入りました。ここからは東北道でひたすら東京に向かうだけ……なのですが、ゴールデンウィークなので渋滞が気になります。そう言えば「郡山 JCT. → 郡山(IC) 交通集中 50 Km 規制」という謎の案内が出ていましたが…… 郡山 IC まであと 1…

春の東北小旅行 2015 (109)「摩天楼(へ)はピンク色に」

磐越道と東北道が接続する「郡山 JCT.」が近づいてきました。郡山 JCT. は東北自動車道のナンバリングに合わせる形で「18-1」になるんですね。 前方に見えるのは安達太良山……かと思ったのですが(実はそれしか知らない)、どうやら方角的にちょっと違うよう…

春の東北小旅行 2015 (108)「小野の次は田村」

小野町(おのまち)にある磐越道の「小野 IC」で「あぶくま高原道路」への流出を激推しされて、さぁどうする……というところから本日の記事は始まるのですが、 只今の気温は 25 ℃ だそうです(かなりどうでもいい)。ええ、最初から想像がついていた方もいら…

春の東北小旅行 2015 (107)「『あぶくま高原道路』激推し中」

「いわき」ブランドの中では唯一常磐道に存在しない「いわき三和 IC」を通り過ぎ、磐越道を北北西に進みます。パーキングエリアの案内が見えてきましたが、なんと「差塩」で「さいそ」と読むとのこと(いわき市三和町差塩)。 差塩 PA はやや高台にあります…

春の東北小旅行 2015 (105)「謎の『塩屋崎』」

常磐道で「J-ヴィレッジ」のある広野町を南下します。しばらく線量の話題ばかりが続きましたが、この話題もそろそろ終了できそうでしょうか。 「いわき四倉 IC まで 12 km」の案内から 3 分ほど走ったところで、いわき市に入ります。カントリーサインのよう…

春の東北小旅行 2015 (104)「そして線量は下がった」

「帰還困難区域」を何事もなく通り過ぎ、常磐富岡 IC にやってきました。2008 年に北海道と東北を旅した時は、確かこの IC から常磐道に戻ったんでした(当時は常磐富岡 IC 以北は未開通でした)。 常磐富岡 IC を過ぎたあたりで手元の線量計の数値を確認し…

春の東北小旅行 2015 (103)「帰還困難区域をゆく」

常磐道・浪江 IC の 1.5 km ほど北あたりで「帰還困難区域」に入りました。帰還困難区域に入って最初のモニタリングポストでは、線量は 1.3 μSv/h を示していました(2015 年時点)。 浪江町 モニタリングポストから 1 km 弱で浪江 IC です。浪江町と、お隣…

春の東北小旅行 2015 (102)「この先帰還困難区域」

南相馬鹿島 SA から常磐道を南に向かいます。南相馬 IC が近づいてきました。 南相馬 IC を通過して、次の浪江 IC に向かいます。このあたりが開通したのは 2014 年 12 月だとのことで、道理で路面も新品感が漂っているわけです(開通から半年近く経っていま…

春の東北小旅行 2015 (101)「常磐道を利用される方へ」

南相馬鹿島 SA に併設されている ETC 出口(スマート IC)には、「原発無料措置」の適用外である旨を示す看板が立てられていました。 これは確かトイレの脇に立てられていた看板ですが、バイクでは国道 6 号を通行できない旨が警告されていました。他ならぬ…

春の東北小旅行 2015 (100)「南相馬鹿島 SA」

看板の多さに辟易したので(違います)、噂の「南相馬鹿島 SA」にやってきました。ちなみにこの「南相馬鹿島」というネーミング、3 文字目と 4 文字目の並びがアレなんじゃないかという指摘もあったのですが、結局このままになっちゃいましたね。 SA の中は…

「日本奥地紀行」を読む (73) 宝川(西会津町)~八木山(阿賀町) (1878/7/2)

1878/7/2 付けの「第十四信」(初版では「第十七信」)を見ていきます。イザベラ一行は車峠の宿を出発し、津川(阿賀町)を目指します。 ひどい道路 眺めの良い部屋でオフを過ごしてリフレッシュした筈のイザベラ姐さんですが、翌朝は……平常運転と言いますか…

「日本奥地紀行」を読む (72) 車峠(西会津町) (1878/6/30~7/1)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は、車峠の頂上付近の宿で日曜日を過ごすことにしたようです。 宿の台所 車峠の眺望絶佳の宿を切り盛りしていたのは女主人でした。この女主人のことを、イザベ…

「日本奥地紀行」を読む (71) 野尻(西会津町) (1878/6/29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は、阿賀野川に沿って北上して「野尻」の村落にやってきました。 美しい宿屋 イザベラの「野尻」の第一印象は、かなり良いものだったようです。 日暮れ時に野尻…

「日本奥地紀行」を読む (70) 片門(会津坂下町)~野沢(西会津町) (1878/6/29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行は片門(会津坂下町)での小休止の後、更に西に向かいます。 山の景色 イザベラ一行は……途中で落馬した伊藤少年を除いて……会津坂下町の片門から西に向かいまし…

