やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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ユウクル川
猿払村の南西部、猿払川の中流部に合流する東支流の名前です。このあたりの猿払川には道道 732 号「上猿払浅茅野線」が並行しているのですが、この道道は川が増水した際に水没のおそれがあることでも知られています(水没道道)。
川沿いには湿地帯が多く、水没の大きな要因になっていると見られますが、一方で河川改修も進んでいるようで、湿地帯の面積は今後縮小する方向にあるのかもしれません。個人的にはちょっと残念に思えてしまいます……。
この「ユウクル川」ですが、古い地図には「ユークルシユナイ」あるいは「ユウクルシュナイ」と描かれていました。yuk-ur であれば「鹿皮の衣」となりますが、これだと地名としては変なので、yuk-ru-us-nay で「鹿・路・ついている・川」と考えるべきなのでしょうね。
「北海道地名誌」にも、次のように記されていました。
ユㇰルウシ サマキシリ山から流れ,猿払川に入る右小川。鹿路があるの意。
あー、やはり。-nay が「川」と訳されて、その後 -us が略されて、現在の「ユウクル川」になったと見て良いかと思われます。
サマキシリ山
ユウクル川の北東にある、標高 264 m の山の名前です。更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
サマキシリ山
浜頓別町との境の小山。アイヌ語で横になった山の意。
「サマキシリ山」は確かに浜頓別町に近いところにありますが、頂上は町村境から 1 km ほど猿払村側に入った地点にあります。山名の解釈については特に異論は無く、samatki-sir で「横たわっている・山」と考えて良いと思います。
類型の samatki-nupuri という山名もちょくちょく見かけますが、一説には「馬追丘陵」のことも「サマッキ・ヌプリ」と呼んだとのこと(参考)。遠目から横臥しているように見える山をそう呼んだようです。
ただ、この「サマキシリ山」については、等高線を見た限りではそれほど「横たわっている」ようには見えないような気もします。猿払川の西側に随分と横に伸びた丘陵があるようにも見えるので、もしかして移転地名だったりして……。
ヒトシベツ川
猿払川は南から北に向かって流れていますが、浜頓別町と豊富町の間を東西に道道 84 号「豊富浜頓別線」が通っています。道道 84 号は「合流橋」という名前の橋で猿払川を渡っていますが、「ヒトシベツ川」は「合流橋」の 3~400 m ほど上流側で猿払川に合流しています。
「北海道地名誌」には次のように記されていました。
ヒトシベツ川 猿払川上流上猿払で猿別川に入る左小川。意味不明。
安定の「意味不明」ですが、とりあえず「猿別川」は「猿払川」の間違いのようです。
「ヒトシベツ」は pit-us-pet で「小石・多くある・川」かなぁ……と当たりをつけていたのですが、明治時代の地形図には「ストシナイ」あるいは「シトシユペツ」と描かれていました。
謎の「シトシュベツ」
不思議なことに、今でもこの「ヒトシベツ川」を「シトシュベツ川」と呼んでいるケースがあるようで、何故だろうと思ってググってみたところ、Mapion ではこの川が「シトシュベツ川」になっているようです。
更に不思議なことに、猿払村上猿払と宗谷岬の間を結ぶ筈だった(未開通区間あり)道道 889 号「上猿払清浜線」に「シトシュベツ橋」という橋があります。ではこの橋の下を流れているのが本物の「シトシュベツ川」なのか……と思いたくなるのですが、「シトシュベツ橋」の下を流れているのは「猿骨川」とのこと。
これらのことから、何らかの理由で「ヒトシベツ川」と「シトシュベツ」が混同されたか……とも思ったのですが、明治時代の地形図に「ストシナイ」あるいは「シトシユペツ」とあったことを考えると、猿払村には「シトシュベツ」が少なくとも二つ以上存在した、と考えたほうが合理的に思えてきました。
「ストシナイ」あるいは「シトシユペツ」をどう解釈するかですが、{si-tu}-us-pet で「{山の走り根}・ついている・川」なのかなぁ、と考え始めています。{si-tu} は平たく言えば「長い出崎」なんですが、この川の水源に近いところにそれっぽい地形があるようにも見えるので……。
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