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アイヌ語地名の傾向と対策 (530) 「ルーケシオマナイ川・ニオダイ沢川・カシコトンナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ルーケシオマナイ川

yuk-us-oma-nay?
鹿・多くいる・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

日高町千栄の西、沙流川に「岩石橋」という橋がかかっていますが、岩石橋のすぐ下流側で沙流川に合流する小支流の名前です。音からは ru-kes-oma-nay で「道・末端・そこにある・川」と読み解けそうです(あるいは ru-kus-oma-nay で「道・通行する・そこに入る・川」なのかも)。

「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい川の名前を見つけることができませんでしたが、戊午日誌「東部沙留誌」に記載がありました。

またしばし過て
     ユウケショマナイ
右のかた小川有。其名義は鹿が沢山に有る沢と云儀のよしなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.73 より引用)

ん……? と思って良く見てみると、下流側には「パンケユウケシュオマナイ川」が、そして上流側にも「ペンケユウケシュオマナイ川」があります。そして「ルーケシオマナイ川」が通行路として使える川だったかと言うと、やや微妙な感じです(全く使えないとは言わないですが、峠を越えても「三号の沢川」に出るだけなので)。

となると、やはり「戊午日誌」の記載が適切なんでしょうか。yuk-us-oma-nay であれば「鹿・多くいる・そこにある・川」となりそうです。左右から「ユㇰ」(鹿)にトゥギャザーに迫られたら、さすがのルーケシオマナイも消えゆくしか無いのかもしれません。

ニオダイ沢川

ni-o-tay
木・多くある・林
(典拠あり、類型あり)

日高町千栄の北に「陸上自衛隊日高分屯地」があるのですが、その敷地内を流れる川の名前です。明治期の地形図には「ユオルマㇷ゚」あるいは「ニオルマプ」とあります。

「ニ」と「ユ」のどちらかが誤記ということになろうかと思いますが、戊午日誌「東部沙留誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ニヨタイ
此処河流山間に屈曲して行、岬のノタ也。此処松の木多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.73 より引用)

どうやら「ニ」が正しいと考えたほうが楽……じゃなくて(ぉぃ)妥当なのかなぁと思います。ni-or-oma-p であれば「木・ところ・そこに入る・もの(川)」ですし、ni-o-tay であれば「木・多くある・林」となりそうですね。

カシコトンナイ川

kasu-tunnay?
渡渉する・谷川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

沙流川は、日高町千栄の「千呂露橋」(先日の水害で大きな損害を受けて、しばらく仮橋でしのいでいた筈ですが、その後復旧したのでしょうか)の 300 m ほど下流側で「千呂露川」と合流します。沙流川にとっては久々の大物支流と言った感じでしょうか。

明治期の地形図(の模写)を見ていて、おかしなことに気づきました。当時の地形図には、現在の「カシコトンナイ」のところに「ピラウト゚ルオマナイ」と記されていて、シュンベツ沢川の北西にある短い支流のところに「カシユト゚ンナイ」と記されていました。転記ミスがあった感じでしょうか。

「ピラウト゚ルオマナイ」は pira-utur-oma-nay で「崖・間・そこに入る・川」でしょうね。現在の「カシコトンナイ川」の南北はそこそこ険しそうに見えるので、妥当なネーミングのように思えます。

そして、「カシコトンナイ」の由来ですが、元々「カシユト゚ンナイ」とありましたので、「カシコ」は「カシユ」の誤記だと思われます。kasu-tunnay で「渡渉する・谷川」と考えられそうですが、いかがでしょうか。

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