Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

栃木県

春の東北小旅行 2015 (116)「違法駐車追放県」

国道 4 号バイパスを南下して東京に向かいます。再び栃木県にもどって小山市ですが…… 栃木県は「違法駐車追放県」なのだそうです。……まぁ、この辺には店もありませんし、違法駐車する車は流石に見当たりませんが(汗)。 絶賛改良工事中 本線が単管バリケー…

春の東北小旅行 2015 (115)「午後一時の茨城県」

渋滞の可能性がある東北道を捨てて、国道 4 号バイパスで一路東京を目指します。東京までは、なんと残りちょうど 100 km ! 北関東自動車道の「宇都宮上三川 IC」が近づいてきました。ちなみに「上三川」で「かみのかわ」と読むのだとか(シラナカッタ……)。 …

春の東北小旅行 2015 (114)「国道 119 号バイパス」

宇都宮 IC から、国道 119 号バイパスを南下します。自動車専用道路である「日光宇都宮道路」と繋がっている道なのでかなりいい道……かなぁと思っていたのですが、ふつーに信号もあります。 ただ、その後は片側 2 車線の高架区間が続きます(宇都宮北道路)。…

春の東北小旅行 2015 (113)「一時の気の迷い?」

いつ渋滞にハマるかとドキドキしながら東北道を南に向かいます。上河内 SA(およびスマート IC)が近づいてきました。 直近の渋滞情報としては、東北道ではなく北関東道の真岡 IC から笠間西 IC までの区間で 5 km の事故渋滞があるとのこと。東北道の情報は…

春の東北小旅行 2015 (112)「倉庫番」

「那須 IC」と「黒磯板室 IC」で出口渋滞が続いてちょっとビビっていたのですが、次の「西那須野塩原 IC」では目立った渋滞も無く、ほっと一安心です。 この先の IC 情報が並んでいます。東京まで 168 km もありますが、ここは高速道路ですから、何もなけれ…

春の東北小旅行 2015 (111)「PA の名前は『黒磯』、IC の名前は『黒磯板室』」

栃木県那須町に入りました! ……相変わらず小汚い(その程度では済まない)写真ですいません。光線の都合でダッシュボードの模様が写り込んでしまってしまい、必死に補正したのですが……。 福島県と栃木県にはひとつ大きな違いがあります。福島は東北ですが、…

「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)

今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。六日間の苦闘の記録は、五十里から再び…

「日本奥地紀行」を読む (60) 川治温泉~五十里 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 ばかばかしい間違い 川治温泉での「ばかばかしい間違い」のあと、イザベラはこの日の最終目的地である五十里に向かいます。 私たちはそこを出発した。五十里(イカリ)…

「日本奥地紀行」を読む (59) 藤原~川治温泉 (1878/6/25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 馬の草履 イザベラ一行は、藤原(現在の日光市藤原)を出発して、次の目的地・高原(現在の川治温泉付近)を目指します。新藤原から川治温泉までは、現在は野岩鉄道で …

「日本奥地紀行」を読む (58) 藤原 (1878/6/24~25)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 私の召使い 今回は、久々の伊藤少年(伊藤鶴吉)特集です(笑)。伊藤少年はイザベラの通訳兼雑用係として旅に同行していますが、推薦状を持参せずにイザベラの前に現れ…

「日本奥地紀行」を読む (57) 小佐越~藤原 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは現在の日光市小佐越(旧・塩谷郡藤原町)にやってきました。 私の馬子 イザベラは日光から馬を乗り継ぎながら小佐越までやってきましたが、馬をレンタルする…

「日本奥地紀行」を読む (56) 小百~小佐越 (1878/6/24)

引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは日光を出発して、小百(旧・今市市)というところにやってきました。 馬に勒(くつわ)をつける イザベラ一行は日光から小百まで馬に乗って(場所によっては…

「日本奥地紀行」を読む (55) 日光~小百 (1878/6/24)

今日からは、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。ついに本格的な「奥地紀行」が始まります。 安楽な生活去る 第十一信は実に印象的な書き出しで始まりました。 伊藤に知らせてくれた人の言う通りだった。安楽な生活は…

「日本奥地紀行」を読む (54) 日光 (1878/6/23)

今日も引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきます。ついに……と言うか、ようやくと言うか、日光から先の旅程が少しずつ見えてきました。 旅行の準備 「明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地…

「日本奥地紀行」を読む (53) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきましょう。 商店と買い物 イザベラの「奥地紀行」は、前段として日光の入町村に移動して、その後は現在の「いろは坂」経由で中禅寺湖から湯元までリハーサルを兼…

