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北海道のアイヌ語地名 (875) 「サロベツ・芦川・阿沙流」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

サロベツ

sar-o-pet
葭原・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)

豊富町西部・幌延町西部に広がる原野(湿原)の名前で、同名の川も流れているほか、JR 北海道に同名の特急列車も走っています。

永田地名解には次のように記されていました。

Sar’oma pet  サロマ ペッ  茅川 直譯茅ノ内ナル川

サロベツ」じゃなくて「サロマベツ」なんだよ……と主張しているようにも見えますが、まぁ誤差の範囲でしょうか。

山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記していました。

サロベツ川 サロベツ原野
 天塩北部の川名。サロベツ川は天塩川下流に注いでいる長い川で,下流幌延町,中上流は豊富町,源流の一部は稚内市になっている。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.139 より引用)

あれっ、サロベツ川って稚内市も流れていたっけ……と思ったのですが、豊富バイパスの東側あたりが稚内市に含まれていたのですね。豊富町の境界は分水嶺と一致しないところが多いですが、サロベツ川に近い稚内市曙のあたりは分水嶺に集落があるので、下手に分水嶺を境界にしてしまうと色々と面倒だというのもあるかもしれません。

サロベツはサㇽ・オ・ペッ(sar-o-pet 葭原に・ある・川)であるが,またサロマペッ(sar-oma-pet 葭原に・ある川)とも,あるいは単にサㇽ・ペッとも呼ばれた。その天塩川に注ぐ処はサㇽ・プトゥ(sar-putu サロベツの・口)といわれた。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.139 より引用)

-oma-o は単数形と複数形だ……なんて話もありますが、両者の使い分けはそれほど厳密なものでは無い……という説もあるようですね。sar-o-pet で「葭原・そこにある・川」と考えて良さそうでしょうか。

なお、古い地図にはサロベツ川流域の地名として「沙流」と描かれているものがあります。明治時代の地形図では「ワㇰカサㇰナイ」(現在の「稚咲内」)の南側に「サロロ」という地名が描かれていて、その下に「沙流」と言う村名が描かれています。

永田地名解にも次のように記されていました。

Sar’oro  サロロ  茅中 沙流
(永田方正「北海道蝦夷語地名解国書刊行会 p.411 より引用)

sar-oro で「葭原・のところ」と解釈できるのですが、この「サロロ」に由来する「沙流」という地名がサロベツ川流域にも広まった(あるいは移転した)ようにも見えます。「サルオマペッ」が「サルペッ」と変化したのは、「サロロ」由来の「沙流」の影響もあったかもしれませんが、実は特に影響は無かったのかもしれません(どっちだ)。

芦川(あしかわ)

sar-oma-pet
葭原・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)

国道 40 号「豊富バイパス」の起点である「豊富北 IC」から、バイパスではなく現道側を南に進んだあたりの地名です。現在は「サロベツ川」が近くを流れていることになっていますが、かつてのサロベツ川は兜沼のすぐ南のあたりを流れていたようで、現在のサロベツ川に近いところを「モサロベツ川」が流れていました。地名も川名に合わせて「モサロ」と呼ばれていたようです。

芦川にはかつて JR 宗谷本線の駅がありました。ということで「──駅名の起源」を見ておきましょうか……。

  芦 川(あしかわ)
所在地 (天塩国)天塩郡豊富町
開 駅 大正 15 年 9 月 25 日
起 源 アイヌ語の「サロマペッ」、すなわち「サル・オマ・ペッ」(アシ原にある川)の意訳である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.182 より引用)

久々に「一粒で二度美味しい」的なネタが炸裂しました。なるほど、sar-oma-pet で「葭原・そこにある・川」の意訳だったんですね。「アシ」は「悪し」に通じるので「ヨシ」と呼ぶようになったと言われますが、ここは「アシ」のまま漢字にしたというところでしょうか。

なおこの芦川駅ですが、2001 年に利用者僅少のために廃止されています。JR 北海道はここ数年、増え続ける赤字のために「ご利用の極端に少ない駅」の廃止を進めていますが、芦川駅が廃止されたのは 2001 年で、他の駅と比べても随分と早かった印象があります(石北本線の「天幕駅」が廃止されたのと同時でした)。

沙流(あさる)

at-cha-{ru-pes-pe}?
向こう側の・川岸・{峠道}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

兜沼の南、芦川の西に位置する集落の名前です。このあたりは「サロベツ」あるいは「サロロ」に由来する「沙流」という村名がありましたが……。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「アサテ?シベ」という川が描かれていました(四文字目が不明)。この川については、丁巳日誌「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

過てビバカ、アサテベシベ、ムリウシナイ、此川左り方へ切込、源にキトウシといへる小山有るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.480 より引用)

「東西蝦夷山川地理取調図」の「アサテ?シベ」は「アサテベシベ」だった可能性もありそうですね。

「丁巳日誌」の記録は「東西蝦夷山川地理取調図」と照らし合わせると左右が逆になっているので、どちらかが誤っていると考えられる上に、「アサテベシベ」等の川が「イヘコルヘツ」(「下エベコロベツ川」のことだと思われる)よりも下流側にあるとして描かれているため、端的に言えば前後関係がめちゃくちゃで、それほど信のおけるものとは言えない印象があります。

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

沙流はサルベッの西のアチャルベㇱベと呼んでいるところから、西の山を越えた陰の川の名で、意味ははっきりしないが、人々が山越えするところと思われる。

なるほど、「沙流あさる」の元の形は「アチャルベシベ」だったと考えて良さそうですね。ここで謎なのが「アチャ」をどう解釈するべきかという点ですが、改めて永田地名解を眺めてみたところ、次のような記載がありました。

Asatpe  アサッペ  彼方ノ涸レ澤 「アルサッペ」ノ急言
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.415 より引用)

あーなるほど、またしてもいいヒントを頂いたような気がします。「アルサッ」が「アチャ」に化けたというのは完全に同意できるものではありませんが、可能性としてゼロでは無さそうにも思えます。

より現実的な解釈として、at-cha-{ru-pes-pe} で「向こう側の・川岸・{峠道}」と読めそうな気がします。atar が音韻変化したもので、「もう一方の」や「他方の」と言った意味です。「阿沙流」と「豊栄ほうえい」の間の丘陵を道道 763 号「兜沼豊栄線」が結んでいますが、このルートのことを「向こう側の川岸への峠道」と呼んだのではないでしょうか。

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