イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第三十信」(初版では「第三十五信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
午後の訪問客
三時間以上も隣家の覗き観察を続けたイザベラの元に、突然訪問客がやってきました。黒石から 13 km ほど離れた弘前から、三人の「クリスチャンの学生」がイザベラに会うためにやってきたとのこと。
三人ともすばらしく知性的な顔をしていて、きれいな身なりの青年であって、全部が少しばかり英語を話せた。
これは……もしかしたら、ちょっと、あるいはかなり贔屓目入ってませんか……?
その中の一人は、私が今まで日本で見たうちで最も明るく最も知性的な顔をしていた。彼らは士族 階級に属していた。そのことは、彼らの顔や態度がすぐれていることから当然悟るべきであったろう。
これは非常に問題のある表現ですね。明らかにある種の身分差別であり、現代ではとても受け入れられるものではありません。
あえてイザベラの主張に対して反論するならば、「士族」はこれまで出自によって得られていた特権(逆差別とでも言うべきか)を失いつつあり、民衆に対して支配的な立場で居続けるために何らかの後ろ盾を必要にしていた……と見ることもできそうな気がします。後の「帝国軍人」が太平洋戦争に敗北した後、占領軍にゴマをすって取り入ったのと似た構図にも思えるのです。
キリスト教信者
イザベラは牧師の娘で、『日本奥地紀行』では教会筋と政府筋から支援を受けていました。そのため「初版」である「完全版」では「スポンサー向け」の内容も少なからず含まれていて、それらは「普及版」では見事にカットされているのですが、以下の一節は「普及版」でも残されていました。
弘前はかなり重要な城下町で、ここから三里半はなれている。旧大名が高等の学校〈あるいは大学〉(東奥義塾)を財政的に援助していて、その学校の校長として二人の米国人(イングとダヴィッドソン)が引き続いて来ている。
「イングとダヴィッドソン」という補足は「完全版」には存在せず、代わりに二人の名前は「普及版」ではカットされた部分に明記されていたので、この補足は「完全版」を編集した際に付け加えられたものかもしれません。「東奥義塾」は現在も存在する学校ですが、「私立学校東奥義塾」は 1872(明治 5)年に創設されたとのこと。その 6 年後にイザベラが黒石にやってきたことになります。
これらの紳士は、そのキリスト教的教育において精力的であると同時に、クリスチャンとしての生活態度もきわめてりっぱなものだったにちがいない。というのは、その教えに従って三十人も若者がキリスト教を信ずるに至ったからである。
入れ歯でなくても歯が浮きそうな文章ですね……。
これらすべてが充分な教育を受けて、数人は教師として政府に雇われることになると聞いているので、彼らが「新しい道」(キリスト教)を受け入れたということは、この地方の将来にとって重要な意義をもつことであろう。
日本が「国家神道」というカルトにのめり込んで太平洋戦争で完膚なきまでの敗北を喫したのは嘆き悲しむべきことですが、一方でキリスト教による「侵略」を跳ね返したという点では(極めて不本意ながら)評価せざるを得ないようにも思えます。「キリスト教」は謂わば「侵略的外来種」と同じで、受け入れたが最後、欧米の植民地化が一気に進んでいた可能性が高いためです。
流石に浮いた歯が上空に消え失せそうになったことに気づいたか、この先の文章は「普及版」ではカットされていました。
キリスト教の発展のために、日本でなされた最も重要な仕事は、全く、伝道諸組織の外、しかも伝道といったものが定着することが許されない地域でなされたということは、独特な事実です。
少し奇妙な感じのする文章ですが、原文を忠実に訳したが故のようですね。その具体例として札幌農学校におけるウィリアム・スミス・クラーク博士による伝道などが紹介されていました。
話は「三人のクリスチャンの学生」に戻ります。
これら 3 人の学生たちは、脇山 、アカマ[山鹿]、山田 と名前を教えてくれたが、彼らははるばるここに説教するために来たということです訳注 2。
原文では Waki-yama, Akama and Yamada となっていました。「山鹿」が「アカマ」になっているのは面白いですが、彼らの素性が明らかになっているということ自体が面白いですね。なお「訳注 2」には次のようにありました。
[訳注 2] イザベラ・バードに会ったのは、現在の日本基督教団弘前教会で洗礼を受けた東奥義塾の学生である。脇山(義保)元五所川原警察署所長、山鹿は山鹿素行(山鹿流軍学の始祖)の直系、山田(源次郎・寅之助(青山学院教授)兄弟のどちらか)という経歴を持つ。
また「彼らははるばるここに説教するために来たということです」とありますが、これはイザベラに説教するためではなく、辻説法のためなのでしょうね。彼らの辻説法は警察に妨害されることは無いとしつつも、「人々はもはや神様について話を聞くことには関心がない」と嘆いていたとのこと。
私が、仏教や神道のお坊さんや神主が妨害するからなのかと訊くと、彼らはそんなことはないが、でも人々は昔からの宗教にほとんど飽きているが、だからといって新しい宗教を欲しがってはいないと言うのです。
これは興味深い指摘ですね。日本人はそもそも宗教を必要としない……というのは言い過ぎですが、他の国や地域と比べると「宗教への需要が低い」と言えそうにも思えます。それは何故なのか、良くわからないのですが……。
彼らは、明らかに優秀な若者たちでしたが、彼らの英語はとても不正確なのです。
確かに their English was very imperfect とありますね。だったら素直に通訳を介せばいいのに……と思ったのですが……
キリスト教を嫌っている伊藤は、夢中でアンズの煮込みに完全に入れあげていると明言して、近づいて来もしないし、通訳もしませんでした。
明らかに伊藤は職務放棄を決め込んだっぽいですが、理由が「アンズを煮込むのに夢中だから」というのは傑作ですね。それを許容した(?)イザベラも、なかなか良い雇用主と言えるのでは……。
後で、伊藤は私をアカマのとても感動的な熱のこもった講演を聴いている約 100 人の「キリスト教のお芝居[キリスト教ごっこ]」を見るようにと呼びました。
明治時代の「現代っ子」だった伊藤らしいエピソードですね。「冷笑系」というスタイルは決して褒められたものではありませんが、伊藤がキリスト教の偽善性を見抜いていたのだとすれば、これは十分理解できるものです。
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