「日本奥地紀行」を読む (52) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきましょう。 親の愛 イザベラは、日光・入町村の人々の観察を続けます。イザベラの目には、明治初期の親子の姿は次のように映っていたようです。 私は、これほど…

「日本奥地紀行」を読む (51) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきます。「第十信」は相当長かったからか、「第十信」「第十信(続き)」「第十信(完)」という、どこぞの Web サイトのような三部構成になっていたのでした。…

「日本奥地紀行」を読む (50) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 金谷 イザベラは奥地紀行のベースキャンプとして、日光は入町村にある「金谷家」に逗留していました。「金谷家」は現在の「ホテル金谷」の前身でもありますね。そし…

「日本奥地紀行」を読む (49) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 針仕事 イザベラが図らずも参加することになった「子どものパーティ」の主催者(?)の女の子の名前が「ハル」で、ハルの母親が「ユキ」と言う名前です。「パーティ…

「日本奥地紀行」を読む (48) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 罰 イザベラは奥地紀行に旅立つ前に、日光は入町村の学校見学に出かけます。日本の子どもの従順さの影に日本人の国民性を見出すとともに、本来は自由奔放であるはず…

「日本奥地紀行」を読む (47) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきます。 静かな単調さ イザベラは、これからの奥地紀行の準備を整えるために日光の入町村に十日ほど逗留しましたが、イザベラが入町村を気に入るのには、十日間の逗留は十分過…

「日本奥地紀行」を読む (46) 湯元(日光市)~日光(日光市) (1878/6/22)

引き続き、1878/6/22 付けの「第九信」(本来は「第十ニ信」となる)を見ていきましょう。 宿屋と女中 イザベラは、奥地紀行の「練習」として、日光から戦場ヶ原を通って奥日光の湯元まで小旅行に出かけました。 つらい一日の旅行を終わって、美しい宿屋に着…

「日本奥地紀行」を読む (45) 日光(日光市)~湯元(日光市) (1878/6/22)

今日からは、1878/6/22 付けの「第九信」(本来は「第十ニ信」となる)を見ていきましょう。 日本の駄馬と荷鞍 日光の「金谷家」に長く逗留していたイザベラですが、これから先の奥地紀行の準備を着々と整えていました。この日は日光から奥日光の湯元まで、…

「日本奥地紀行」を読む (44) 日光東照宮(日光市) (1878/6/21)

引き続き、1878/6/21 付けの「第八信」(本来は「第十一信」となる)を見ていきましょう。 家光の社 日光東照宮を訪れていたイザベラは、家康の社殿に続いて家光の社殿にやってきました。随分と「お腹いっぱい」だったかと思いきや、なかなかどうして鋭い視…

「日本奥地紀行」を読む (43) 日光東照宮(日光市) (1878/6/21)

約四ヶ月ほどのご無沙汰でした。では早速ですが、1878/6/21 付けの「第八信」(本来は「第十一信」となる)を見ていきましょう。 日光の美しさ 第八信は、なんとも懐かしい格言から始まります。 私はすでに日光に九日も滞在したのだから、「結構! 」という…

「日本奥地紀行」を読む (42) 日光(日光市) (1878/6/21)

では、1878/6/15 付けの「第七信」(本来は「第十信」となる)を見ていきましょう。イザベラ一行は 6/13 に日光の「金谷家」に到着して、これから本格的な奥地紀行の体勢を整えようとしているところです。前回の記事にも記したように、この「金谷家」のご主…

「日本奥地紀行」を読む (41) 日光(日光市) (1878/6/13)

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきます。ちなみに 1878/6/10 という日付は、粕壁(春日部)にて「第六信」を書き始めた時の日付で、実際には「粕壁から栃木」が 6/11、「栃木から今市」が 6/12、そ…

「日本奥地紀行」を読む (40) 今市(日光市) (1878/6/12)

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきます。 人形の町 イザベラ一行は、現在の東武日光線沿いのルートである「例幣使街道」を北上し、ようやく今市に到着しました。例幣使街道はここ今市で日光街道と…

「日本奥地紀行」を読む (39) 例幣使街道(栃木市~日光市) (1878/6/12)

前回に引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきましょう。 農村 イザベラ一行は、栃木から例幣使街道を北に進みます。あ、「例幣使」というのは日光東照宮に幣帛(へいはく)を奉献するための勅使のこと…

「日本奥地紀行」を読む (38) 栃木(栃木市)~例幣使街道 (1878/6/12)

前回に引き続き、1878/6/10 付けの「第六信(続き)」(本来は「第九信(続き)」となる)を見ていきましょう。 栃木の宿屋(続き) さて、悪夢のような……あるいはコントのような……一夜が明けて、イザベラはついに栃木の宿屋から解放されることになります。 …