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札沼線各駅停車の旅 (11) 「浦臼」

浦臼駅

新十津川行き 5433D は札的を出発しました。約 3 分ほどで次の浦臼です。

ホームで色とりどりの花を咲かせているのはルピナスでしょうか……?

気を取り直してもう一度……なかなかうまくいかないものですね。

さて浦臼駅ですが……うわわわ、石狩当別からここまでの駅の中では明らかに格が違いますね。一昨日の記事でも書きましたが、石狩当別から浦臼までは 1 日 6 往復で、浦臼から先は 1 日 3 往復に半減します(いずれも 2015 年 6 月当時)。

この便数の違いは利用者数の違いを如実に示したもののようで、実際にこの日も石狩月形で数人が下車し、浦臼でも数人が下車してゆきました。ついでに言えば浦臼から先の乗客は私一人になってしまいました。石狩当別を発車した時点では 7~8 人はいた筈ですが、月形と浦臼でその大半が下車してしまったことになりますね。

ちなみに、石狩当別から浦臼までが、札沼線で最も後に開通した区間です。札沼線は石狩沼田から新十津川(既に廃止された区間)の開通が最も早く(1931 年)、その後 1934 年に新十津川から浦臼までが開通しています。

ということで、浦臼駅の開業は 1934 年のことでした。石狩月形から石狩沼田までは 1943 年に「不要不急線」として休止されてしまいますが、石狩当別から浦臼までは 1946 年に無事復活を果たします。

問題はこの先で、浦臼から雨竜(新十津川から 3 駅先)までが復活したのが休止から 10 年後の 1953 年、雨竜から石狩沼田までが復活したのは休止から 13 年後の 1956 年でした。そして全線復活から僅か 16 年後の 1972 年には新十津川から石狩沼田までの 34.9 km が廃止されてしまいます。

遅すぎた復活か、逃れられない運命だったか

この歴史的経緯を見た限りでは、「遅すぎた復活」とも言えますが、5433D の乗客数を見た限りでは「浦臼から先の需要が薄かった」という考え方も否定出来ないような気もします。

札沼線が石狩沼田で留萠本線と接続していた頃は深川行きの列車もあったとのことで、あるいは旭川方面に向かう需要も(多少は)あったのかもしれませんが、新十津川から石狩沼田が廃止されて「盲腸線」になってしまった時点で勝負あったのかも知れません。

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