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紀勢本線各駅停車 (17) 「切目・岩代」

印南駅を出発するとトンネルを 2 本通り抜けますが、これらのトンネルは複線化工事の際に新設されたようで、元々は海側を連続カーブで通過していました。線路跡は道路に転用されていて、一般車も通行可能のようです。

かつてはここに線路が通っていて、蒸気機関車が煙を吐いて疾走していた……ということになるんですよね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 6 月時点のものです。列車の時刻や使用する車輌・番線などが現在とは異なる可能性があります。

切目駅

トンネルの先の右カーブを抜けると、脇に保線用資材が置かれた線路が見えてきました。かつては貨物ホーム用の線路だったのでしょうか。

切目駅に到着しました。今は日高郡印南町ですが、かつては「日高郡切目村」だったとのこと。町内に 3 つも駅があるのは多いなぁと思ったのですが、かつての村ごとに設置されていたのですね。

よく見るとこんなところにキロポストが。亀山から 305.5 km ということのようですが、いい感じに傾いていますね(笑)。

切目駅の開業は印南駅の 9 ヶ月遅れの 1931 年 9 月とのこと(満州事変の 3 日後)。駅舎は当初のものが現在も使われている……ということでしょうか。紀勢本線にはこういった歴史のある駅舎が多い印象ですが、積雪が殆ど無いなどの条件に恵まれたということでしょうか(その代わりに台風の直撃を喰らう率は高そうですが)。

このひさしは開業当初からあったのか、それとも後で追加したのでしょうか。柱と梁の間を斜めに繋ぐことで剛性を高めていますが、シンプルかつ合理的な構造で機能美を感じます。

切目駅周辺の名所は「切目王子社」「中山王子社」「切目崎海岸」「切目川」の他に、何故か「宗教法人弘龍庵」の文字が。名所……なんでしょうか(汗)。

宗教法人はさておき、「切目王子」は 12 世紀から 13 世紀頃に隆盛を極めた「九十九王子」の中でもトップ 5 の格式を誇る王子(神社)とされます。「九十九王子」は熊野詣の衰退とともに急減したとされますが、格式の高かった「切目王子」は現在も「切目神社」として健在です。

左に緩やかにカーブしている道路が線路跡で、線路跡の右側に見える森の中に「切目神社」があります。

海沿いをぐるっと回って東へ

切目駅を出発すると、紀勢本線は国道 42 号とともに海沿いをぐるっと回って東に向かいます。

余談ですが、紀勢本線が御坊と印南の間で山間部を通っているのは、稲原村(稲原駅の近く)の村長の請願によるという説があるとのこと。そう言われてみればわざわざ山間部を通る必要も無さそうな地形なので、やはり「我田引鉄」だったのでしょうか。

切目からしばらくは、紀勢本線と海の間に国道 42 号が通っていましたが、長い左カーブを抜けて東に向かったところで国道 42 号との位置関係が逆転して、海のすぐ目の前を通るようになります。あ、こんなところに 301 キロポストが。

岩代駅

海沿いを走ること 6 分ほどで岩代駅に到着です。

シンプルな 2 面 2 線の相対式ホームですが、かつては貨物や荷物の取り扱いもあったとのこと。

跨線橋とホーム上屋の間に屋根はありません。雨が降った時は大変ですが、屋根のおかげで鬱蒼とした雰囲気になることも多いので、逆に開放感があっていいんじゃないかと思えてしまいます。

ホームの待合は、かつては壁と椅子が一体化したものだったと思われますが、ホームの嵩上げで座面が低くなりすぎてしまったか、木製のベンチが置かれていました。壁には謎のアート?がありますが……

駅舎側もこんな感じでした。これで主題が「ほとばしる絵の具」とかだったら面白いのですが……(ぉぃ)。

ホームの後ろには林(と畑?)が見えますが、林の向こう側は砂浜が広がっています。この林は防砂林なんでしょうね。

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