「日本奥地紀行」を読む (69) 坂下(会津坂下町)~片門(会津坂下町) (1878/6/30)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。会津坂下での一夜が明けて、出立しようとしたイザベラを、またしても大勢の群衆が取り囲みます。 群衆の臆病さ イザベラを取り囲んだ群衆は、イザベラのあるアクションを目…

「日本奥地紀行」を読む (68) 高田(会津美里町)~坂下(会津坂下町) (1878/6/28~29)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。イザベラ一行はいつもの「招かれざる大歓迎」を受けて、ほうほうの体で高田(会津美里町)を脱出した……と思われたのですが、実はさらっと「社会見学」も済ませていたようで…

「日本奥地紀行」を読む (67) 市川~高田(会津美里町)(1878/6/28)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十三信」(初版では「第十六信」)を見ていきます。と言っても、第十二信と日付が同じなので、事実上続編のようなものですが……。 若松平野 イザベラ一行は、会津美里町の「市川」から、現在の県道 330 号を北上して会津盆地…

「日本奥地紀行」を読む (66) 大内宿(下郷町)~市川(会津美里町) (1878/6/27~28)

引き続き、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。会津田島を発ったイザベラ一行は、会津西街道(下野街道)を北へと向かいます。 波形の道路 現在、会津田島から会津若松に向かうメインルートは阿賀川沿い…

「日本奥地紀行」を読む (65) 田島(南会津町) (1878/6/27)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。川島を出発して、田島(会津田島)に到着したところから話が始まります。 日本の渡し場 イザベラ一行は、川島から約 6 km ほど先にある田島(会津田島)…

「日本奥地紀行」を読む (64) 川島(南会津町) (1878/6/27)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。川島宿を出発したイザベラが、庶民の暮らしがいかに不衛生なものであるかを再認識するところから話は始まります。 不衛生的な家々 まずは服装の話題から始まります。 こ…

「日本奥地紀行」を読む (63) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラが「ずっとひどい」「まったくひどい」と評した宿で、宿の主人の息子が咳で苦しんでいるのを見かけたところから話は始まります。 病気の群衆 イザベラは見るに見…

「日本奥地紀行」を読む (62) 川島(南会津町) (1878/6/26)

引き続き 1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。イザベラ一行は半ば力尽きる形で「川島」(現在の南会津町)の宿屋にたどり着きましたが…… さらにひどく イザベラは、「カヤジマ」こと川島での宿を「藤原のときよりもず…

「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。六日間の苦闘の記録は、五十里から再び…

会津鉄道の旅、改め磐越西線の旅(その10)

題名がアレなままなのは仕様です……(汗)。さて、新津行きの普通列車は、荻野駅を出発して尾登(おのぼり)駅に向かいます。途中で阿賀川を横断するのですが、 このあたりは水力発電所が多いので、ちょっとしたダム湖状態になっている所が多いですね。 年季…

会津鉄道の旅、改め磐越西線の旅(その9)

東武日光で購入した切符は、会津鉄道の西若松までの切符なので、会津若松駅で 2 駅分の乗り越し精算をして、改札を出ます。 新潟へ! ここから先は、磐越西線で郡山……ではなくて新潟に向かいます。これに合わせて題名も微妙に軌道修正してみました。:) 新津…

会津鉄道の旅(その8)

会津盆地に入りました。盆地の向こうには雪を纏った山々が見えるのですが、あれは……飯豊山地の山々でしょうか。磐梯山かな? と思ったのですが、どうもちょっと方角が違うようです。 JR 只見線との接続駅である西若松駅に到着しました。会津鉄道の路線はここ…

会津鉄道の旅(その7)

「塔のへつり」駅を出発した快速「AIZU マウントエクスプレス号」は、次の湯野上温泉駅に向かって走ります。二駅連続で停車するのは、会津鉄道の線内ではこれが唯一の例です。 窓の外を見ていると……おおっ! 3 月の末ですが、まだほんの僅かに雪が残っていま…

会津鉄道の旅(その6)

快速「AIZU マウントエクスプレス」は、会津高原尾瀬口から西若松までは「快速」の名に相応しく、19 ある駅のうち 5 つしか停車しません。各駅停車だと 85 分かかるところを 69 分で走破しています。これは通過駅の「会津荒海駅」の写真なんですが、「──あら…

会津鉄道の旅(その5)

野岩鉄道の沿線にはダムが多いのですが、それ以上に多いのが実は温泉で……。ここでちょっと駅名を見ていきましょう。起点が東武鬼怒川線の「新藤原」です。次が「龍王峡」なのですが、ここから「川治温泉」「川治湯元」「湯西川温泉」「中三依温泉」「上三依…

春の只見線 (14) 「復路編 只見」

只見駅 15 時 42 分発の小出行き普通列車、発車 10 分前となりました。改札が始まり、駅舎とホームの間の扉が開放されました。新雪を踏みしめながらホームに向かいます。 ポイント(転轍機)にはヒーターと思しき装置が。 雪国の鉄路にはこの手の設備が整っ…